俺が金時と初めて会ったのは、平日昼間の公園の片隅。
普段そんな時間にそんなところを通らないし、金時もまたしかりだ。
だから俺らの出会いは運命と呼ぶに相応しいのかもしれない。
たとえそれが痛みを伴うものだとしても。



穏やかな昼下がりの公園は秋の匂いがした。
高杉は視線を彷徨わせながら芝生に座り込んで人を待っていた。
この公園も季節とともにその色を変えている。高杉が金時と出会ったのは新緑が眩しい春だった。
あの日は学校が早く終わって、遊びに行こうと誘ってきた友達の誘いも断って帰路についていた。
それはただの気まぐれで、別に誘いに乗っても構わなかった。けれど高杉は一人、人の少ない道を歩いていた。
帰路だって他にも選択肢はあったけれど、少し空気は冷たかったが天気が良くそれが心地良かったので、高杉は少々遠回りになるがゆえに普段は選ばない道を選んだ。
その日は些細な、けれど沢山の非日常が交錯して、高杉はその一点に向け確かに足を進めていた。
『ん…?』
芝生の上にぽつんと異質なものを見つけて高杉は歩く速度を緩めた。
逆光が眩しく、手を翳し光を遮りながら両目を細めてそれを見ようとする。
三脚に乗った、キャンバスが見えた。その横に小さな椅子と画材が散らばっている。
人の姿は、ない。
『………』
興味本意。好奇心。どんな言葉ならその時の高杉の胸中に当て嵌まるだろう。恐らくなにもかも当て嵌まり、そしてどれも本質的には異なるのだ。
まるで呼び寄せられるように、高杉はコンクリートで舗装された固く綺麗な道から逸れて、芝に覆われた柔らかい道とは言えぬ空間に足を踏み入れた。
何気なく覗き込んだキャンバスに描かれていたのは風景画だった。
高杉はキャンバスに向けていた視線をあげて、目の前の光景を見た。見比べるように視線を戻す。
似て非なるもの、際限なく広がる景色を切り取っただけじゃない世界が満ちていて高杉は暫くそれに見入っていた。
芸術を解するわけではない。技法やその絵に込められた思いや意味を汲み取る力もない。ただ一目見た印象で上手いとか下手だとか、上手いとか普通とか、そう言った感想くらいしか抱かないが、目を逸らせない何かがあり高杉はその場で立ちすくんでいた。
芝が足音を吸い込む。後ろから近付くその人に高杉は気付かない。
『なにしてんの』
『!』
突然後ろからかけられた声に高杉は肩を跳ねさせ振り向いた。
その瞬間二人の視線と運命は確かに交わった。
だが互いにそれを意識することも気に止めることもなく、高杉は反射的に絵を背後に隠した。
『な、なんだよ』
見開いた目に映る金髪もそんな高杉に驚いたようで、目を丸くして高杉を見つめ返している。
『や、あ、うん。えーっと…』
『………』
高杉はその場から動かない。守るように絵を背後に置いたまま急に現れた男を睨み付けた。
男は少し困ったように手を自身首に当てた。黒のVネック一枚という恰好はこの季節にはまだ寒かろうが、無防備に曝されている首筋に絵の具を高杉は見とめた。
『あーっとね?…それ…』
男は言葉を探すように視線を巡らせて首から髪に手を移す。
キラキラと光る金髪を掻き交ぜて、観念したように高杉を、正確にはその背後のキャンバスを指差し言った。
『それ、俺の絵なんだけど』
「おっせー…」
呟いて高杉は芝生に仰向けに寝転んだ。
空の色が薄い。金時と出会ってから迎える三つ目の季節、秋。このあとに冬が来るのだと高杉は疑うことも知らずにいた。
毛布のように柔らかく暖かな日差しが気持ちいい。
うとうととまどろみ、高杉は目を閉じた。
「―――…」
意識を手放しかけたその時、頬を引っ掛かれ高杉は目を開けた。
両目を焼く光に目が眩み、目を閉じればまた何かが頬を引っかいた。荒い息と獣の匂いがして高杉は眉を寄せた。
「んだよ…」
