金時は走った。ぶつかりそうになった看護師に小さく謝罪して彼女の小言を聞き流す。
目的のピンクの髪を見つけて足を止めた。金時の荒い呼吸とは対照的に、視線の先で神楽は静かに振り向いた。
「早かったネ」
「………っ、高杉は…!」
取り乱し、叫んだ金時に神楽は落ち着いて唇の前で人差し指をたてた。
「病院では静かにしなきゃダメヨ」
「いいから答えろ…っ!」
「………」
容赦なく肩を掴む手に神楽は表情を消すとその手を払い落とした。刺すような声で金時に問い掛ける。
「私のせいだって思ってるアルカ?」
「偶然な訳ねぇだろ…」
「そうネ。確かに偶然じゃないネ」
その言葉に目の色を変える金時を見つめ、神楽は薄く笑いながら言った。
「今日の狙いは最初からあの子ネ」
「…は?」
「私に手を出す馬鹿はいないヨ」
目を瞬かせる金時に、神楽は笑みを深くする。細い指先を金時の頬に這わせて動揺に揺れる瞳を真っ直ぐに見つめた。
「金ちゃん、自分が思うより敵対組織の脅威になってるネ。消したい。けど金ちゃん私のペット。手を出したら私が黙ってない。でも疎ましい。そんなときあの子現れたネ」
「………」
「あの子に何起こっても、私別に怒らない。敵も私のことよく分かってるネ」
あっさりと言う神楽に金時はその場に座り込んだ。
そんな金時を見下ろして神楽は追い打ちをかけた。
「あの子こんな目に合わせたの金ちゃんネ。金ちゃんがあの子に関わらなければ、あの子は―――」



高杉はベッドに座り、窓の外を眺めていた。躊躇いがちに扉を叩く音にそちらを向いた。
「はい」
「…高杉」
がらりと慎ましげに開かれた扉から金時が姿を表した。
伏せられている金時の目が胸中を表すように彷徨う。微かに揺れている睫毛が頼りない。
「金時」
「高杉…、高杉、俺…」
「んなとこ突っ立ってねぇで、こっち、来いよ」
「………」
促されるまま、金時はふらりとベッドの横まで来た。
高杉の目は金時を映しているのに、金時の目は床に向けられている。
「金時」
呼び掛けて、高杉は金時の手を引いた。その手には白い包帯が巻かれていて、金時の眉が寄る。
高杉は歩道に突っ込んだ車にはねられた。運が悪かった。それで片付かないことを知っている金時はやる瀬ない思いで胸が締め付けられる。
「高杉、俺…」
なかなか口を開かない金時に高杉はぽつりと言った。
「…ピンクのやつに、話、聞いた」
「!」
思わぬ言葉に金時は目を見開き、ほとんど反射的に頑なに目を逸らしてきた高杉を見た。そして現実を目の当たりにする。
金時を見上げる高杉の顔の左側は包帯で覆われていた。
事故で、高杉は左目を負傷した。もしかしたら失明しているかも知れないと医者は言った。
金時のせいで、高杉は17歳にして世界の片方を失うことになるのだ。
「…っ、ごめん…」
涙が言葉と同時に零れ落ちて、金時はその場に崩れ落ちた。
沸き上がる謝罪の気持ちをそのまま織り上げて、金時はただひたすらに泣き続けていた。



病室を後にして、金時は駐車場に停まっていた場違いな高級車の窓を叩く。
開いた窓の向こうの人はゆったりと微笑んだ。
「もういいの?」
赤く腫れた目には触れず、神楽は問い掛けた。
だが金時はそれに答えず逆に尋ねた。
「黒幕は誰だ。分かってんだろ」
黒く沈んだ目に、神楽は無礼を咎めることもなく微笑を湛えたまま応じた。
「分かってるヨ。けど金ちゃんには回さないネ」
「なんで」
「今回の件は私にとってただの事故ヨ。私のシマが荒らされた訳でも、私自身になにかあった訳でもない。そんなことに、金ちゃんは使わない」
「神楽」
「それにもうバカ兄貴に回しちゃったネ。たまたまあのバカが関わってる件だったヨ」
ニッコリと神楽は笑う。
「だから、金ちゃんに出番はないヨ」
それは最後通牒で、この件に関してこれ以上深入りすることを禁ずる笑みであった。
金時が自力で調べ上げることは可能であったが、それは神楽の逆鱗に触れることになる。
それきり、金時がこの件に関わることも、高杉に関わることもなかった。
金時はさよならの一言も言わず、高杉の前から姿を消した。



