高杉はうんざりしていた。心の底から現状に嫌気がさしていた。すぐ隣には金髪の酔っ払いがいる。でれでれとだらしなく頬を緩ませ、好きだ好きだと酒臭い息で呟いてじゃれついてくる。もううんざりだ。
「なんで俺を呼びやがった」
夜中、携帯電話を鳴らし、自分をこの場所に呼び出した警察官をギロリと睨みつければ、黒髪で目付きの悪い警官は怯むでもなくその詰問に答えてみせた。
「その天パが先生に会いたい会いたいと喚いてうるさくてな、あんたにも電話越しに聞こえてただろうが。こいつがぴーぴー言ってるのがよ」
黒髪の警官、土方は顎と視線で高杉の隣に座っている存在を示す。その視線を高杉が目で追えば、すぐに蛍光灯の光を受けて輝いている金髪が見えた。肩に頬を額を押し付けられている。とても邪魔で鬱陶しいが、無理に引きはがそうとすると子供のように大騒ぎをして泣き喚きだすのでそれも叶わない。
仕事柄、酒を飲む機会の多い金時がほろ酔い状態にあることはよくあることだ。仕事終わりなど、大抵がその状態で上機嫌で愛してるというためだけの電話をかけてくる。それなりに酒に耐性はあるらしく、ある程度の量までならば悪酔いすることはないのだが、一線を越えると理性は崩壊し、手がつけられなくなることを高杉は知っていた。
だから私生活において、高杉は絶対に金時に酒を飲ませないようにしていた。高杉が傍にいると、金時は調子に乗ってしまうのか、普段なら自制しているだろうところを気にせずに酒をあおってしまう。そして泥酔し、大きな子供が出来上がってしまうのだ。それを何度か経験して、高杉は絶対に金時を泥酔させることはしなくなった。金時は知らなかったであろうが、高杉はとても気を付けていたのだ。それなのに。
「あのモジャは何処行きやがった」
「ぐずりきってるその馬鹿を置いてどっか行った」
「…野郎、ただじゃおかねぇ…」
金時は今日、坂本と飲みに出掛けて行った。高杉も知っている。金時と高杉、坂本、桂の4人で、桂の店で飲むこともあるが、その4人が都合のつく2人、または3人で飲みに行くことだって珍しいことではない。今日は、金時と坂本で飲みに出かけたのだ。
どうやら、調子に乗りすぎたらしい。坂本は酔っ払った金時の相手が面倒くさくなったのだろう。交番に金時を預けて姿を消した。もしかしたら、坂本は坂本で優秀な片腕に首根っこを掴まれて連れ戻されたのかもしれないが、そんなことは高杉の知ったことではない。
坂本が酔っ払った金時を放置し、挙句自分のところに金時が回ってきたという現実が、高杉にとっては全てであった。
「先生ぇー、もうマジ好きー、本気好きー、世界で一番大好きなんだよホントにさぁ…。先生は百万ドルの夜景より綺麗だよ、俺、先生のためだったら世界も神楽もババァもみんな敵に回したって怖くなんかねーからマジでぇー」
「あぁそうかい、ありがとよ。じゃああとであのモジャちょっとやってこい」
「あいあいさぁ〜」
高杉の腕にしなだれかかったまま、決して離れようとしない金時を眺めていた沖田は、呆れと感心の混じった溜め息を吐き、口を塞いでいた棒付きの飴を取り出してから言った。
「ベタ惚れですねぃ。これ、家買えマンション買え車買えって言ったら買ってくれるんじゃないですかィ?」
その発言に、高杉の眉が寄る。そんな余計なひと言を言われたら、隣の金はあると思っているホストがまた騒がしくなるではないか。事実、それを受け金時は高杉を見つめながら問いかけてきた。
「えー、なに先生車欲しいの? マンション? いいよぉ、ポルシェでもフェラーリでもプリウスでもインサイトでもなんでも言ってよ買う買う〜」
「いらねぇよ。今の車で十分だ」
「じゃあ億ション?」
「いらねぇよ、引っ越すのめんどくせぇだろうが」
「先生謙虚ー、好きー」
「うるせぇよ」
結局は好きという結論に落ち着くのだが、その言葉を吐きながらぎゅうぎゅうと肩に頬を押し付けてくるのだから心底鬱陶しい。だが振りほどけばまた大の大人がみっともなく大声で泣き出すのは目に見えているためそれも叶わない。
「こういうのは謙虚じゃなくて無欲っていうんでさぁ。なんでぃ、買ってもらうだけもらって換金しちまえばいいじゃねーですか」
「その手間もめんどくせぇよ」
「怠惰ですねぃ」
