冬の寒い日に俺は遂に発見した。俺はやった、遂にやった。…やったのか? まぁとにかく俺は見つけるに至った。
何をって、高杉の縄張りを。
初っ端に屋上で遭遇して以来、高杉と屋上で出くわすことはなかった。
それが今日、開いてた窓からうっかりプリントを落としてしまい、それを拾いに職員室の窓に面した中庭的なさ、なんかそんなデッドスペースのところに足を踏み入れたら、脇の非常階段の下のこじんまりとした場所に高杉を見つけた。
職員室からもろ見えな場所だから生徒はもちろん、教師も滅多に足を踏み入れない場所の一角、階段の下だから雨もかからない。
よくもまぁこんなとこ見つけたなと思う。俺はもう此処に5年勤めてるけど、入った記憶ねーわ。
高杉は寝ていた。地べたに座り込んで足と腕を組んで俯いている。
冬だからクソ寒いってのに防寒具はマフラーひとつ。ちょっと長めの青いマフラーをぐるぐるにしてそこに顔を埋めていた。
凍えねぇのかよ、とか、風邪引くぞ、とか思いながら見下ろした。
横には菓子パン1つとミネラルウォーターが置いてあった。なんだ、こいつのおやつか。もうとっくに昼は過ぎている。
中身が減ったミネラルウォーターの側に薬のゴミが見えた。何こいつ風邪ひいてんの。なのにこんなとこで寝てるとか馬鹿じゃねぇの。ってか馬鹿だろ。
「………」
なんとなくぼんやり見つめてしまったけれど、吹いた風の冷たさに身震いする。マジ寒ィ。
戻ろうと足を進めた。しかし思うことあって足を止め高杉を振り返る。
高杉はまだ寝てる。身動きひとつせず静かに眠っている。俺のなかの良心が少しばかり疼いて、お情けをひとつかけてやった。



「あれ? 先生白衣どうしたっスか?」
シャツだけの俺を見て来島が不思議そうな目を俺に向けた。
高杉にべったりな来島だが、高杉に『数学以外もやれよ』と言われて渋々不満たっぷりと言った表情で俺のところに来た。
高杉の席が空席なことにもしょんぼりしているのが見てて分かった。わかりやすすぎだろ。
「あー、…」
「あ、分かったッス!!白衣だと高杉先生と被って比較されてダサいのがモロバレっスもんね!やっとその過ちに気付いたんスか」
「いやちげぇけど。ってかおまえずっとんなこと思ってたのか来島。年明けのテストが楽しみだな」
「え、や、あ、はァ?!」
来島が顔色を変える。からかいやすい奴をからかうのは楽しい。Sっ気があるのは自覚してる。どこぞやのドSまではいかないと思うけどな。だってあれはもう王子だもの。サディスティック星の次期王様だもの。
基礎は固めたらしい来島の穴を解説で補いながら教師らしいことをする。
どんだけ時間が経ったのかは時計見てなかったからわかんねぇ。高杉が職員室に入ってきた。
入口付近のとこでやってたけど、俺は出入口に背を向けてたから誰が入ってきたかは最初気づかなかった。
横を通り過ぎる白衣と、ふわりと鼻をくすぐる香であぁ高杉かと気付いてなんとなくその凜と伸びた背筋を見た。
そして高杉を見たのは俺だけじゃなくて。来島が反応しないわけがない。パッと目が輝いてずっと高杉を追っている。
来島さーん、おまえ今此処になにしにきてんのちょっとー。
まぁいいけどな。ちょっと疲れたから椅子にもたれて息を吐いた。
高杉は席にいる万斉と何か話してる。ふと俺は気付いた。…あれ? あいつ今白衣持ってた?
そしてもひとつ。そういやこの学校には白衣着てんのが俺と高杉以外にもいる。THE 白衣の理科教師。俺白衣に名前書いてねぇし。
白衣帰って来なかったらマジ困る。俺の一張羅。
俺のなんだけど返してって言えばいいの? 多分言えばいいの。でもちょっと待てよ。誰のかわかんねぇ汚い白衣だったから捨てたとか言われたらどうすっか。いやいや、それは流石にねぇよな。いやでもあいつは俺の考えの斜め上をかっ飛んでいったりもするからな。
何も考えずに寝てた高杉にかけてやった自分の考えのなさに内心どうしようかと思いながらとりあえずいつまでも高杉を見ている小娘の頭を丸めたプリントで叩いてやった。



