今俺は、高杉の運転する車ん中にいます。



「いい加減決めたか」
「? 何を?」
なんのことか分からなくて、本気でそう尋ねれば高杉はあからさまにイラッとした。
「こないだおごってやるっつったろ」
「あー…、はい、あれな」
普通に忘れてたわ。だって俺は別に貸し1つだとかそんなん思ってねーし。
高杉は俺の言葉を待っている。
「あー…っと…」
俺は視線を彷徨わせるが、その俺の横顔に視線がちくちく刺さってる刺さってる。
頭ん中に候補をたてて、消去法で消していって残ったもんを口にした。
「じゃあファミレス」
「ファミレス…?」
俺の言葉が意外だったのか、高杉は訝しげに俺を見た。
だって居酒屋行ったって高杉酒飲めねーから俺一人で飲むしかねーしそんなんつまんねーし、高い店って行ったけど格式張った肩が凝るような店は疲れるだけだからゴメンだし、結果残ったのは一番無難なファミレスっていう。
「…てめぇがそれでいいならかまわねぇけど」
「おう」
高杉は何処か納得がいかないようだったが、行くぞと顎で示され俺は歩き出した。
「店は決めてあんのか」
「近くの」
「つくづく安上がりな男だな」
「そりゃどうもー」
何も考えずに高杉の一歩前を歩いていたが、俺の意思は何も考えてない辺り、全くない。ただ高杉についていっただけだ。前を歩いててついていくってのも変だけど。
「ん?」
いざ高杉の車を目の前にして、俺は気がついた。
「俺原チャあんだけど」
「それが?」
あっさりと尋ねられて、俺はなんでもないです、と口から出しかけて慌てて口をつぐんだ。そして改めて開く。
「なんで俺高杉の車に乗ることになってんだよ」
「飯食いに行くからだろーがよ」
「だから俺原チャあんだって」
「だからそれがなんだっつってんだよ」
「俺原チャ乗ってくってんだよ」
やっとそこまで言えて、高杉は俺を距離のある目でしばらく見つめた。しばしの間を開けて、棒読みで言った。
「『飲酒運転は犯罪デス。原チャでも飲酒運転は適用されマス。』そんなことも知らないんデスカ」
「知ってんよ! 何その棒読みと冷めた視線。普通に腹立つんですけど」
「じゃあ乗れ」
もう俺の言葉なんて聞く気はないと言わんばかりに高杉は先に車に乗り込んだ。
いや俺の原チャどうすんのって話はどうにもなってないんですけど。ないんだけどもうどうしようもなさそうなので俺は助手席に乗り込んだ。明日の朝はいつもより早く出よう…。
高杉は黙って車を走らせる。
お高い車に綺麗な車内。扉に頬杖をついてハンドルを操る姿は男が見ても様になってると素直に思う。黙って運転する高杉を横目に見ながらモテんだろうなと今更なことを考えた。



