生活指導室は机と、それを挟む二脚の椅子が置かれるだけの簡素な造りだった。その椅子にはそれぞれ白髪の教師と黒髪の生徒が座って向かい合っている。そしてその二人の間には、携帯電話が一台置かれていた。
「確かに皆平気で使ってるのは知ってんよ。教師陣も黙認してやってるわけだよ。でもそれはあくまで黙認であって、あんなに堂々と目の前で使われちゃったら目をつむってやることもできないわけ。わかるか?」
教師は面倒くさそうに髪を掻きながら、目の前の教え子に死んだ魚のような眼を向けて言い聞かせるように言った。
銀魂高校は校内での携帯電話の使用を認められてはいない。物騒な世の中ではあるため、登下校時の生徒の安全のために持ってくることは許可されているが、校内では電源を切り鞄に仕舞いこむことが決まりになっている。
最もそのような決まりなど律儀に守っている生徒を探すほうが難しいし、教師もその辺のことは重々承知で気付いていないフリをしているのが現状だ。だがそれはあくまで教師の温情故にそうなっているのであり、銀八の言葉通り、目の前でごく当たり前のように使われては示しがつかないのだ。
素直に反省の弁を述べるような奴ではないと分かっていたが、目の前の生徒は少しの申し訳なさもにじませずに堂々と言い放った。
「いいじゃねえか。5分くらい目ェつむってろよ。その間に俺ァ自分の用件を済ませて何事もなかったかのようにてめぇの目の前からまるで手品師のように携帯を消してやったのに」
「5分って結構長いからね。全然鮮やかじゃねぇよこのへっぽこ手品師が」
銀八は溜め息を吐くと、件の携帯電話を手に取った。高杉の視線が移動する自身の携帯電話につられて移動する。高杉に見せつけるようにそれをかざして、銀八は学校の規則を告げた。
「じゃ、こいつは1週間没収だから。1週間後、親御さんに取りに来てもらいな」



「携帯がないんじゃ、あんまり夜遊び出来ねぇな」
その日の夜、銀八の自宅でテレビを見ながらふと思いついたように高杉は言った。独り言のようなそれは台所で洗い物をしていた銀八の耳にも届き、最後の皿をすすぎ終えると水を止め手を拭きながら高杉に目を向けた。
「何今さらいい子ぶっちゃってんの、おまえ」
「はぁ? いい子代表みてぇな俺はちゃんと親に連絡いれてたんだよ」
でも携帯電話がないからそれも出来ない。親が心配する前に帰らなくては。そんなことをわざとらしい、白々しい笑みを浮かべながら口にする高杉は今の現状を楽しんでいるようにも見える。
時折、高杉のような携帯電話没収の刑に処される生徒が現れるものだが、その者たちは大抵嘆き悲しみ脱力して元気がないか、苛々としているのが見て取れた。
高杉もそれなりに頻繁に携帯電話を弄っているイメージはあったが、彼にとってそこまで携帯電話は必要ではないのだろうか。そんなことを考えながら銀八は高杉からテレビに目を移した。
高杉の携帯電話が職員室の鍵付きの棚の中に仕舞いこまれてから1日、また1日と時が経っていく。
夜遊び出来ないと笑った高杉が銀八の家に立ち寄る機会はぐっと減った。いや、皆無に近い。元々メールや電話を頻繁にかわすような間柄ではなかったので、高杉の携帯電話がなくなった程度では別に大した影響もないだろうと考えていた銀八にはある意味で大きな誤算であった。
学校内では教師と生徒という関係以上に踏み言ったやり取りはしない。メール同様、多くはなかった接触も高杉が銀八の家に立ち寄ることがなくなったため、ほとんどなくなっている。
教室や廊下で見かける高杉は携帯電話の有無などまるで些事のように変わらぬ日常を過ごしているようだった。
(なんで没収されてない俺の方がやきもきしてんだ…、意味わかんねぇ)
過去に携帯電話を没収された生徒たちも似たような気持ちだったのだろうか。そんなことを考えながら銀八はひとつ溜め息をついて作業に向かった。



「もうすぐでござるな」
「? 何がだ?」
「晋助様の携帯が返ってくるのがッスよ!」
「あぁ…」
楽しみそうに声を弾ませる来島達に、高杉はどうでもよさそうにおざなりな返事をした。そんな高杉の態度に、来島は首を傾げた。この問題のまさに当事者であり、携帯電話を取られた不便さを感じているであろう張本人は何故こんなにも己の携帯電話の帰還に無頓着なのだろう。
沸き起こった疑問を率直に口にすれば、高杉はほんの少しだけ唇をあげて愉快そうに眼を細めてみせた。そして言う。
「携帯取られて苛々してる奴、傍から見てんのは楽しいもんだと思ってなァ。そう思わねぇか?」
「…?」
他に携帯電話を没収されている生徒など、今周りには高杉以外いないはずだ。来島はますます首を傾げ、その意味を悟った河上は仕方なさそうに溜め息を吐いたが高杉は上機嫌のままそれ以上語ることはなかった。
そうして携帯電話は返された。母親が銀八に申し訳なさそうに頭を下げている。その一歩下がった横で高杉もポケットに手を突っ込んだまま形ばかり頭を下げて、挑発的な上目遣いで笑ってみせる。銀八にもその笑みは見えているだろうに、母親と向き合い、取り繕われた教師としての表情に変化は見えなかった。
「良かったなぁ。もう没収されねーように上手く使えよ」
「俺ァ別になくても生きてけることが分かったからどうでもいいんだけどなァ」
「はぁ?」
6日ぶりの銀八の部屋でくつろぎながら、高杉がそう言ってみれば銀八は訝しげに眉を寄せた。それを見て、高杉は意味ありげな微笑を浮かべてみせた。
大人は勘違いしていると思う。子供は携帯電話に依存しきっていて、携帯電話を片時も離せないのだと勝手に思い込んでいる。
実際、そんなことはないのだ。別に携帯電話など無くたって別に興味関心を持つようなことがあればそちらに意識は向く。携帯電話をつい弄ってしまうのはただ単に暇で他にすることがないからだ。
手元にあるから、ついそれに逃げてしまう。無くしてみれば他に目が向いて案外生きていけるのだということを高杉は身をもって知った。知らぬは目の前の男ばかりだ。
「いや困るだろ。携帯なくちゃ。もう没収されんなよ」
拗ねたように眉を寄せ、唇を尖らせる男は妙に幼く、子供っぽく見える。それが面白くて高杉は笑みを深くすると白いふわふわとした髪に手を伸ばしてそれを潰した。非難の声は無視だ。わしゃわしゃと両手でかき混ぜて、その手を下に滑らせて色白の頬を包み込む。掌に力を入れて潰してみればただでさえ不満そうな顔がさらに崩れ、高杉は声をあげて笑った。
「今度からは気をつけてやるよ」



携帯電話なんてなくたって別に困らないけれど、 もしかしたらこの男すらいなくても困らないかもしれないけれど。
おまえが困るっていうのなら、仕方ないからもうちょっと大事にしてやるよ。



携帯電話