ぬかった。金時は心のそこから今日に至るまで「それ」を高杉に尋ねなかった自分にむけて、恨み憎みありったけの罵詈雑言を心のなかでぶつけ震えていた。
その横では高杉が店員にビールを追加注文している。安いチェーン店で特別おいしいわけでもない料理をつまみながら、まだ残っているジョッキのビールを呷る高杉を見て、改めて金時は溜息を吐いた。こんなつもりじゃなかったのに。



「先生ってあんまりビール似合わないよね」
珍しくデートの誘いに乗ってくれた高杉を、本当ならばもっといい店に連れていきたかった。けれど、遠出するのも堅苦しいのも面倒くさいそれなら帰ると高杉が言ったので目に入った適当な居酒屋に2人は入った。それなりに混んでいて、2人が入店したあとからは待っている客もできている。ギリギリセーフと金時が安堵していると、高杉は金時の意見など聞きもせずに生ビール2つと適当なつまめる料理を頼んでいた。
程なくして運ばれてきたビールでなんとなく定番のように乾杯をする。明日からお盆休みだという高杉は珍しく上機嫌で、いつもより酒を呷るペースが早い。ジョッキを片手に持つ姿を初めて見るわけではないけれど、高杉の機嫌がいいと金時も幸せな気持ちになれる。だからつい、余計なことを言ってしまうのだ。
金時の言葉に、高杉は口を付けていたジョッキを狭いテーブルの上に戻した。そしてどういう意味かと目で問いかけてくる。それを受けて金時はいつもよりチャックの緩くなった口を開いて滔々と言った。
「なんつーか、先生はワインとか優雅に揺らしてるほうが似合うっつーか、ね? カッコつきそうじゃん」
「んなこと言われてもオレだって普通にビール位飲む」
「なんだろう、今の季節にピッタリのビアガーデンとかで花火バックにかーっとやってるより、ベルベットのカーテンとかがある部屋で静かに凛としてたほうが似合う、秋とか冬とかな感じ」
「オレは夏生まれなんだがな」
「えっ」
さらりとこぼされたパーソナルデータに金時は思わず食いついた。普段、高杉はあまり自分のことを語らない。基本的に聞けば教えてくれるのだが、一気に質問すると面倒くさくなるらしく答えてくれなくなる。下手すると着信拒否や受信拒否、家に上げてくれなくなる等の処置をとられるので慎重に探って行かなければならないのだ。今ほろりと零されたこのチャンスを逃す金時ではない。
「いつ? 先生の誕生日っていつなの?」
つくり話の中ならば、今後の展開は容易く予想ができただろう。しかし金時は今それどころではなかった。愛する人のことを少しでも知りたい。ただそれしか考えていなかった金時は返って来るであろう言葉など、欠片も予想しなかった。高杉の唇が動く。
「今日」
「…へ?」
「今日。8月10日」
「……」
さらりと告げて高杉はまたビールを呷る。運ばれてきた料理の為に料理をどかしてスペースを作る高杉を見ながら、金時は瞬きを繰り返していた。彼は、高杉は今なんと言ったのだろう。金時は今しがた鼓膜を揺らした言葉を脳内で反芻する。
今日、8月10日。
「ハァァァァア?! ちょっ、聞いてないんですけど!!!」
「言ってねぇし」
「ちょっ、待っ、えええええ、そんな、ちょっ、誕生日だったらこんなとこじゃなくてもっといい夜景の綺麗なレストランでおいしいワインとかなんかそんなん用意させて薔薇とかなんか雰囲気出るもの送ってプレゼントだって奮発しちゃったのに、それ言うのがなんで当日ゥゥゥウ??!!!」
「うるせぇな。別にんなもん望んじゃいねーんだよ。つーか、てめぇが変なこと言わなきゃ言う気もなかったし」
「酷い! 先生酷い!! オレは先生の誕生を心の底から祝い申し上げてそれこそ先生の聖母と聖父に先生という至宝の存在をこの世に生み出してくれたことに対する感謝の念を捧げ奉る所存だったのに黙ってるつもりだったとか酷い! そしてオレグッジョブ!! 思ったこと言って良かった!!! 先生お誕生日おめでとう! 生まれてきてくれてありがとう! 愛してる!!」
「うるせぇっつってんだよ、黙れよクソ金パ」
はい、申し訳ありませんでした。素直に謝って金時は身体を小さくした。金時に反抗の意思はない。惚れた弱みというものを実感する余裕もなく、ただすべては彼の、高杉の思うままにと絶対服従を誓う。
そんな金時を高杉がどう思っているかは定かではないが、おとなしくなった金時に一瞥をくれて、何気なく口に入れたたこ焼きの美味しさに気をとられている。そんな高杉を見ながら、金時は自分のジョッキのビールを飲んで唇を尖らせた。
「オレの先生の誕生日を祝いたかったっていう気持ちのやり場はどうしたらいいんだよ…」
「ガキじゃあるまいし、誕生日会って年でもねーだろ。まぁ気持ちだけは受け取っておいてやる。ありがとよ」
この件はもう終わりだと言わんばかりに高杉はそれで打ち切ろうとするが、それで納得する金時ではない。気持ちも大事だと思うが、金時は行動でもその気持を示したかったのだ。年に一度しかない高杉の誕生日という日を、金時が持ちうる限りの気持ちとできる限りの行動でもって祝いたかった。
すっかり意気消沈した金時など気にもとめず、高杉は自分のペースで酒を飲み、料理を追加している。
