あの雨の日、野垂れ死にしそうなやつを拾ったのはただの気まぐれ。
そんな綺麗な金髪じゃなかったら、私は金ちゃんなんて拾わなかったかもネ。
どっちが金ちゃんにとって良かったのかなんて、私は知ったこっちゃないけど。



「高杉に何したんだよ」
低く怒りに満ちた声が舞う。
神楽はそれを聞き流しながら手にしているシャンパンのグラスを傾け弄んでいた。
「…何って?」
笑みを作る唇で神楽は言葉を紡ぐ。わざとらしい演技に目の前の椅子に座っている金時は苛立ったように目付きを鋭くした。
「昨日、高杉と会ったのはなんのつもりだって聞いてんだよ」
押し殺しきれていない感情に神楽はそっと目を伏せて、再び開きながら金時に目を向けた。
「誰に口聞いてるネ」
冷た過ぎる視線は金時を射抜く。それでも金時はすくむことも怯むこともなく神楽を見つめていた。
神楽は金時から目を離し、唇と同じ色をしたチェリーを摘みあげる。それに唇を寄せてまた金時に目をやった。
「別に。何もしてないヨ。ただちょっとお話しただけネ。あの子素直ないい子アルナー」
「神楽」
わざとらしい演技ががった笑みを浮かべてチェリーを含んだ神楽に金時の厳しい声が飛ぶ。
神楽はムッとつまらなそうに唇を尖らせ、背もたれに寄り掛かると細く長い足を振り上げて組み直した。
「…本当に何もしてないネ。定春が逃げちゃって、あの子にじゃれついてたヨ。珍しいアル。あの子が他人に懐くなんて」
そう言いながら種を出す。そしてシャンパングラスにまた手を伸ばし、口を付けた。
叱られた子供のようにふて腐れて拗ねてみせる神楽を、金時はその真意を探るように見つめていたが、ふいと目を逸らし深く息を吐いた。
神楽は嘘を吐いていない。金時に告げた言葉は現実だ。別に嘘を吐くことに罪悪感を覚えるような人間ではないが、闇雲に意味のない偽りを紡ぐ人間でもなかった。
安堵に少し脱力した様子の金時を見ながら神楽はとりとめもなく出会いの日を思い出していた。



小雨が降る街を神楽は車の後部座席から眺めていた。
隣には今日買った服や物が無造作に置かれている。トランクに入りきらなかったものだ。
太陽光が苦手な神楽を代わりに照らし輝くネオンにはなんの魅力も感じない。
そのため神楽はつまらなそうに人混みに阻まれ流れない景色を目に映している。
ビルの隙間、チカッとほんの一瞬だけ瞬いた光に神楽は目を留め、止める声も聞かず車から降りた。
足元で水が弾ける。一歩ずつ闇のなかに足を進めた先、その男はいた。
壁にもたれる全身は雨に濡れ、泥に塗れボロボロだった。微かに上下する腹部が灯のような生を主張している。闇に埋もれ、今にも消えてしまいそうな命をその身に留めながらそのくせただ一点金髪だけが宙を舞う光の残滓を反射し煌めいている。
綺麗だと思った。素直に。目を離せない。これが欲しいと神楽は思った。
「ねぇ」
「………?」
神楽の声に閉ざされていた瞼が震え、ゆっくりと開いた。
それを覗き込んだ神楽は子供のような笑みを浮かべながら問い掛けた。
「おまえその髪は地毛アルカ?」
そして神楽は答えを待った。微笑みを湛えたままじっと死にかけのような男を見つめた。
男の唇が小さく震えた。
「…誰…?」
次の瞬間、男は神楽の視界から消えた。神楽は落ち着いて数m先の地に伏せている男に目を向け、ゆっくりと彼を蹴り飛ばした足を下ろす。
それからまた距離を縮め、また足を上げると水溜まりに浸かっている頭をヒールで容赦なく踏み付けた。
「ぐ…っ」
「質問してるのは私アル。答えるのはおまえネ。もう一度だけ聞くヨ」
その髪の毛は地毛?
静かな声が路地裏に響く。男を踏み付け見下す神楽の目は雨よりも冷たかった。
驚愕に見開かれている男の目は神楽に捕らえられ逃げられない。
観念したように男の唇がゆっくりと開いた。
「…地毛だよ…。生れつきだ」
「そう。気に入ったヨ」
やっと得られた返事に神楽は微笑み、さしていた傘を手放した。
服の裾が汚れるのも気にせずにしゃがみ込むとシルクの手袋に包まれた手を男に伸ばした。頬を包み、真正面から顔を覗き込んで笑った。
「今日からおまえは私のものネ」
「…は?……っ!」
抵抗されては面倒臭いので一撃を加え神楽は男の意識を奪った。
車に押し込んで連れて帰り、その世話を使用人に任せ、神楽は今しがた拾ってきた男の身元を調べさせた。
10分後には簡単な男の履歴書が届き、神楽は愉しそうにそれに目を通した。
坂田金時、唯一の縁者である養父を亡くし天涯孤独の身の上で上京した美大を目指すフリーター。あてもなく上京したはいいが、金が尽き、どうしようもなくなっていたらしい。付いている傷はあの風貌ゆえにチンピラにでも絡まれたのだろうか。
「美大、ねぇ…」
今度何か書かせてみようかと考えながら、神楽は金時に与えた部屋に向かい、その扉を開けた。
「痛…!」
「あら…?気が付いたアルカ」
神楽が無造作に開けた扉に頭をぶつけたらしい金時が頭を押さえてうずくまっている。
なんでもないように声をかければ、金時がしゃがみ込んだまま目だけ上げ神楽を睨み付けた。
「…あんた、誰だよ」
「質問にはちゃんと答えるよう言わなかったアルカ?」
すっとスリットから白く綺麗な足をあげれば金時が顔色を変えた。蹴り飛ばされた記憶はあるらしい。
即座に気が付いたと答え、それから改めて神楽に問い掛けた。
「あんた、一体なにもんだよ。俺をどうするつもりだ」
「私はただの小娘ネ。おまえみたいに小汚いのなんて別にどうもしないヨ」
金時の様子など気にもかけず神楽はまた入ってきたばかりの扉に手をかけると思い出したように、食事の支度が出来ているからおいでと振り返り笑った。
金時の前に並べられた彼が今まで見たこともないような豪勢な食事に、金時は警戒に満ちた目を料理と神楽に交互に向けた。
「早く食べるヨロシ。冷めたら美味しくないヨ。まぁ、また作り直させるからいいけど」
なんでもないことのようにそんなことを言ってのけた神楽に、金時は警戒を続けながら空腹に負けシルバーに手を伸ばした。
「…いただきます」
久しぶりの温かな食事にありつく金時を神楽は愉しそうに見つめていた。
ちらちらと神楽の様子を伺っている金時に気付いているだろうに、気を悪くする気配はなくただ微笑んでいる。
「ねぇ、金ちゃん」
「…?」
名乗った覚えがないのに名を呼ばれ、金時は手を止めて警戒を強めた。
神楽は涼しげな顔をして言葉を続ける。
「さっき私が言ったこと覚えてる?」
「?」
愉快そうに笑いながら、神楽はゆっくりと言った。
「おまえはもう、私のものヨ」