今日は年に一度、教師用の裏年間行事である飲み会だ。幹事の服部から連絡を頼まれ、俺はちゃんと自分の仕事を果たす。
「業務連絡ー、業務連絡ー。今日飲みあるから予定空けとけって。あぁそう、あんた初だから知らねぇだろうけどこれ全員参加、拒否権はねぇ。おい万斉、てめぇも聞こえたろ。…おいコラ、無視してんじゃねぇぞ。ヘッドフォンは取りなさいって言ってんだろコノヤロー」
伝えないと、これは学校の裏年間行事、学校行事に非協力的と見なされ極悪非道の犯罪者か何かのような扱いを受けることになる。
めんどくせーが、そこのヘッドフォングラサンが「聞いてないでござる、坂田先生は拙者には何も言っておらぬ」なんて言おうものなら俺は今年一年居場所がなくなるのだ。
まぁこのヘッドフォンは前からいる奴だし、ちゃんと行事のことは分かっているからあまり心配ないが、問題は手前のこいつだ。
俺の言葉に俺をちらりと一瞥して返事もせずにまた自分の作業に取り掛かっている。
警戒しとくにこしたことはねぇな、という俺の考えは見事に当たり。
「はーい、何処行くのかなー。今日は飲み、それも全員参加だっつったろうがよ」
何事もないかのように帰ろうとする高杉の腕を掴んで俺は引き留めた。
「知るか。こっちにはこっちの都合があんだよ」
「こっちもそんなもん知ったこっちゃねーんだよ。何、私と仕事どっちが大事よなんていう女とは別れちまえ。そんで俺に紹介しろ」
「ふざけろ天パ」
離せと振り払われた腕は素直に離した。なーんかこいつ警戒心っつーかなんっつーかが強ぇんだよな。
そんな強く掴んでない腕を押えて控え目に気にしてる。何、潔癖症?
逃がさないように後ろに立って見張ってれば後ろにも立つなって言われた。何こいつ、ゴルゴ?ゴルゴなの?
んなこと思いながら、そんな嫌がるごとやっても仕方ねーから俺は横に立って肩を並べて歩いた。
校門前に並んだタクシーの一つに案内する。
飲酒運転撲滅のため帰りもタクシー、ただし往復自腹。料金を少しでも減らすために中型に乗り込めるだけ乗る。それが俺らのやり方。
もっとタクシー増やして学校が金負担してくんねーかなぁといっつも思うんだが、そんな要望が通ったことはない。
さぁ乗った乗ったとみんなを乗せてたらどっかの誰かがまたワガママ言い出したよ全く。
「俺ァひとりでいい」
何言っちゃってんですか。リッチなおまえはそれでもいいかもしれないけどね、他の奴らは一円が死活問題なんだよ。
問答無用で押し込んだ。ちょっと顔色がよくないのは、もしかしたら閉所恐怖症的なもんでもあんのかな、とは思ったが俺は気付かない振りして扉を閉めた。
いつもの居酒屋で広がるのはもうぐっだぐだな有様だ。教師が聖職者とか何それなんのこと?
酒は飲んでも飲まれるな。此処にはもう酒に飲まれきったまるでダメな大人しかいない。
「坂田銀八ィィィー…、聞いてるでござるか?拙者はおぬしのそのリズムが気に食わないんでござる…なんだその酔っ払いの鼻歌みたいな、いや、それ以下…」
「や、酔っぱらいはおまえだからね。俺まだセーフだから」
「馬鹿にするな!拙者はまだ…!」
「あー、はいはい」
毎年毎年酔った万斉が並べる文句は変わらない。リズムがなんたらノリがうんたらでジャズでもクラシックでもアニソンでも好きにしてくれ。
俺は逃げるように席を立ち、何処か休めそうな場所を探して辺りを見回した。
仮にもこれは新しい先生の歓迎会を兼ねた新年会だというのに、主役の一人である先生が隅で一人飲んでいるのを発見した。
いーけないんだいけないんだ。新しい奴は酔った先輩教師の洗礼を受けなきゃなんねーんだー。
そんなこと考えてたら俺の視線の先で黒髪を揺らし、懐から携帯を取り出した。
眉を寄せて、一度仕舞いかけたそれをもう一度見ている。結局出ることにしたらしい。
辺りがうるさいからか、もてあそんでいたグラスを置いて耳を塞いでいた。
「飲んでねぇよ…うるせぇな。分かってる……分かってるっつってんだろ。しつこい。切るぞ」
乱暴な言葉遣いのあと、明らかに一方的に電話を切ったそいつは直ぐさま着信を告げる携帯をポケットに仕舞い、苛立ちを隠さずに溜め息をついた。
それから俺に気づいたらしく厳しい目を俺に向けてきた。
「何、ママ?」
ニヤニヤと笑いながら問いかけてやれば露骨に嫌そうな顔をする。
ねぇ、なんでこいつこんなに態度悪いの?もうちょっと人と仲良くしようとかそういう気持ちはないの?ねぇ?