大学生の団体が入った店は一気に騒がしさを増し、それに気を損ねた高杉は早々に店を出ることを決めた。代金は金時が支払った。普段は割り勘であることが殆どだが、誕生日位おごらせて欲しいと頼めばそれでオマエの気が済むのならと高杉は常に無くあっさりと引いた。気にしていないようで金時のことは一応気にしてくれていたらしい。飴と鞭の使い分けが金時好みで、だからこの人が好きなのだと少し回復した金時は調子に乗って誕生日にはケーキが付き物だと言い出した。
しかし時刻は22時を回っている。こんな時間まで開いているケーキ屋など存在しなかった。そのためコンビニの小さなケーキで妥協したのだが、あんまりにも残念なケーキに金時の気分は再び下降曲線を描いていた。
「…めんどくせーな、てめぇはよ。っつかこんな時間にケーキとか太るじゃねーか。馬鹿か」
「だってケーキは必要だろ…。あーもう絶対ホールで豪華なケーキかおうと思ってたのにコンビニケーキとか、本当…ないわ…。オレ泣きそう」
「なんでオマエが泣くんだよ意味わかんねーこと言ってんじゃねぇ」
金時が入れた紅茶を飲みながら高杉はケーキを一口、また一口と小さくしていく。そんな高杉を恨めしく見ながら金時もケーキを口に運んだが、思ったよりもそれは美味しかった。甘いものにはこだわりのある金時は今まで買ったことがなかったのだが、コンビニのケーキは侮れないことを知った。だがそれとこれとは別問題だ。
落ち込み続けている金時は気づかなかったが、高杉はちらりと時計に目を向けていた。23時16分。今日という日が終わるまで、あと1時間を切っていた。
「金時」
「な、」
に、という言葉は高杉の唇に阻まれて紡げなかった。高杉に呼ばれて顔を上げればいきなり唇を塞がれたものだから、金時は目をとじるのも忘れて一瞬固まった。我に返ってその唇を貪ろうかという絶妙のタイミングで、高杉は離れていく。
「んなに気にすんだったら今年のプレゼントはとりあえず、オマエでもいいぜ」
それは、どういう、意味で。大人の時間キタコレと思わず立ち上がった金時に高杉は妖艶な笑みを浮かべてみせた。
「先生オレを貰って!!!」
「じゃあとりあえずケーキ食うのに使った食器洗ってこい」
「わかった!!」
いいように使われているような気がしなくもなかったが、金時は今それどころではない。ちゃっちゃと洗い物を済ませるとソファに移動した高杉に期待を込めて視線を送る。
「ご苦労」
頭を撫でられて金時は満面の笑みを浮かべた。それを受けて、高杉も金時に笑いかける。それだけで金時はごまかされそうになったが、いい年した大人がこれで終わりなわけはないだろう。これで終わらせそうなのが高杉晋助という男だ。
「せ、先生。ちょっ」
「まだなんか?」
食い下がったために向けられた視線に、金時は怯んだ。これはいい加減鬱陶しいと思っている目だ。金時は学んでいた。高杉がどういう気分のときにどういう反応をするのか。仕事で培った能力を最大限に活かして金時は対高杉対応マニュアルを自分のなかで作り上げていた。
この目をされた以上、コレ以上は望めないのだろう。折角いい大人が自分をプレゼントしたというのに、高杉はちっともアダルティな気分ではないのだ。
目は口ほどに物を言う。金時は高杉と一緒にいてそれを学んだ。そして、諦めが肝心、ということも。
「…先生」
「なんだ」
「ちなみにオレの誕生日は10月10日なんだ」
高杉の誕生日はもうすぐ終わりを迎えてしまう。だから諦めた金時は次にくるであろうイベントに目を向けた。
「プレゼントでもよこせってか」
「いや、んなのオレも用意できなかったし要らないんだけど、ただ、おめでとうっつって欲しいなって」
なんて、口にしてからちらりと高杉の様子を伺う。高杉は感情の読めない瞳で金時を見つめている。これは、イエスノーどちらなのだろう。どちらのパターンもあり得る展開だ。しかしこれはヘタに口を出すと確実にノーがくる。過去の経験則から金時は高杉の反応をじっと待った。
高杉が小さく笑う。
「覚えてたらな」
「近づいてきたら毎日電話するから」
「うぜぇ。着拒する」
「酷い!」
悲鳴のような声をあげれば高杉が笑った。これは、イケる。OKの顔だ。心のなかでガッツポーズをして、金時は高杉の横に座り込んだ。そっと肩を抱き寄せる。
「来年はちゃんと準備するから」
「ハードルは上げないほうがいいんじゃねぇか? まぁ期待はしないで期待しといてやるよ」
「どっちだよそれ」
ニヤニヤと笑う高杉を見ながら金時も笑いを堪えられなかった。高杉は自分の言葉の意味を理解して言っているのだろうか。高杉のことだ。適当なことは言うが、無責任な事は言わない。ちゃんと金時がどう受け止めるかまで理解した上で言っているに決まっている。
「…先生の誕生日なのに、なんかオレがプレゼントもらった気分」
「なにもくれてやってねぇよ」
「目に見えるものがすべてじゃあないんだって」
「知ったような口を」
薄く笑う高杉の頬に、額に、瞼に金時がキスをしても、高杉は怒らなかった。やはり高杉は分かっている。自分が金時に何を言ったのかを。
「先生、大好き愛してる」
「知ってる」
唇に幾度と無くキスをしながら囁けば高杉は当然と言わんばかりに返してくる。高杉の手が金時の髪を撫でる。優しく、壊れ物に触れるような繊細さだった。本当に、これではどっちが誕生日だか分かりはしないと思いながらも、金時は与えられるがまま、高杉の愛を享受した。



(先生、Happy Birthday! 来年の誕生日も、オレは先生と一緒にいるんだね!)