いつもならば高杉の家の中というこの場にいるだけ胸を踊らせている金時だが、今日は緩ませている頬を膨らませソファの隅で膝を抱えていた。ちらりと、2人掛けソファの端の方に座っている高杉に金時は目を向けたが高杉は金時になど目もくれず、面白くもなさそうにテレビを見つめていた。
この事態はつい十数分前、金時が今と同じ位置に座っている高杉の横に正座して、至極真面目な顔をして彼を見つめることから始まった。
「先生」
「・・・なんでしょう」
金時の真剣さを感じ取ったのか、視線こそ流し目で真正面から向き合うようなことはしてくれなかったが、平素より幾らか堅い言葉で高杉も応じてきた。金時の表情は変わらない。膝の上で握りしめられている拳には必要以上に力が込められていた。
「俺、先生にお願いがあります」
「だから早く云えよ」
なかなか本題に入らない金時に高杉が焦れる。微かに苛立ちを滲ませた高杉にも慌てず、金時は張りつめた空気を保ったまま言い放った。
「俺といやらしいことをしよう」
表情と放たれた言葉のギャップに、高杉はいささか視線の温度を下げたが特別落胆の色も見せず、そのまま金時を見つめ続けた。初めから金時になにも期待していなかったし、心の何処かでそんなことだろうと思っていた節もある。
真っ直ぐな目を向けて反応を待つ金時に、高杉は平然と応じた。
「・・・例えば?」
「え?」
「いやらしいことって、具体的にはどんなことか云ってみろ。付き合ってやらないこともねぇ」
金時の予想を越えた高杉の反応に、仕掛けた金時の方がぽかんと無防備な表情を晒し目を瞬かせて高杉を見つめ返した。予想といっても特別何か想像していたわけではない。ただ今までの経験から軽蔑するような視線とともに一蹴されるか、気まぐれを起こして頷いてくれるかのどちらかだろうと思っていた。そして十中八九前者だろうとも。
「えー・・・っと」
「ほら早く云えよ。俺の気が変わる前になァ」
「・・・・・・」
金時の視線の先で、高杉は笑っている。金時の反応を楽しんでいるのがその顔から滲み出ていた。これが高杉でなければ、その目を向けられていなければ、金時は自分の欲望を恥ずかしげも無く口にしただろう。淫らでいやらしい言葉を口にすることを躊躇うほど、金時は純情ではない。
けれど高杉に見つめられてしまうと、ただそれだけで頬が赤く染まり、頭の中は白く塗りつぶされてなにを口にしたらいいのか分からなくなってしまう。
ぱくぱくと音を出さないまま口を開閉させる金時を、高杉は鼻で笑って目を逸らした。残されたのは、撃沈し頬を膨らませる金時だけだった。
悔しい。
金時はその感情を胸の中で持て余していた。以前、率直に「やらないか」と持ちかけたらゴミを見るよりも冷めた目で「くたばれ」と返された。だから無い知恵を絞ってどうしたら本懐を遂げられるか考えたというのに、弄ばれて終わるとはなんということだろう。
相手が高杉でなければ、自分はもっと強く出られるのに。いや、高杉相手だって強く出られるのだ。自分はもっと強引にいける男なのだ、なめてもらっては困る。
金時は改めて表情を引き締めると高杉に向き合った。しかしそんな金時の動きにちらりと視線を送ってきた高杉の目に映り込んでしまうと、金時は四肢から身体が抜けていくのを感じ背もたれに倒れ込んだ。また鼻で笑われたのが聞こえた。熱を持った頬を隠しながら額を革張りのそれに押しつける。
悔しい。どうして自分はこんなにもヘタレているのだろう。だがしかし、金時はこうも考えていた。
そろそろ高杉が甘い一面を見せてもいいはずだ。彼はいつも絶妙な加減で金時の心と体を虐げては甘い飴をくれる。そのタイミングが金時にはだんだん読め始めていた。高杉に呼ばれる。
