3月になって、猿飛が卒業した。ついでに沖田も。
「今度は先生と同じ立場、教師として学校に戻ってくるから待っててね」
とか、別にいいし。猿飛の言葉に来島までが「その手があったっスか!」となんかに目覚めちまってるし。
ストーカーぎりぎりってか、完璧アウトだった奴でも卒業して離れていくのに一抹の寂しさは感じるわけで。
それでもまた新入生を迎え入れたりと新たな生活が始まるわけだ。
高杉と初めて会って1年。あっという間だったような気がしてならない。ってか年取る程1年って短くなってくよな。
そんな話を高杉と初めて会った屋上で高杉に振ってみれば、高杉はくわえていたタバコの煙を吐き出して面倒臭そうに答えた。
「例えば1歳のガキにとっちゃ、その1年は人生の全てだ。だが100歳のじーさんにとっちゃ1年なんて人生の100分の1。だからじゃねぇの」
あぁ、成る程ね。と俺は妙に納得して高杉の指先からタバコを取って口にした。
タバコを奪われた高杉は冷ややかな視線を送ってきたが気付かないふりをする。1本くらいいいじゃねーか。昨日タバコとチョコの究極の二択を迫られてチョコ取っちまったんだよ今俺タバコねーんだよ。
それに俺は明日おめーのせいで怒られなくてもいいことで怒鳴られんだよ。だからこのくらい寄越しやがれ。
翌日、俺の予想はどんぴしゃで職員室に来島が乗り込んできた。
「なんで高杉先生がJ組の担任なんスか! 私J組がいいッス!! J組に編入させて下さい!!」
「馬鹿言ってんじゃねーよ」
K組に入れられた来島がキャンキャンとよく吠える。こいつは俺を苦情受付窓口かなんかだと思ってんじゃねーの。
去年まではそこまでじゃなかったが、今年のクラス替えは悲喜こもごもだ。一番人気は高杉のクラス。まぁな。わからんでもねぇ。男は所詮顔ですか。ああそうですか。俺? 俺はまぁ9年もいるとな、うん。
会えない時間に想いは募るって言うだろ、とかなんか適当なこと言って言いくるめられた来島と入れ違いで高杉が職員室に返ってくる。
俺の対面の席に座った。職員室も配置換え。去年は隣だったが今年は対面の席だ。教科書とかファイルとかで互いの姿は限りなく隠されてるけど、別に席の位置なんてどうでもいいわな。用があれば捕まえて話し掛ければいい。
近寄るんじゃねーよオーラが出まくりだった去年は俺一応声かけるのなるべく遠慮したりしてたんだよ。そういう奴ってめんどくせーし高杉自身すげー神経質そうだし。
ゼロから始まった去年と、1年の積み重ねがある今年は違う。去年とはまた違った1年になりそうだ。
んで。今年の新年会は出ないとごねたりしなかった。酒が弱いのは知ってっから無理に飲ませなかった。俺は。ああ、俺はな。
万斉が飲ませて、『あ、こいつってマジにツンデレだったんだ』とか言う事態が起こってあれはあれで伝説に残る新年会になった。高杉本人覚えてないけどな。
まぁそんな感じで春が終わり、梅雨が来て、来島が数学全国一位になったとかでちょっと話題になった。頭いい学校だから全国上位者もいたけど1位はなかなかない。
教師は一応結果知ってんだけどそれでも喜び勇んで結果持ってきた来島に、今まで俺は見たこともないような笑顔を見せた高杉を見て俺が軽く引いたり、そして引いてる俺を見た高杉がさっきまでのキラキラ純白な笑みとは真逆の黒い笑みを俺に向けてきたりな。
他にもいろいろあるけど、そこは機会があればっつーことで。これR指定かかってねーし。
冬になると少し高杉がしょんぼりする。必要最低限以外に外に出る気はないとごねる。
それをなんとかなだめすかして俺は高杉を家から引っ張り出して買い物に出かけた。結構人通りの多い大通りで、互いの会話に支障はないが、静寂とは程遠い騒音の中に身を置いて二人でだらだら喋りながら歩いていたわけだ。
不意に高杉が足を止める。振り返った。
「………」
「? どした」
「や、なんか今呼ばれた気がした」
「? そうかぁ? 俺ァ聞こえなかったけどな」
気のせいじゃないか、そんなこと言って俺は先に歩き出す。高杉は少し首を傾げて後ろを気にしながらもまた俺の横に並んだ。
俺らの会話がそこで途切れたせいで、今までそこまで気にならなかった周りの音が俺の耳に飛び込んでくる。
「は? 約束被った? てめぇふざけんなよこの黒モジャ。全部その毛刈ってヅラ作ってやろうか」
「アッハッハー、すまんすまん。おまんのが先約じゃき、ちっくと待っとうせ。謝りに行ってくるろー」
「当ったり前だろ」
やけに騒がしい笑い声に俺はそちらに目をやった。黒いモジャモジャと、その隣にちっこいのがプンプン怒ってる。…どういう関係だあれ…?
