「今日という今日は金さんだってマジに怒っちゃうんだからな!」
そう言ってガツンと勢いよく湯呑みを机にたたき付ける。中身が少し零れたが、本体が割れることはなかった。
金時は怒っていた。かつてない程に怒っていた。そして酔っていた。交番でお巡りを捕まえて本音を吐露する程、したたかに酔っていた。
顔を怒りと酔いで赤く染めた金時を、隣で土方が面倒臭そうに眺めている。
今日の夜勤は近藤、土方、沖田、山崎の4人だ。近藤と山崎は他の厄介事の仲裁に駆り出されていて、沖田は訪れた金時にお茶と煎餅を用意すると仮眠室に篭ってしまった。
結果、土方一人がこの迷惑な酔っ払いの相手をすることになった。
もう2時間近くこうしているが、同じ話を繰り返しているに過ぎない。要約すれば一言で済む内容だった。
ワインを買ったから一緒に飲まないか。恋人に誘われて金時は二つ返事で彼の部屋に駆け付けた。
今日の部屋の主、高杉はやけに機嫌が良かった。だから金時もつられて上機嫌だった。
本当に和やかな空気が流れていたのに、それを一遍させたのがほろ酔い調子に乗った金時の一言だった。
「先生、先生は俺の何処が好き?」
間が開いた。ぽかんとした高杉に、金時が笑顔のまま首を傾げる。
しばしの沈黙の後、高杉が吹き出した。笑みを浮かべた口許を隠し、衝動に任せたまま肩を揺らす。それを金時はただ見つめていた。
ひとしきり笑った後、高杉は言った。
「驚いた」
「なにが?」
別におかしなことは言っていないはずだ。金時は不思議そうにしながら高杉に尋ね返す。
高杉は高杉でおかしそうに目を細めながら、僅かに同情の色を混じらせて金時をその瞳に映し、言った。
「てめぇに俺が惚れる要素があると思ってんのか?」
「は?」
「思い上がりもいいとこだな」
「………」
それは、どういう、意味でしょう。
金時は目を瞬かせてその言葉の理解に努めた。
閃いた瞬間、金時は部屋を飛び出した。
「先生の、馬鹿っ…!」
高杉が追って来てくれることは、なかった。
「あーもう、酷い、酷すぎるね。歌舞伎町No.1ホスト捕まえといて良いとこナシとか、先生の目は節穴だよ節穴。あれ照れ隠しとかそんなんじゃねーからね。本音だから。先生の照れ隠しバイオレンス入るから。そんなとこも可愛いけど」
机に頬を寄せぐちぐちと絶え間無く不平不満を、時折惚気を混じらせながら呟く金時から目を離して土方は時計を見た。
もう金時が泥酔状態で此処にきてから2時間以上経過している。その間お茶と煎餅しか口にしていないはずなのに、この男の酔いは何故覚めないのだろう。
お茶を用意したのは沖田だ。実はアルコールなのかと疑い、土方も口に含んでみたがお茶に異常はなかった。煎餅も同様だ。
土方が眉を寄せ首を傾げていると、一瞬黙っていた金時がまた口を開いた。
「っていうか先生は前から俺に対して酷すぎんだよ。メールも電話を滅多にくれないしね。先生が1通くれるまでに俺100通送っちゃうよ。前一回着拒されたし」
「それ恋人じゃねぇだろ」
「恋人ですー。先生はツンツンデレツンデレツンツンツンくらいなだけで俺達はちゃんと恋人なんですー」
文句を並べる尖らされた唇がウザイと土方は本気で思っていた。しかし相手は酔っ払いである。
ここ歌舞伎町の交番に勤務するようになってから、酔っ払いというのはまともに相手するものではないと土方は学んでいた。
バリバリと固焼き煎餅を食べていた金時がふと悲しげな表情を浮かべる。
「けど、今回ばかりはもう金さんだって限界だね。今までだって俺がいろいろ頑張って耐えてたから成り立ってたようなもんだしね。いや別に苦でもなんでもなかったからいいんだけど」
「じゃあ今回もいいじゃねぇか」
「今回はよくねぇの!面と向かって『てめぇに好きなとこなんてねぇよ、ワロス』とか言われたら男としてね! 自信がね!」
「話変わってんぞ」
「あー、なんか思い出したらまた苛々してきた。あの鼻で嘲笑う感じ! やべぇゾクゾクしちゃうけどそんなんでもう金さん騙されないんだから!」
「てめぇドMかよ」
「違うから。対先生オンリーだから。金さんドMなんかじゃねーからここ重要」
「心底どうでもいいわ」
一瞬身体を起こして激昂して見せた金時に、土方は胸中をそのまま言葉にした。それは金時の耳に確かに入ってはいるのだが、金時は気にするでもなくまた唇を尖らせてぐずり始めていた。