「金時」
ほらきた。単純なものでもう弾み始める心を抑えながら、金時は高杉に目を向けた。
「なに」
「これ今すぐ買ってこい。あとビールな」
財布は上着のポケットに入っていると金時を見ずに云う高杉の視線はテレビに注がれたままだ。これとはなんであろう。金時もテレビを見れば、コンビニスイーツの特集で近くのコンビニで売っているプリンが映し出されていた。
甘いものなんて好きでもないだろうに。あぁそうか、自分にくれるのか。そんな解釈をして金時は腰をあげた。
「あー、あと」
「?」
まだ何かあるだろうか。振り返った金時に高杉は手招きをしてみせた。無表情のまま指先で呼ばれて金時は素直に近づいていく。服の裾を引かれてソファに膝を突いた。高杉の顔が近づいてくる。なんだ、行ってらっしゃいのキスか。内心身構えている金時の唇をかすりもせず、耳元に寄せられた高杉の唇は吐息混じりの囁きを乗せた。
「ゴムも忘れんなよ」
「!」
互いの顔しかその目に映らない距離で高杉の唇が意味ありげにつり上がる。先ほどまでのふてくされた感情が嘘のように、コンビニへ向かう金時の足は軽やかだった。云われた商品を纏めてレジに出し、袋に入れられたそれらを運ぶ金時の身体は心なしか弾んでいる。
「ただいまー」
「お帰り」
ご苦労と手を差し出されて、コンビニの袋を渡せば高杉の手は迷うことなくプリンとプラスチックのスプーンを取り出した。あれ、俺のじゃないのか。そう思いながら金時が見つめる先で、クリームの乗ったそれが高杉の口の中に消える。
「・・・あんま美味くねぇな」
やはりいらないと押しつけられたそれを金時が思わず受け取ると、高杉の手はいつものビールへと伸ばされた。期待はずれの代物に心底つまらなそうにしている高杉とプリンに視線を交互させ、とりあえず高杉がプリンを食べる気はもうないことを悟ると金時はそれを自分の胃のなかに片づけ始めた。新品のプリンより高杉の食べかけの方がうれしいだなんて、そんなことは断じて思っていないと念じながら食べたプリンはそれでも程々においしかった。また買ってもいいと思う。
そんなことよりも金時はあと一つ、高杉の手に触れていないものを使うことに期待を寄せ大人しくそのときがくるのを待っていたけれど、高杉があくびを一つこぼして時計を見、就寝の支度を始めたときに思わず声をあげた。
「ちょっちょっちょ、なんかおかしくねぇ? さっき俺にゴム買わせたジャン!!」
「あぁ、プリンががっかりすぎてやる気失せたな」
「元々甘いもの好きじゃねーのになに期待しちゃってたの?!」
「甘さ控えめ、男性でもおいしくいただけるプリンとかテレビが云ってた」
恨むならナレーションしていたあの女子アナを恨めと言い放った高杉だったが、その女子アナは金時が赤丸要チェックを入れていた人物であったために金時の中で一瞬の葛藤が生まれた。だがそんなことどうでもいいらしい高杉は寝室へと消えていく。それを追って金時も室内に入ると、掛け布団を持ち上げ今にも潜り込もうとしている高杉へとのしかかった。
「期待させた分はちゃんと返してもらうからな。いつまでも俺がヘタレだと思うなよ」
幾重にも被っていた羊の皮を脱ぎ捨て、遂に狼の本性を現すときがきたのだ。金時は唇をつり上げて高杉を見下ろした。高杉は特別動揺することもなく金時を見上げている。
「・・・わかった」
ため息が一つこぼれた後、高杉の指先が金時の頬に伸ばされた。
「やっとその気に、って、あれ?」
高杉の手は金時の肩へと移り、ぐるりと世界が反転した後金時は高杉に覆い被さられていた。余りに一瞬の出来事に、金時は目を瞬かせたが別に問題はない。