いいもの食え食えと勧めてくる高杉におまえは俺のばーちゃんですか、とか思ったがこんなところでまたくだらない言い合いをしても仕方ないから俺はステーキにライス付けてドリンクバーにパンケーキとパフェをデザートにすることにした。
俺大食いじゃねーから頼み過ぎたかなとも思ったがまぁ甘いもんは別腹だろ。
俺の注文の、後半2連発に高杉は眉を潜めたが自分はおろしハンバーグのセット一つとコーヒーだけだった。
「飲み物はジュースでいいのかよ」
「いいよ」
「じゃあ原チャでもよかったな」
だから俺飲むなんて一言も言ってねーじゃん…! なんか俺の明日の早起きが虚しくなってきたから生を一つ追加する。会計持ちの高杉は別に何も言わなかった。
なんか適当な会話をしながら飯食って、残るは俺のパフェのみになった。
もういらねぇと高杉がハンバーグとライス残しやがるから勿体ないとそいつも腹に詰め込んだせいで俺の胃はもうパンパンだったけどパフェは食いたいから細長いスプーンで生クリームをすくった。
高杉は優雅にコーヒーを飲んで俺が食い終わるのを待っている。食う? って聞いたらあっさりいらねぇと返された。あっそ。
伏せ目がち、いつものお澄まし面でコーヒーをすする高杉をパフェ越しに見ながら、俺はここのところずっと抱いていた疑問をぶつけた。
「束のことお聞きしますが」
「なんだよ」
「こないだのアレは結局なんだったのか聞いてもいいか」
「………」
高杉が目を伏せたまま瞬きをひとつした。口許にあったカップをゆっくりとした動作でソーサーに置いた。かちゃりと小さな音がする。
だってさ、俺もスゲービックリしたわけよ、やっぱ気になるわけだよ。あんまり触れていい感じはしねぇけど、俺は何があったのか知りたい。
高杉はしばらく沈黙を保ち、カップを見つめていたがやがてゆっくりと口を開いた。
「語る気は、ねぇ」
ファミレスはそれなりにうるさかった。けれど、その騒音などまるで遠い世界のように感じた。二人だけの世界、なんて綺麗なもんじゃあるまいに。だけどそのくらい俺は高杉の些細な合図を見逃さないように集中していた。
特別大きくも小さくもない高杉の声は外部の音に負ける事なく俺のもとに確かに届いた。高杉は静かに言葉を続ける。
「ぽつりぽつりと、時間が掛かっていいなら語ることは出来る、気はする」
高杉はただカップに視線を向けたまま、時折瞬きをする以外何も変えなかった。
「けどそれは、俺が語ることはきっとおまえにとって重荷以外の何物でもなくて、言ったら最後俺はおまえに甘えてもたれて寄り掛かって、おまえを縛り付けていつかおまえを駄目にする」
顔色一つ変えることもなく、ただ淡々と自分の言葉を紡いでいく。
「俺はもう、同じ過ちは繰り返したくねぇんだよ」
そう言った瞬間だけ、瞳の奥の感情が揺らいだ。いつか何処かで見た覚えのある陰。思い出した、真夏の夕方、ゴンドラの中で見た色だった。
俺は高杉を見つめているのに、高杉は俺を見ていないから視線は一方通行のまま交わらない。
俺は今一度、高杉の言葉を咀嚼して、理解して、そして、鼻で笑って坐り心地の良くないソファにもたれて足を投げ出した。
「はんっ、何言ってんだってんだよ」
高杉の視線が上を向いた。俺を見る。
「おまえなんか重くねーし、別にいいしっつーかそもそも勘違いすんなし、おめーのために言ってんじゃねぇんだよ」
面倒臭そうに言い捨てる。今度は俺が高杉を見ていなかった。何処を、ということはないけどとにかく高杉以外のものを見てた。
高杉は俺を見つめている。
その視線をしばらく横顔に感じながら唇を尖らせていたが、投げ出していた足を組み直して身を起こした。ついでにテーブルに肘をついて持っていたパフェ用のスプーンを高杉に突き付ける。
俺は高杉を見る。高杉は既に俺を見ていた。やっと視線が絡み合う。
「気になるんだよ。気になって気になって、なんかいつも頭ん隅でおまえのこと心配してなきゃなんねーわけ。俺がパフェ食いながらおまえのこと考えて放心状態とか、俺の月一の楽しみ何邪魔してくれてんのマジ有り得ねぇんですけど」
「知らねぇよ」
最初はマジに言ってた、いや、全部マジに言ってたんだけど途中からなんか方向性がズレたな。高杉もそれを感じたのか、返事は酷く素っ気ない簡潔なものだった。
視線もまた逸らされた。あ、コノヤロ。
俺はスプーンを引っ込めて、生クリームの下にあるアイスをすくった。それを口に運べば冷たさと甘さが広がった。
「まぁとにかく、おまえが俺に迷惑かけるとか重荷になるとか、んなくだらねーこと考えてんな。ぐだぐだいらねー遠慮すんなっつーの。迷惑なら既に被ってんだよ」
「………」
「だから、もっと俺に寄り掛かってみせろって」
手なら差し延べてる。俺の手をとるかどうかは高杉次第だ。
高杉は答えない。沈黙が落ちた。静寂で満たされりゃまだなんか雰囲気が出るんだろうが、生憎此処はファミレスで音には事欠かない。あぁうるせーな、今叫んだガキ、ちょっと黙ってろよ。
不意に、均衡が崩れる。高杉の肩が震えた。
今まで視線だけが伏せられていたのにゆっくりと俯いた。長めの前髪と口許に運ばれた白い手のせいで表情が読めない。肩の揺れが段々大きくなる。それに連れて高杉の指の隙間から零れ落ちたのは笑い声だった。
「ぷっ、く、…くくっ」
「あ?」
「恥ずかしい奴だな」
顔を上げた高杉は笑っていた。心底可笑しそうに目を細めて口許に手を宛てながら笑っていた。
「どんな告白だ、ドラマかよ」
「………」
笑いながら言われて、俺は自分が何を言ったか脳内で反芻した。正直、感情に任せて口にした言葉は頭にあんまり残ってなかったが、自分がどんだけそれこそドラマみたいな事言ったのか思い出して顔に熱が集まる。
え、俺ハズくね? 俺今スゲー決め顔で言っちまったよ。なに俺超恥ずかしいんですけど。しかも酒入ってない素面とかないわー。マジないわー。
羞恥心で死ねる、とか思うと表情がなんだかもうひっちゃかめっちゃかなもんになる。
それを見て高杉はまた笑っていた。大口開けて大笑いとか、その辺の品のない笑い方じゃなく、くつくつと肩を揺らしながらそれでも本当に愉快そうに笑う。
目尻に浮かんだ涙を指先で拭う仕種を見て、俺はんなに笑うこたァねーだろうがよと思ったけど、文句は言わなかった。代わりに俺も自然と笑みの浮かんだ唇で言う。
「おまえはそうやって、たまには笑やいいんだよ」
「………」
高杉は俺の言葉にほんの少し、笑みを潜めてしまったがそれでもまだ口許に笑みを残したまま通りすがりのウェイトレスにコーヒーのお代わりを頼んだ。
対面の座席から、ウェイトレスが注文を受けたとき高杉を見てぽっと頬を赤らめたのを俺は見た。



「で?」
「…なにが?」
俺の家まで送ってくれた高杉に問い掛ければ、高杉は不思議そうな顔をした。
「返事、聞いてねぇんだけど」
俺に、もっと寄り掛かって、打ち明けてくれる気はあるのかないのか。
「………」
高杉は即答しなかった。開け放たれた窓にかけた指先で縁を叩いてしばらく考えたあとに俺を見上げた。
唇の端を吊り上げる。酷く悪戯な笑みだった。
「考えといてやる」
それだけ言って、じゃあなと車を発信させた。その赤いテールランプを見送って俺は空を見上げた。生憎の曇り空だ。溜め息をつく。
「ま、とりあえず前進か」 何歩かはわかんねーけど、とりあえず前には進んだろ。今回はそれでよしとしよう。
俺は目先の問題、明日以下に早く起きるかに頭を切り替えた。