あの日は大分酔っていたのだと、振り返って金時は思う。
「なー先生、なーんか俺ばっか電話かけてる気ィすんだけど気のせいかな」
『気のせいじゃねぇな』
「だよね、やっぱそうだよね。ねぇなんで?」
『…なんで?何がなんでだ?』
「なんで先生から電話かけてくんねぇの。なんで俺ばっか電話かけてんの。おかしくね?ねぇなんでよ」
『おかしくねぇ。嫌ならかけてくんな』
「ちょぉー、もォー、ちゃんと話聞いてよ。俺はァ、たまには先生からかけて欲しいわけよ」
『…はァ?』
「…ちょっ、何、その『はァ?』ってのは」
『なんで俺からかけなきゃなんねーんだよ』
「いいじゃん、先生からかけてもらいてぇのー。あ、もしかして通話料とか気にしてる?やっだ、先生ってば案外ケチー。でも平気、ラブ定額入ればさァ。いやいっそ家族割に…」
『いい加減黙れよ酔っ払い』
「酔ってませんー」
『酔ってる。言っとくが俺は世界で一番酔っ払いという人種が嫌いだ。じゃあな』
「あ、ちょっ、待って。そんで電話はかけてくれんの?」
『用もねぇのにかけるわけねーだろ』
馬鹿かと一言おまけがついて、電話は無情にも切られてしまった。
回線が断ち切られたせいで断続に響く音に金時は眉を寄せる。
「…用もない?」
最後に言われた一言が引っ掛かった。
確かに電話をかけておきながら用がないこともある。だが声が聞きたい、なんでもいいから会話がしたいというのだって電話をかける立派な名目になるのではないだろうか。
ぐるぐるとアルコールに侵された思考回路を働かせ、到った結論が「先生の馬鹿!薄情者!もう知らねーんだから!!」というものだった。
感情に任せて握りしめていた携帯電話を投げ捨てる。
真っ暗闇に飲み込まれた金時の携帯は3秒後にぼちゃんと音をたてた。
金時の後ろをトラックが通り過ぎる。橋が揺れた。
「バイバイ、先生…」
そう呟いた7秒後、金時は我に返り橋から身を乗り出した。
「やっべアドレス…!」
仕事用もオフ用も一台で番号だけを使い分けていたために客の情報は全て今投げ捨てた携帯の中だ。
酔いも吹っ飛ぶ現実に青ざめた金時は呆然と漆黒の川を眺めていた。
そこをたまたま仕事を終え帰宅途中の土方、沖田が通り掛かった。
今にも欄干から飛び降りそうな金時に沖田は慌てる事なく声をかけた。
「ちょいと旦那ァ、身投げならよそでやってくだせェ。うちの管轄でやられると迷惑でさァ」
「しねぇよ!いや、した方が楽かもしんねぇ…マジやっべ本気やっべこれ神楽に殺されるよオイ、絶対今此処で携帯の後を追った方が楽だよなぁちょっと土方くん背中押してくんない?」
「いいですねィ、旦那が川に落ちた瞬間に殺人未遂で現行犯逮捕してやりまさァ」
「よーし総悟てめぇそこに立て。全力で突き飛ばしてやる」
そんな会話を交わし、二人は一時の感情に任せた金時の行為を鼻で笑い帰っていった。
そして金時は金時で神楽に土下座して謝罪することになったが、神楽は冷ややかな視線を金時に向けるとふわふわとした金髪を情け容赦なく掴みショップに連れていき、直ぐさま機種変更の手続きをさせた。
そしてウェブに保存してあったアドレスを引き出してまるで何事もなかったかのように繕った。
「…いつの間にか保存してたの」
携帯に入っているものをわざわざ保存するのなんて面倒くさくて金時はしていない。神楽はニヤリと笑みを浮かべて答えなかったが「それ少し前のデータだから最近のは入ってないヨ」とだけ言った。
どの程度データが残っているのか確かめるために金時はアドレス帳に目を通す。
『高杉晋助』
その文字を見つけ視線が止まる。この人のデータを消すために携帯を夜の川に投げ捨てたというのにこうして戻ってきてしまった。
覚めた頭ではこのアドレスだけ消せばいいのだと分かるのだが、削除のボタンを押せない金時は親指を中途半端な位置に構えたまま動けないでいる。
何度もアドレス帳から電話番号を呼び出し通話ボタンを押しそうになった。
それでもあっちからかけて来ない限りこっちからかけてやるもんか。向こうから求めてこない限り、こっちからも絶対かけない。
もしかしたら今日掛かってくるかもしれない。いやもしかしたら明日。
そう思ってたら10日が経った。
もしかしたら、もしかしたら。思うばかりで携帯電話が手放せない。だがしかしこれではまるで携帯依存症の中学生だと鼻で笑う余裕もない。
「さっさと会いに行けばいいネ」
「でもよォ…」
「意地は張った方が負けネ。折れてやるのが大人の対応ヨ」
「………」
年下に大人の対応を解かれるとは。済まし顔の神楽を見ながら、金時は携帯を握りしめた。
その日の夜、金時は高杉に電話をかけた。
「もしもし」
『あぁ』
「久しぶり」
『あぁ。どうかしたか?』
「んー…」
金時が曖昧に言葉を濁しているとき、電話ごしに高杉の部屋のインターホンが鳴った。
『…誰だ、こんな時間に…』
金時の仕事が終わった深夜だ。真夜中の訪問者に高杉が舌打ちして不愉快そうな声を零した。
「出ねぇの?」
『無視だ。こんな時間に来る馬鹿知らねぇ』
「出てよ」
『はァ?』
「出ーてー」
『………』
溜め息混じりの声と人が動く気配が伝わってくる。
金時の前の扉が開いた。
『「あ?」』
電話と直に響く声が重なる。
不機嫌そうに刻まれた眉間のシワが消えて、無防備な色をした瞳が丸く開かれた。
「会いたかった寂しかった先生大好き!!」
「わっ…」
目の前の人に抱き着けばアドリブに弱い彼の身体が傾いた。愛しい人がしたたかに身体を打ち付けないように金時は両腕でそれを支えた。
金時の手から落ちた新しい携帯電話が悲鳴をあげる。背後でドアが閉まる音を聞いた。



(本当は分かってた。仕事前の電話を受けてくれるのも深夜の電話に付き合ってくれるのも先生の愛だって)
(なんて不器用で可愛い俺の愛しい人!)



(まぁこの2秒後、俺は先生に全力で殴られたけどね!)