来島の件が終わり、入れ代わりのように来た国語係に明日の授業の指示を出して席に戻れば俺の机には畳まれた白衣と、そのうえに菓子パン1つが置いてあった。
あ、気付いてた。
俺は白衣を着る。こんなの1枚でも大分体感気温に差が出んだなぁと脱いで過ごして気がついた。高杉にかけてやったときはこんな薄いもんでもないよりマシだろ、程度の気持ちだったがマシなんてもんじゃなかった。あいつは俺に泣いて感謝すべきだな。…や、そんな高杉なんか気持ち悪いからいいや。
ふわりと、かすかに高杉の匂いがした。匂いが移ってんのか。別に悪い気はしない。きつくないそれは以前から変わらない甘い匂いだ。
机の菓子パンに目をやる。これさっき高杉の隣にあったやつじゃね? 食わなかったのか。
「晋助からの伝言でござる」
「あ?」
空席の向こうからの声に俺はそちらを見遣る。
「『菓子パンは礼だ。やる。けど袖口がえらく汚れてるからいい加減洗え。よれよれにも程がある。アイロンかけろ。ボタンもそのうち取れるぞ。ちゃんと繕え。そもそもタバコ臭くて不愉快だ。箪笥の角に頭ぶつけて死ね』、だそうだ」
「ダメ出しはわかる気ィすっけど最後のは確実にてめぇの言葉だろ伝言じゃねぇだろっていうか頭にぶつけんのは箪笥じゃなくて豆腐の角だしバーカバーカおまえが死ね」
「豆腐じゃ人は死なないでござるよ馬鹿はおぬしでござる死ね」
「そういう問題じゃねぇんだよ死ね」
こういうのは相手をしないに限る。顔を逸らして席に着いて、俺は空いた席をちらりと見た。
「…なぁ、高杉はどしたよ」
「気分が悪いから帰る、だそうでござる」
「ふーん」
やっぱ体調悪いんか。ならちゃんとそれらしくして、あんなとこで寝てんじゃねーよ全く。
そんなこと思いながら俺は菓子パンの封を開けた。



「お、居た」
「………」
後日、俺は高杉の縄張りを覗いてみた。高杉が職員室にいなかったから此処かなーと思ったわけだが、俺の読みはどんぴしゃだったらしい。
この前のように青いマフラーを巻いただけの高杉は地べたに座り込んで、ひょいと現れた俺に心底嫌なものを見たと言わんばかりに顔を歪めた。
「なんだよ」
「いや? ってかおまえなんでんな薄着なの。ありえねぇだろ」
「有り得ねぇのはてめぇのその格好だよ」
この寒さ並の冷めた高杉の視線の先では、イヤマフにコートにマフラーな俺が立っている。
「馬っ鹿、おま、12月ですよ。寒ィじゃん。おまえのカッコのがよっぽど有り得ねぇっつーの」
「どうでもいいからさっさと消えろ」
なんでこいつってこんなに辛辣なの?
カチーンと来たから俺は高杉の横に座り込んでやった。高杉がうざがってんのが分かる。ざまぁ。
しかし、高杉は無視を決め込むことにしたらしくそれ以上何も行ってこなかった。
指先で挟んでいたタバコを口許に運ぶ。長く吐き出された息はもしかしたら溜め息だったのかもしれない。高杉はぼんやりと冴えきった空を見上げていた。
「…白衣」
「あ?」
視線も向けられずに言われた言葉が一瞬俺へのものか分からず取り損なう。けど此処には俺しかいないんだから俺への言葉に決まってた。独り言にしちゃデカすぎる。
「こないだ俺にかけてったろ。悪かったな。わざわざ」
「…別にいいけど」
ありがとう、とか言えばまだ可愛いげがあるものを。お礼はちゃんと目を見て言いなさい、とか言いたかったけど遠回しの謝意は表したので今回はよしとしてやることにする。菓子パンも上納したしな。
「風邪引いてんのにんな格好でこんなとこで寝てっと、悪化すんぞ」
「…仕事には支障をきたさねぇよ」
「そういう問題じゃねぇだろ」
実際早退、とはいかないけど早く帰ってたし。
俺の言葉に高杉はそれ以上何も言わなかった。
出会って半年以上経って、高杉について分かったこともさらに増えた。けど俺は高杉にとって冬がどういうものなのかなんて、このときはまだ知らずにいた。



高杉の心の奥底に触れることなく俺は何も知らないまま、月日が流れた方がお互いにとって良かったのかは分からない。
けれど状況は一カ所ズレていた歯車が噛み合ったかのように周り出す。
事態を変えたのは、それは寒い寒い真冬の廊下、開け放たれたままの1つの窓だった。