深夜の一般道一台の赤いスポーツカーが走っていた。歌舞伎町No.1ホスト、坂田金時の車だ。
何処を走るにも人目を引くその車は決して金時の趣味ではない。
『金ちゃんちっともNo.1っぽくないネ。金ちゃん自身はいくらやってもたかがしれてるから、せめて持ち物でカッコつけるネ』
と、パトロンが用意してくれたこの車は勝手に金時名義でローンが組まれていた。
『頭金は払っといたげたヨ』
真っ赤な新車にもたれてニッコリと微笑んでくれた彼女に、金時はもう渇いた笑いを浮かべるしかなかった。
月々のローン返済額と期間なんて聞きたくもない。
『これで可愛い女の子隣に乗っけるヨロシ』
親指を立ててそうも彼女は言った。その言葉通り、客の女の子を乗せたこともある。
けれど、今助手席に乗っているのは愛らしい女の子などではなかった。
金時は赤信号を気にしながら自分の隣に座る人を覗き見る。目は合わなかった。窓の方を向いてしまっているため、横顔すら見えない。
今無言で助手席に座っているのは可愛い女の子ではなく可愛いげのない男だ。高杉晋助。
高校で教師をやっている彼から金時に届いた一通のメールが今の状況を作り出した。
『出来るなら今すぐ来い。無理なら仕事終わりすぐにでも来い。来なかったらもう俺の側にてめぇの居場所はないと思え』
そんな脅迫めいたメールの文面を思い出し、金時は溜め息をついて変わった信号に合わせてギアを入れた。
たまに高杉から深夜呼び出しを受ける。ご自慢のその車で自分を何処かドライブに連れていけと彼は言うのだ。
初めてそう言われたとき、金時は喜んで彼を助手席に乗せ、夜景の綺麗な道を選んで走った。仕事柄、そういったものは既にリサーチ済みでたいしたことではない。
色々と話しかける金時に高杉は言った。
『うるせぇんだよ。てめぇちょっと黙ってろ』
『…はーい』
不機嫌そうに一瞥され、金時は黙り込んだ。
しばらくして余りにも反応のない高杉の様子を金時がそろそろと伺えば、高杉は小さく寝息をたてていた。
同じことを何度か繰り返して、金時は学習した。
高杉はどうやら眠れない夜に金時を呼び出すらしい。適当に車を走らせて眠る。決して金時とドライブをしたいだとか夜景を楽しみたいだとか、そんな理由ではないのだ。
金時が高杉のもとを訪れたとき、高杉が素直に出てくるときはまだいい。
呼び出しておきながら待っている間に眠くなったらしく、金時が高杉の家に着いたときは寝ていて、家に入れてもらえないことすらあった。
さすがにそのときは文句を言ったが、そんなことをされても基本的に文句も言わず毎度呼び出しに応じる金時は惚れた弱みとやらを痛いほど感じている。
どうせ何処を走っても寝てしまうのだからと金時は民家すらないような道を走っている。
殆ど信号などないため停まらずに済むという理由で走っているのに、稀にある信号で引っ掛かり、金時はハンドルに顎を乗せると溜め息をついた。
こうして停まってしまうと、なんでこんなことをしてるのだろうと考えてしまう。
見返りどころか、感謝の言葉の一つもないというのに。
「俺ってばマジ健気ー」
「………あ?」
無意識にこぼれ落ちていた独り言に反応があり、金時は目を丸くして声がした方を向いた。
窓の外に向けられていた顔がゆるりと動いて金時に向けられる。その目は眠たげで逆に攻撃性を増しているような気さえしてくる。
「なんか言ったか?」
「んーん、何も」
金時が敢えてわざとらしい笑顔を作れば高杉は苛立ちを隠そうともせずに眉を寄せた。
信号が変わり、金時はごまかすように前を向くと車を発進させる。
「…んだよ」
高杉は睨むように金時の横顔を眺めていたが、小さくそう呟いて眉を寄せたまま目を閉じた。
まさか返事があると思っていなかった金時は下手なことを言わなくて良かったと安堵する。
どうやら高杉は金時の声に反応しただけでその内容までは聞き取っていなかったらしいが、愚痴を零していようものならきっと敏感に反応したに違いない。
(あっぶねぇー…)
迂闊に下手なことは言えない。
金時はハンドルを握り直して、そろそろ帰路につこうかとUターン出来る場所を探した。
ちらりと、高杉を見る。
普段高杉は窓の外を向いたまま寝ているため寝顔を拝めるのは高杉のマンションに着いてその身体を担ぎあげる前と、ベッドに転がしてなお無防備に眠りこけているときくらいだ。
「…悪戯しちまうぞー」
先ほどと同じ声量で呟いてみるが、今度はもうなんの反応もなくラジオに混じり静かな寝息が響くだけだ。
「………」
車を脇に停める。金時は自分のシートベルトを外して高杉の方に身を乗り出した。
そっと手を伸ばして白い頬に触れる。黒髪がさらりと金時の指先を撫でた。
親指を伸ばして薄く開かれた唇を撫でれば少しかさついていてざらざらと引っ掛かった。
金時はもう少し身を乗り出して、その唇に己のものを軽く重ねた。
触れるだけ、啄むような戯れの口づけは一度だけで、鼻先がぶつかりそうな距離で閉じられた瞼を見つめると、黒い前髪を指先で除けて現れた額にも唇を軽く押し当てる。
そうして身を離すと傾いていた高杉の身体を真っ直ぐに直し、座席の背もたれを少し倒した。
変な体勢で、身体が痛くならないように、風邪を引かないように金時の上着をかける。
そこまでして、金時は高杉を今一度見下ろした。
高杉に目覚める気配はない。悪戯なんてとてもじゃないが出来やしない自分の意気地のなさに金時は眉を寄せ溜め息をつくしかない。また安らかな寝顔と自分の献身さにも。
「好きでやってっから、いいんだけどね」
名残惜しむように指先を黒絹に絡ませて、金時はハンドルを握り直す。
そして真っ赤な揺り篭は帰路についた。



(無防備な君に手を出さないのは、嫌われるのが怖いから。愛されたり己の欲を満たすより、君に嫌われない方が大事なんだ)



(ホントは好かれたいけどね)