俺は何か、大切なものを無くしたらしい。



「銀ちゃーん、私定春の散歩行ってくるヨ」
神楽の元気のいい声が響く。その言葉にソファに座っていた者が腰をあげた。
「俺も行…」
「おまえはダメ」
すぐさま制止の声が掛かり、玄関に向けていた片目を背後の椅子に座る銀時に向 けた。
「んな顔してもダメー。軽々しくこっから出ようとすんなっつってんだろ。俺が 迷惑なんだよわかってんの?え?」
「うるせーな。てめぇの迷惑なんざ俺が知るか」
言いながら片目のそいつ、高杉はまたソファに腰を下ろした。
「俺も外行きてぇ」
「だからダメ」
「なんで」
「なんでも」
「………」
ここ数日、何度も繰り返されたやりとりだった。
高杉が万事屋に居着いてからもう7日になる。かぶき町の隅で銀時が高杉を拾い 、連れてきた。
今の高杉には記憶がない。原因はわからない。ただ気がついたらぼんやりと河原 に立っていて、隣には銀時がいて此所万事屋に半ば強引に連れてこられた。
高杉にとって銀時は見ず知らずの男だったが相手は自分のことを知っているよう だったので付いていった。それだけの話だ。
此所に来てからというもの、高杉は軟禁状態だ。別になんの拘束もされていない が、外に出てはいけないと銀時は言う。
何故と問うても理由など返ってはこず、それに焦れて出ようとすれば普段の目が 嘘のように真剣なものになりダメなんだと言い聞かされた。
その目が余りにも真っ直ぐで、自分の腕を掴んだ手が余りにも必死すぎて、高杉 は何も言えず万事屋のなかにいる。
「つまんねーんだよ。なんかねーのかァ?」
「なんもねーよ」
「本とか」
「ねぇって。あ、下のババァなら持ってるかもしんねぇな」
ちょっくら借りてきてやるよと椅子から立ち上がった銀時に何気なくついていこ うとしたら玄関前で止められた。
「だから、出ちゃダメ」
「………」
直ぐ下、ほんの少しの距離なのだから自分も出させてくれたっていいのに。高杉 は眉を寄せぎゅっと唇を噛んでみせたが銀時は素知らぬ顔で「出るなよ」と念を 押し玄関のドアを閉めた。
恐らく鍵は持っていない。締め出してやろうかと高杉は思ったが、やめた。
ソファに戻り、体を沈めた。決して疲労からではない溜め息をつく。
無意識に着物の内側に手を入れた。何かに触れようとして、そこには何もないこ とに気付く。
銀時に拾われたときに高杉が持っていたものは2つだけだった。刀と、本。両方 とも銀時に取り上げられてしまって、今はそれすら持っていない。
なんであんなものを持っていたのだろうとぼんやりと視線を一処に落ち着かせな がら考える。そうして少し、記憶の糸を辿ってみようと試みた。万事屋に来てか らの7日間より、その前の記憶を。
思い出せ、思い出せと念じながら堅く目を閉じる。自分は何をしていた。何故あ んなところにいた。思い出せ、思い出せ。真っ暗な世界でひたすらに念じる。何 でもいい、思い出せ、何か、何か、何か。
『―――高杉』
響いた声に、高杉は弾かれたように顔を上げた。するとそこにはいつの間に戻っ てきたのか、銀時が立っていてこちらを覗き込んでいた。少し不安げな目をして いる。
「あ…」
今のは現実、それとも記憶、どちらのものだろうか。考えようとした高杉の横に 銀時は近寄った。
「どした?頭でも痛ェのか?」
「………」
銀時は持っていた本をテーブルに置き、しゃがみ込んで高杉と視線を合わせた。 そっと手を伸ばして高杉の額に触れ、シワが寄っていた眉間を親指で撫でる。
その手を受け入れながら、高杉は半ば呆然と目の前の銀時を見つめた。銀時も高 杉を見つめている。
瞬きをひとつした瞬間、高杉の唇から言葉が零れた。
「…嫌い…」
「高杉…?」
「嫌い、嫌い嫌い嫌い、てめぇなんざ大嫌いっ!」
派手な音を響かせて高杉は銀時の手を叩き落とした。おとなしくしていた高杉の 豹変っぷりに銀時は一度目を見開き、戸惑ったように高杉を見ていた。
「高杉…!」
「なんなんだよ、なんなんだよてめぇは!優しいふりして、なんのつもりだ!気 安く俺に触んじゃねぇ!てめぇなんか、てめぇなんか…!!」
感情に任せて紡いだ言葉が不意に途切れた。
てめぇなんか。その先が出てこなかった。自分がなんて言おうとしたのかがわか らず、丸く見開いた隻眼にただただ銀時を写して、今一瞬の喧騒が嘘のように静 まり返ることが酷く恐ろしかった。



多分、本当はずっと気付いてた。気付いてて、気付かないフリをしていた。でも 今確かに気付いてしまった。はっきりと確信した。もう気づかないフリなんて出来ないくらい。
銀時は、自分の記憶が戻ることに怯えている。
死んだ魚のような目をしてるくせに時折酷く傷ついたような、遠くを見るような 目をしてみせる。自分がこんなにも近くにいるにも関わらず。
別に無理に思い出さなくていいじゃんなんて言いながら、本当は思い出して欲し くないんだろう。
多分、今の俺は俺じゃない。
今目の前にいる銀時から高杉は漠然とそう感じた。
自分を語るには決定的な何かが足りない。自分は何を無くしてしまったのかそれ すらわからない。どうしたらいい。
思いが溢れて唇から滴る。



「…てめぇなんか、嫌いだ…」



誰よりも俺を否定しているくせに、誰よりも俺を求めてる、そんな傲慢さをもつ おまえが嫌い。



これは前からの想いなの?



高杉が記憶喪失。