折角買ってくれるというのなら、素直に買ってもらえばいいものを。口には出さず、視線にその胸中を込めながら沖田はしばらく高杉を見つめていたが、その横にいる、高杉の腕にしがみついて離れない金時を見やった。
幸せそうに頬を緩めながら頬を、額を高杉に擦り寄せる金時を見ていると、沖田の脳裏にふと、天敵とも言えるチャイニーズマフィア女ボスの言葉が過ぎった。
「そういえば、こないだチャイナが「男同士乳繰り合ってキモイアル」って言ってましたぜ」
「ハァ? キモくねーし、俺と先生イケメンだから目に優しいし」
「そういう問題でもねーだろ。っていうか何てめぇ自分イケメンとか言ってんだ。恥ずかしい野郎だな、引く」
「だってこれでも俺歌舞伎町でナンバーワンですしイエー」
「暗がりだから顔よく分かんねぇンだろ」
「ひどっ」
酷い酷い泣いてしまうと言いながら、元々ない距離をさらに詰めようとする金時に高杉が心底嫌そうな顔をしているのは、金時からは見えないのだろう。対面に居る沖田からはその表情はとてもよく見えている。改めてマジマジと高杉を見つめれば、それに気がついた高杉に睨まれた。
「まぁ先生が小奇麗な顔してんのは認めますし別にそこまで否定的なわけでもねーんですけど、でもまぁチャイナの言うことも少しは理解出来まさぁ。旦那、はともかく先生なら女だって引く手数多でしょうに」
「なにさり気なく俺貶めてんの? ねぇなんで?」
詰問され、沖田は肩を竦め目を逸らした。あからさまなはぐらかし方にも、金時はそれ以上の追及はせず、むしろ弁明に入った。金時が口にしたのは、最後まで聞かずとも先の読める定型文だ。
「勘違いしてもらっちゃ困るけど、俺は男が好きなんじゃなくて」
「先生が好き、でしょう」
「そう! そこ超重要だから! 好きになった人がたまたま男だったの! 性別とかそんなんで止められる思いじゃねーの! 俺の愛は!!」
「俺ァもともと男が好きだけどな」
「え?」
「あ?」
割り込んできた静かなひと言に、場の空気が止まる。思わず頬を寄せていた肩から離れ、金時は高杉の顔を見た。見つめ返してくるその表情は、普段通りの澄まし顔だ。金時は幾度か瞬きを繰り返した。高杉は眉ひとつ動かさずに金時の目を見つめている。視線が拮抗した。
「先生好きー」
「はいはい、そろそろ黙って寝とけ。いい加減うぜぇ」
金時が破顔し、力が抜けたように高杉に再びしなだれかかる。今の一瞬の空気は途端に霧散してなにごともなかったかのように元に戻った。
「寝るのもったいねぇじゃん」
「うるせぇよ」
交番の目の前に1台のタクシーが止まる。運転手が出入り口から中を覗き込み、声をかけてきた。
「お、タクシー来た」
その声に反応して、高杉は席を立った。
交番に呼び出されたとき、高杉は歌舞伎町内の他の店に居たため、歩いて交番まで訪れた。すぐに金時を引き取り、タクシーで帰ろうとしたのだが、今夜タクシーは全てで払ってしまっていて、戻ってくるのを待たねばならなかったため、今まで交番でずっと暇を潰していたのだ。
土方は迷惑だと追い出そうとしたのだが、沖田が引き留めたので金時と高杉はしばらく交番に留まる事が出来たのだった。
「じゃ、邪魔したな。おら、さっさと歩け」
「寝ろっつったの先生じゃん」
「状況は変わるんだよ」
「理不尽! でもそんなところも好き!」
「あぁそうかい」
喧騒の余韻を残し、タクシーは去っていく。残された警官たちはまるで何事もなかったかのように、職務を続けていたが、土方の脳裏には以前にも似たようなことがあったような気がして、作業をしながら頭の隅で記憶を探っていた。しかし、それもどうでもいいことであったのですぐさま放棄する。
「土方さん」
「あぁ?」
急に話し掛けられて、土方は整理していた書類から目を離して沖田を見やった。声をかけて来たくせに、沖田は誰もいなくなった玄関口を見やったままで、結局土方に視線を向けないままそのまま言葉を続けた。
「高杉先生、さり気なく爆弾発言だったと思うんですけど、どうでしょう」
「…あぁ」
どの発言が、とは言わない。だが土方にもすぐさま思いいたる所があり、思いいたったからこそ曖昧な言葉を返した。
「あれ、本当ですかねぃ」
「さぁな、別にどうでもいいことだろうが。オラ、俺は仮眠取るからな。なんかあったらちゃんと対応しろよ」
「へーい。そのまま永眠してくだせぇ」
「てめぇがしろ」
こうして、歌舞伎町の夜は更けていく。