「ずいぶん積極的じゃん」
別に高杉が自分の上で全てを晒して乱れてくれるのも悪くはない。だが高杉が口にしたのは金時の思いと全く反したものだった。
「ケツを出せ」
「は?」
「抱いてやるよ」
天井の小さな明かりしかない室内で、薄く笑まれたまま降り注がれた言葉に金時は胸に何かが刺さるのを自覚した。呼吸が苦しくなり、頬を染め、高杉を見上げていられなくて目をそらすようにして軽く伏せる。無意識に呟いていた。
「優しく・・・、してね・・・」
「善処してやる」
「って、それ否定だろうが! 最低!! 俺初めてなのにこの鬼!! っていうかなんで俺が抱かれんの意味わかんないんですけど!」
勢いよく体を起こしても、無様に額をぶつけ合うことはなかった。視線の高さが同じになり、今までの何処か大人の雰囲気が漂っていた空気は粉々に砕け金時の怒りが霧散する。
だがそんな金時の怒声も高杉は興味なさそうに聞き流し、ひとしきり金時が発散し終わったのを見計らうと率直に尋ねた。
「おまえが抱かれる側が嫌なのは分かった。で、おまえはなんで自分がなりたくない側を、こっちが聞きあきてうんざりするほど大好きと云い続けてる対象の俺に、やれっつってんだ?」
「聞きあき・・・、や、だって・・・」
さらりと言われた一言にショックを受けながらもしどろもどろに反論を試みようとする唇に、高杉の指先が触れる。
「自分がされて嫌なことは、人にもしちゃなんねぇ。分かったか?」
「う・・・でも」
「でも、じゃねぇ。返事ができるまで床で寝てろ。布団使うなよ」
そう言い放ち、一人寝る体制に入ってしまった高杉に手を伸ばすこともできず、金時はどうしたものかと視線をさまよわせ、結局その場に座り込み膝を抱えるとその姿勢のまま一夜を過ごした。
翌朝、目覚めた高杉が素っ気なく云った言葉に金時の気分は地に落ちた。
「マジで床で寝たのか。バカだな、風邪引いたらどうすんだ」
きっと言いつけを破り布団で寝ていたら蹴りとばしていただろうに。本気でこの人のこと好きでいることを考え直した方がいいのかもしれない。
「で、も、な。そのあと先生が出かけるのに、いってきますのちゅーを俺のほっぺに先生からしてくれたわけですよ。俺愛されすぎだろマジでもーぉ。あれだよな、先生が俺のこと振り回してくれんのも俺への信頼みたいな? たまに虐げてくるのは俺も悪いんだよな。やっぱ俺には先生しかいねぇわー」
「ふむ、完全にDV被害者の心理状態に陥っているのは構わんが、パー子になるのならいつでもいい病院を紹介するぞ。そして特別に此処で働かせてやろう」
「まだならねぇよ」
だらしなく緩みきっていた頬に力を入れて、金時は目の前にいる黒髪美人のオカマを睨みつけた。それに怯むことなくオカマバーの若女将である桂は平然と少しだけ減っている日本酒を継ぎ足していく。
「本当、先生におまえみたいな同級生がいるとか信じられないんですけど。まぁ俺は先生のおまえという同級生がいるところも含めて愛せるから全然先生のマイナス点にはなんねーけどな」
「貴様オカマを馬鹿にするとこの手でその股のものむしり取って高杉に差し出してくるぞ」
「なんかそれ絶対先生生ごみの日に捨てそうなんですけど」
溜め息をついた金時の脳裏に自分を見下ろす高杉の表情が蘇る。その時囁かれた言葉やその場の空気まで思い出して顔に熱が集まるのを自覚し、顔を覆い一人その場で机に額をぶつけ身体をくねらせた。
「なぁヅラ」
「ヅラじゃないヅラ子だ。なんだ」
顔を伏せたまま、しばしの間を開けて金時は消えそうな声で桂に問いかけていた。
「工事って、いくらかかんの」
(だってあの顔で『抱いてやるよ』なんて言われたら男でも一瞬ときめいちゃうだろ)