日差しを腕で遮り、目を守りながら高杉はゆっくりと目を開けた。
真っ白な小犬が高杉の顔を覗き込んでいた。
「…なんだ?おまえ」
身を起こし見下ろせば、小犬は高杉の胸に爪を立てよじ登ろうとしてくる。
「んだよ、人懐っこいな」
抱き上げればなおも身を乗り出して顔を嘗めようとする。じゃれてくる小犬をあしらっていると、遠く女性の声がした。
「定春ー、定春、帰ってくるヨロシー」
その声に反応するかのように白い耳がピンと跳ねた。高杉の手から離れた小犬はそれでも側を離れず、誰かを呼ぶように高く吠える。
紫の日傘を手に、その人は高杉の前にゆっくりと現れた。
「定春ー、…あらあら。定春何してるネ」
定春と呼ばれた小犬は返事代わりに一つ吠えて、それからまた尻尾を振って高杉にじゃれついた。
それを見ても女性は表情一つ変えることはなく両手で支えていた傘を片手で持ち直すと、あいた片手をそっと定春に伸ばした。
「あーあー、ごめんなさいアル。噛まれたりしてないアルカ?」
屈んで片手で小さな定春を抱え上げると、芝生に座り込んでいる高杉を彼女は見下ろした。高杉が大丈夫だと答えればニコリと笑う。
「ごめんネ」
「や。見たことない種類だな」
「定春って言うネ。正確には定春49号」
定春を見上げながら高杉が言えばピンクの髪をしたその飼い主は笑みを深くして、高杉と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
追った膝に定春を乗せる。大人しくしている定春に高杉が指先を伸ばせば、定春はそれを噛むでもなく舐めた。
「この子、すごく人見知りアル。私以外には懐かないネ。なのに君には尻尾まで振ってる。きっと君はいい子アルナ」
女性は穏やかにそう言った。優しい目をして、手袋に包まれた指先は慈しむように定春を撫でている。
一方、初対面にいい子だと言われた高杉は言われ慣れてない言葉を言葉少なに否定した。
「別に。んなことねぇけど」
むしろ問題児として扱われることが多い。
高杉の言葉に彼女は小さく否定した。
そしてゆっくりと視線をあげて、高杉の目を真っ直ぐに見つめた。
「君は、いい子ネ。すごくいい子。綺麗なものだけをその目に映して、清く澄んだ世界で生きている」
「…何…?」
一体、何を言っているのか。そう問いかけようとして、ピリッと微かに電流が走ったような感覚に高杉は言葉を切った。
真っ直ぐな青い瞳の奥底にうごめく黒く冷たい闇を見たような気がしたが、それは直ぐに散って跡形もなくなった。
彼女がニッコリと笑ったのだ。
「君は、君のままでいるといいネ。ほら、待ち人が来たヨ」
「え?」
人を待っているなんて高杉は一言も言っていないのに。
高杉の戸惑いなど気にも留めず定春を胸に抱いて立ち上がり、飼い主は高杉が目を離しその背後に目をやった。
その視線を追うように、高杉もそちらを見遣る。
金時が立っていた。立っている金時は高杉を見ていなかった。
高杉が見たこともないような顔をしていて、だが高杉が手を挙げると直ぐにいつもの笑みを浮かべて近寄っていた。
高杉は金時を見ていたから、背後にいる女が浮かべている笑みを見てはいなかった。酷く冷たい笑みを。
「じゃあ、またネ」
「え、あぁ…あ?」
定春を抱いた女は高杉に背を見せ、金時の方に向かい歩いて行く。
二人がすれ違うのを高杉は見ていた。
「悪ィ。待った?」
「待った。おせぇよ」
「だから悪いって。………」
「…金時?」
何処かぎこちない金時の笑みに高杉は首を傾げた。
「どうかしたのか」
「あ…、悪い。ううん、や、昨日ちょっと悪酔いしてな、二日酔い、っぽいかも」
「だっせぇな。それでもプロかよ」
言いながら高杉は立ち上がった。
そうして肩を並べて歩いて行く。
その後ろ姿を、ただ一人見つめる姿があった。その人の膝の上、定春が鳴いた。