「チクショー…、所詮先生は俺の身体目当てだったんだろ…。あれで結構いやらしいからね。ストイックな顔してエロスの塊だから」
「妄想乙」
「妄想じゃねェェエ! いい加減面倒になってトッシーになってんじゃねぇってんだァァア! 俺が先生とやらしいことすんのにどんだけ苦労したか、どんだけ床に額擦らせて土下座して頼み込んだのかも知らねぇくせに軽々しく妄想扱いすんじゃねェェエ!!」
「その段階で男としての自信もくそもねーじゃねぇか」
聞き入れられることはないと分かりながら、土方は呟いた。
金時は叫び疲れたのか、小さく溜め息をついてもうすっかり冷たくなったお茶を飲んだ。
そしてポットに手を伸ばすと大人しく急須にお湯を入れる。自分と土方の湯呑みにもう味の出なくなったお茶を注いで、また溜め息をついた。
「先生マジおっかないからね。先生の気が乗らないときに押し倒すと情け容赦なく蹴り上げられたから。同じ男とは思えない手加減のなさだったよあれは。俺の息子死ぬかと思った…先生のとこに婿入りじゃなくて嫁入りすることになるとこだった…」
「なっちまえばよかったのにな」
「まぁそんなんはいいんだよ。とにかく俺と先生の関係は俺のたゆまぬ努力の結果であり、俺がやめようと思えば直ぐに切れちまう儚いもんなんだよ。あーあ、俺らもうおしまいだわ。あのツンツンツンデレツンとはもう付き合いきれねぇ」
「そうかい」
「でもあれで可愛いとこあるんだぜ。夜中に電話しても無視しないで出てくれるし、押しかけても出てくれるし、自分飲まないくせに俺が飲むからっていちご牛乳冷蔵庫に用意しておいてくれてるし、いい匂いだし、着痩せするタイプで脱いだら実はすごいんです、三十路前とか思えない白い肌はモチモチしててちょっと気持ちいいし…」
「オイ、なんか話が…」
「くすぐったがりで耳甘噛みすると首を竦めて笑うんだよ。んでもって俺が来るからっていちご牛乳用意してくれて、そんで、そんで…」
段々と声と共に金時の身体も丸く小さくなっていく。ふるふると小刻みに震える様は小動物を思わせた。
「好きなんだよ…先生が好きなんだよぉぉお…別れたくねーよぅ…先生ぇぇぇ…別れるなんて言わないでくれぇぇぇ」
声をあげて泣き出した金時に土方は面倒臭そうに席を立ち、ボックスティッシュに手を伸ばした。
「…ありがど…、…うぁぁぁ、ぜんぜぇぇぇ…、会いたいぃぃい、ぜんぜぇ好きぃぃい」
このまま泣かせときゃそのうち寝るだろうか。
土方がそんなことを考えていると、第三の声が交番内に響いた。
「うるせぇよ」
土方がその声の主を見遣るよりも早く、金時が反応した。
「せんせぇぇぇ!」
次の瞬間、隣にいたはずの金時の姿が消えていた。少し離れたところからその声がして、見れば金時は入口のところで膝をついて男の腰に抱き着いていた。
「先生ぇ捨てないでー。俺先生が好きィィイ、なんでもするから別れるなんて言わないでェェェ」
「なに言ってんだてめぇは。さっさと立て。帰るぞ」
「うぁぁん、先生大好き愛してるー!」
「うるせぇ酔っ払いが。黙んねぇと道に捨てんぞ」
ぴたと黙った代わりに背中に張り付いて離れない金時を無視して、高杉はその場から去ろうとしたがふと何かに気がついたように振り返り土方を見た。
二人の様子を眺めていた土方は振り返った高杉と目が合い、なんとなくそのままその隻眼を見ていた。
「馬鹿が迷惑かけたな。逮捕するなら置いてくが、どうする」
「酷っ。先生酷っ」
「うるせぇ。てめぇは黙ってろ」
「…その馬鹿が飲み食いした茶と煎餅代はそいつの店に請求すっから、とりあえずさっさと連れ帰ってくれ」
溜め息をついて土方はそれだけ言った。またねと、今までのなきべそが嘘のように笑みを浮かべた金時が手を振ってきたのを無視する。
つかの間の静寂を取り戻した交番で土方が一息ついていると、事件を片付けたらしい近藤と山崎が帰ってきた。
「ふぅー、チンピラ同士の喧嘩もなかなか厄介なもんだなぁ」
「おかえり。なんか飲むか?」
「あぁ、頼む」
「山崎は」
「あ、ありがとうございます。お願いします。…あれ?」
へとへとに疲れきった顔をして座り込んだ近藤と山崎であったが、山崎は机に置かれた煎餅に気がついた。それは沖田のものだ。土方一人でそれに手をだすことなどまずない。
「誰かきてたんですか?」
山崎の問いに、土方は肺に入れた紫煙を吐き出した。
「ただの酔っ払いの惚気話だったよ」