それから3年の歳月が過ぎた。金時は変わらず神楽のもとで、ホストをしながら生きている。
「金さん、今日から新しい子入りますよ」
「ふーん」
新八の言葉を適当に聞き流していた金時は、後の言葉をろくに聞いてはいなかった。
集められたホスト達の雑談で騒がしい店内で、金時は髪先を弄んだりしながらぼんやりとミーティングが始まるのを待っていた。
「どんなのが入りますかねィ」
「さぁなァ。まぁ、どんなんでもいいんじゃね?」
入って日が浅い沖田が声をかけてくる。こいつは本業は警察で、潜入捜査なのだと神楽が言っていた。
ばれているのを分かっているだろうに顔色一つかえない飄々とした様子で、ホストも本業の仕事もこなしているが、金時はその度胸を認めて見て見ぬふりをしている。
新八が手を叩いて場を沈めた。金時はいまだどうでもよさそうに自分の爪先を眺めたりしていた。
「はい、じゃあミーティング始めます。今日は新入りの紹介から…って、金さん、聞いてるんですか」
余所を向いている金時を見咎めた新八が声をかける。
「聞いてる聞いてる」
「全く…。気を悪くしないでやってね。知ってると思うけど、あれがうちのNo.1」
「宜しくー」
金時は相変わらずそっぽを向いたまま手だけを振った。
新八はもう金時の態度を咎めたりせず、他のホスト達に意識を向けていた。
「えっと、こちら、新入りの晋助くんです」
その言葉に髪先を弄る手を止め、そちらに目をやった。
3年間、片時も忘れることのなかった姿が重なる。
あの頃の無邪気さはなりをひそめ、少し長い前髪が顔の左側を隠し、見えている右目は鋭く凛々しい。
「…高…」
「晋助です。宜しく、お願いします」
金時がその名を呟くよりも先に、高杉は簡単な挨拶をすませ小さく頭を下げた。
その日神楽が店に来た。普段は金時にだけ接客をさせるくせに、今日はわざわざ新入りのホストをヘルプにつけた。
「驚いたアルカ?」
いたずらが成功した子供のように笑う神楽はヘルプに呼んだ高杉の肩を抱きながら金時に問いかけた。
「どういうことだよ」
「どうって…。この坊やも私たちと同じ世界に足を踏み入れたってことネ」
事故での入院中高杉は神楽に頼み込んだと言う。
「実は怪我が治ってから今まで、バカ兄貴に弟子入りさせてたネ。先日やっとこ独り立ちさせてもいいって連絡来たから引き取ってきたヨ」
「んな…」
言葉もない金時に神楽はただ微笑んでいる。金時はちらりと神楽に寄りかかられている高杉に目をやった。
3年という歳月の間で、大分雰囲気が変わったように思う。研ぎ澄まされた冷静さだけが伝わってくる。同業の匂いだ。
「俺のせい…」
「うるせぇな」
絞り出すような声は高杉に掻き消された。すっと向けられた右目が金時を捕える。
「これは俺の意思だ。てめぇにとやかく言われる筋合いはねぇ」
「高杉…」
「俺は俺の意思で、この女からてめぇを奪い取る」
強い意志だけを湛えた言葉は有無を言わせぬ力があった。
高杉はいまだ肩に凭れている神楽に目を向けた。
二人の視線が絡み合う。一歩も譲らない両者を金時は見守っていた。
神楽の赤い赤い唇が開いた。
「受けてたつヨ」
奪ってごらん、出来るものなら。



END.