傘をさしたまま、もう片方の手で器用に定春を抱く神楽を高杉は訝しげに見つめた。
「てめぇは金時のなんなんだよ」
そんな高杉を見つめ返しながら、神楽は笑みを形作っていた唇を開いた。
「私は金ちゃんの飼い主ネ」
「飼い主?」
高杉は眉を寄せて問い返したが、神楽はそれに答えず言葉を続けた。
「君は金ちゃんのこと何も知らないネ。お互いのことを知り合わないとフェアじゃないでしョ?だから私が君に金ちゃんのこと教えたげるヨ」
「いい。俺は金時に金時の口から聞く」
そう言って高杉は神楽の横をすり抜けようとした。が、傘を捨てた手に腕を掴まれそれは叶わなかった。
振り払おうとしたが、神楽は笑みを浮かべたままそれを許しはしない。
その細腕の何処にそんな力があるのかと高杉は腕に走る痛みに眉を寄せて思う。
「私が話してるネ。いなくなっちゃヤーヨ」
子供が駄々をこねるように眉を下げ唇を尖らせる様はわざとらしい。
だがこんなやりとりの間も神楽の指先の力は強くなっていくばかりだった。
「…っ、わかった、聞けばいいんだろ。手ェ離せ」
「離したら逃げない?」
「逃げねーよ」
その言葉に満足したのか、神楽はにっこりと笑うと高杉の手を離し、落とした傘を拾いあげた。
鈍い痛みを訴える腕を押さえながら高杉はじりと神楽から距離をとった。本能がとらせた些細なその行為を神楽は咎め立てる事なく見逃してやった。
「で、なんだよ」
「…なんの話してたアルカ?あぁ、金ちゃんのことは金ちゃんの口から聞くってやつアルナ。ムリムリ、あの意気地無しは君に自分のことなんて絶対語らないネ」
「なんでんなこと言えんだよ」
明らかな金時への侮辱に高杉が異を唱える。高杉の反応に神楽は笑みの種類を変えた。
「私が金ちゃんの飼い主だからネ」
だから飼い主ってなんなんだ。
高杉がそう言い返そうとしたとき、合った目の冷たさに言葉は音にならず消えうせた。
対して神楽は淡々と続ける。
「金ちゃんは君に嫌われるのを恐れてるヨ。だから自分が君の知らないところで何をしてるのか言えないネ」
「…そりゃホストなんだから、俺に言えないことくらい…」
あるとは思いたくないが、目の前の神楽が余りにも落胆の色を見せるのでそう弁護したくもなる。
神楽が何を言おうと自分さえしっかりしていれば、揺らがなければいい。気丈に振る舞おうとする高杉を、神楽は薄笑いを浮かべながら見つめた。
「この街は、歌舞伎町は私の庭ネ」
そして高杉と距離を詰める。
急に話題が変わったことに高杉はすこし戸惑いを見せたが神楽は気にせずまた傘を手放し空いた手でピストルを作り高杉の眉間に寄せた。
「金ちゃんは私の犬。ホストなんて、別にどォーでもいいネ。辞めさせたって構わない。金ちゃんの本当のお仕事はネ、この街を汚す奴らを掃除することヨ」
バンッと打つ真似をした神楽は悪戯に笑った。
「な…んだよそれ。そんなの、そんな話」
信じるわけがない。頭おかしいんじゃねぇか。金時は、だって金時は。
「…っ」
脳内を巡る言葉は何一つ声にならず、高杉はただ神楽を見つめ返すことしか出来ない。
神楽はただ笑っているだけなのに、今まで感じたこともないような空気が周囲にわだかまり、見えない枷を嵌められたような錯覚に陥る。
「別に信じてくれなくてもいいヨ」
神楽はさらに一歩距離を詰めて、二人の間を限りなく零にした。
「君面白いネ」
くすくすと笑いながら神楽は高杉の後ろに回り、手袋に包まれた指先を高杉の顎に添わせた。
高杉は動かない。ただ目だけを神楽に向けて睨みつけていた。
「私の目をじっと見てられたのは賞賛に値するネ。あぁ…、逸らせなかっただけカナ?まぁそんなのはどっちでもいいヨ」
神楽は顎に添わせていた指を肩に回して、高杉の黒髪が神楽の赤い唇に触れるか触れないかまで近付いた。
吊り上げた唇を耳元に寄せて囁く。
「最初に言ったヨ。今日は私忠告しに来てあげたダケネ」
そう言って悪戯に吐息を吹き掛け、神楽は高杉から身体を離した。
そのまま軽やかな足取りで落ちていた傘を拾い、閉じた。
「金ちゃんは君のこと好きネ。君も金ちゃんのこと好き。だけどネ、金ちゃんと君は生きる世界が違いすぎるヨ」
高杉はずっと神楽を見つめている。その一挙手一投足を目に焼き付けていた。
警戒もしている。だが。
「だから、中途半端な気持ちで側にいると、」
振り向いた神楽が傘の先で高杉を衝いた。
それは彼女にとって本当に軽い力で、高杉にとってもたいしたダメージにはなりえないものだった。
伝わった衝撃に、少したたらを踏んだだけだ。
高杉の視線の先、神楽は深く冷たい目をして言った。

「死んじゃうヨ」

轟音が響いた。次いで女の悲鳴が上がる。男の叫びも響いた。
俄かに辺りが騒然となる。
混乱の中心では猛スピードで歩道に突っ込だ車が建物にのめり込んでいた。
騒音のなか、神楽は感情のない瞳で目の前の光景を見つめていた。
一歩も動いていない彼女の爪先に、絶望の色が広がっていた。