「ちげぇよ」
睨まれて肩を竦めながら、それでも俺はその隣にどっこいしょと腰をおろした。
ヤダ今俺どっこいしょとか言っちゃったよオッサンじゃん、もうすげーオッサンじゃん。
そういやこいつも同い年だっけ。なんかあんまりオッサンの匂いはしねーけど、どうなんだろうなぁ。
そんなこと考える俺はあんまり飲んでねーつもりでも結構酔ってんだろうなーと頭のどっか冷えたところで考える。
「飲んでる?」
「飲んでる。あっち行け」
ツンと素っ気ない。なにこいつ、ツンデレ?ツンデレなの?デレたことねーんだけど。
「飲んでないっつってたじゃねーか」
「飲んでる。しつこい」
「何飲んでんの」
置いてあるグラスを見て烏龍ハイ?と尋ねてみる。頷かれて俺は自分が持っていた烏龍ハイをその隣に置いた。
「あっち行けよ」
「んでだよ」
「うぜぇ」
「辛辣ー。あっち居ると万斉の奴が突っ掛かって来てうるせぇんだよ」
「知るか」
「そっちこそこんな隅にいねぇであっち行けよ。一応これ新歓なんだけど」
「慎んで辞退する」
何処までもつれない態度で俺はとりあえず引いてみた。
確かに俺は好きな子をいじめちまうタイプだけど?別にこいつ好きな子じゃねーし、誰かれ構わず嫌がる顔見て楽しめるほどドエスでもねーし。
こいつの拒絶って、どっか本気な気がして、なんかビビられてるような気がして線引きが難しい。
(なんなんだろうなぁ…)
「なぁ」
「んー?」
急に小さな声で話しかけられて、のんびりと返せば聞こえないくらいの舌打ちがした。
聞こえてんですけど。ってかおまえから話しかけといて舌打ちってなんだコラ。
「…てめぇは、大学生の従兄弟とか、いるか?」
「従兄弟?」
なにをいきなり。そう問いかけようとすればやけに真剣な目が網膜に焼き付いて、俺は茶化すような言葉を寸前で呑み込んだ。
「いねぇ、なぁ。うん、いねぇ」
「………そうか」
何処となく落ち込んだような表情に何か悪いことをしてしまったような気がして、俺は話しかけようとして結局やめた。
何を言ってやればいいのか皆目見当もつかなくて、何も言えなかったという方が正しいんだろうよ。
音になりそこねた感情を茶色い液体とともに飲み下した。
…ん?あ、グラス間違えた。
高杉もそれに気づいたらしい。俺のグラスに口をつけた高杉はみるみる眉を寄せて俺を睨みつけてきた。
「………オイ」
「ん?」
「てめ、そっちが俺のじゃねぇか」
高杉の目が俺のグラスに向けられる。
「それが?っつーか聖職者ともあろうものが嘘ついちゃ駄目だろー。これ烏龍茶じゃん。飲んでねーじゃん。あーあー、嘘吐きは泥棒の始まりなんだよー」
「ざけんな。返せ」
烏龍ハイと烏龍茶って似て非なるものだからね。アルコールとノンアルコールだからね、未成年が飲めるか飲めないかだからね。
返せと手を伸ばしてくる高杉を押しとどめながら、俺は手にしていたものの中身を全部飲み干した。
一息ついて、俺は高杉が手にしていたグラスに目をやる。
「俺のやるって。量同じくらいだったし」
「いらねぇ」
「まぁまぁそう言わずに」
「な…っ!」
やっぱ俺相当酔ってたんだな。
肩を掴んでやれば必要以上にその身体に緊張が走ったのがわかった。高杉の、俺への意識が散漫になる。
その隙に俺はグラスを奪い取ると中身を口に含み、肩を掴んでいた手で細い顎を掴むとそのまま驚いて開いていた唇に唇を重ねた。
流し込んだ液体が高杉の喉を通り過ぎた。唇を離してやる。
目があったのはほんの一瞬。
殴られた。そりゃあもう全力で殴られた。しかもなんかすげー必死で唇拭われたし。
おめーは夢見る清廉潔白な処女ですか。ちょっと傷つくんですけど。
「いっつー…。ちょっ、殴るこたぁねー…、…オイ?」
謝罪より先に文句を言おうとしたその瞬間、俺の目の前でその身体は崩れ落ちた。
一杯にも満たないアルコールで酔いつぶれた高杉をタクシーで送るのは俺の役目にされた。
いくら呼びかけてもゆすっても叩いても鬱陶しそうに眉を寄せて人の顔わし掴んで距離を取ろうとするだけのこいつ、いくらなんでも酒に弱すぎじゃね?
飲まなかった理由がよくわかったよ、飲ませてごめんね、なんて気持ちはぶっちゃけねぇ。
だってだって俺すげーこいつに普段虐げられてる感じだし、俺だって帰りたいのになんで送ってかなきゃなんねーのよ、みたいなさ。
住所は財布勝手にあさって免許見つけて、タクシーの運ちゃんにここわかる?って聞いて「だいたい」なんて返事もらって。
適当に乗せたら揺れに揺られた上体が向こうの扉にゴンッとか言ってちょっと可哀想だったから俺の方に凭れかけさせてやってりしてちょっと重い。
つか、ガラスに頭ぶつけても起きないとかホントに潰れてんだなこいつ。
荷物みたく担いでも文句ひとつ言わない高杉を引きずって明かりがついた家の呼び鈴を押せば程なくして人が出てきた。
長い黒髪に一瞬女かと思ったが、それは男で俺を見て目を丸くしていた。
「君は…」
「? 俺、同僚の坂田銀八って言います。今日、新年会があったんですけど、高杉先生潰れちまって…」
「あ、あぁ…。わざわざ送っていただき申し訳ない。これは酒に弱くてな」
「みたいっすね。来年からは気をつけますわ」
「すまない。あ、…」
「…? 何か」
「いや、なんでもない。ありがとう」
「いいえ」
何か言いたそうな顔をしたロン毛は結局何も言わなかった。
俺は待たせていたタクシーに乗り込んで帰路につく。不意に、高杉に初めて会ったあの日の屋上を思い出した。
『―――』
あの日高杉はなんて言った?
何処か悲しそうな、切なそうな表情しか俺は思い出すことができなかった。