その怒ってるちっこい方が巻いてるマフラーの色が青で、俺はおや、と思う。視線をずらせば同じ色のマフラーが目に入った。おんなじもんかな、とか思って見てたら高杉が視線を上げた。
「なんだよ」
「なんもねーけど」
「じゃあ見んな。気持ち悪い」
「せめてキモイっつってくれよ。なんか傷つくだろうが、いまどき気持ち悪いって」
「知るかよ」
コノヤロ…。まぁとにかくなんかこんなかんじで割と平和に月日は過ぎ去っていきましたとさ。気がつけば俺らが出会ってから5年もな。
今は冬だ。6年目の冬だ。さっきも言ったけど、冬は高杉がアンニュイになる。
『冬はろくな思い出がない』
いつかの冬、高杉はそう語った。なにがあったかは話してくれなかった。そのときは。
その日はやけに高杉が明るかった。表情こそいつもと変わらねぇあんま感情をみせねぇもんだが、なんかわかんだよな。空気、纏う雰囲気っつーの?
「今日はえらく機嫌がいいな」
「まぁな」
本当に機嫌がいいらしい。唇の端を吊り上げた高杉は鼻歌でも歌い出しそうだ。
そんな高杉が不意に俺の耳元に唇を寄せる。そして囁いた。
「放課後、屋上な」
「………」
一瞬合った目が意味ありげに微笑む。すぐに高杉は俺に背を向けて歩き出した。
俺は高杉の後ろ姿を目で追った。高杉は振り返る事なく教室を出ていった。
そして放課後。俺が屋上に行ったら高杉はもう既にそこにいた。白衣にマフラーは寒いから上着着ろって何度言っても聞きゃしない。風で青いマフラーと白衣が揺れている。
重たい扉のこちらがわで、向こう側の世界をしばらく見つめる。なんとなく遠いものに感じて俺はぼんやりとその後ろ姿を眺めていたが、あんまり待たせては高杉の機嫌が悪くなるとドアを開けた。
その音に反応して高杉が振り返る。
「遅かったな」
「そうか?」
「俺より遅い時点でおせぇよ」
「さいですか」
そう言う高杉の唇は笑みを作っていた。酷く穏やかな笑みだった。
まぁいいと言わんばかりに溜め息をついて高杉は言った。
「俺が此処に来た初年度だったか、夏に遊園地でパンダ見たろ」
「あぁ。見たな」
高杉の教え子だろ。俺はあのあと沖田に文句言われたんだ。なんで高杉先生と来なかったんだと。行ったといえばなんで教え子と会わなかったのかと。
『旦那がどんな顔するか見たかったのに』
意味はよく分からなかったが、とりあえずロクなこと企んでなかったことだけはよく分かった。
そんなことを思い出していると黙って封筒が差し出された。宛名は高杉だ。
「パンダの中身から手紙が来た」
「へぇ」
受け取った封筒を裏返せば差出人のところには坂田金時、と書かれていた。あぁ坂田ね。俺と同じじゃん。
ってかマジに男か。ないとは分かってても、心のどっかで女子高生とのスキャンダル的恋を期待してた俺はドラマの見すぎ、小説の読みすぎか。
高杉はそんな俺の胸中などまるで知らんぷりで淡々と言った。
「どんなのか見たかったんだろ」
「まぁ」
「中に写真が入ってる」
それは見てみろ、という意味でいいのか。
封筒を開けてみる。高杉はなにも言わない。2つ折りの便箋が入っている。3枚、いや4枚? 随分書いてんな。
その奥に写真はあった。引っ張り出す。写真には二人写ってた。金髪と黒髪。二人とも笑ってる。
「金パが教え子だ」
こっちかと視線をそちらに向ける。金髪クルクルが無邪気に笑ってる。
「俺が昔潰しかけた」
声になんの変化もなかったから一瞬意味を掴み損ねた。ワンテンポ遅れて、俺は顔をあげる。
高杉はフェンスの先を見てた。けれどきっと眼下の住宅とかを見てるわけじゃなくて何処か、遠くを見ていた。
「本気で俺を大事に思ってくれてるのは分かってた。だから俺はそれに甘えてたんだろうな。俺のこと好きだっていう気持ちを利用した。都合が悪くなって切り捨てた」
最低だ。高杉はそう自嘲した。俺はまだ話がよく掴めなくて口を挟めない。
情報を断片的に拾い上げれば、高杉とこいつは教師と教え子。こいつは高杉のことが好きだった。多分高杉もこいつのことが大切だった。本当に大切だった。でも別れた。高杉から振った?
「後悔、してんのか」
尋ねていた。半ば無意識に。俺の問いに高杉は緩く首を振った。
「いや、…あれで良かった。今でもそう思ってる。俺とあいつじゃ、ダメだったんだろうよ」
釣り合うとか釣り合わないとかそういう問題じゃなかった。噛み合わなければならない何かがズレてたんだ。
それは俺に、というより高杉自身への言葉のようだった。高杉は金網に指先を引っ掛けて遠くを見つめている。
「でもまぁ」
踵を返して、高杉はフェンスに身体を預けた。空を見上げる。冬の薄い青は穏やかな色だったけれど、高杉は眩しそうに少しだけ目を細めた。
「幸せそうで良かった」
細めた目を閉じた。誰かを想って紡がれた言葉はじんわりと俺らに染み入ってきて、俺は一瞬高杉が泣いてしまうのではないかとか思ったけど、こいつはそんなタマじゃねーなとすぐに打ち消した。
また写真に視線を落とす。高杉の教え子は本当に楽しそうに笑っていて、きっとこれは心からの笑みなんだろうよ。パンダ被っててもそいつだって分かる高杉には、こいつの心んなかなんて手にとるようにわかるに違いない。
なんか妬けんな。そんな場違いなことを思いながら、俺は高杉に目を向けた。
「おまえは?」
「?」
「おまえは幸せじゃねーのかよ」
「………」
「それに俺、まだ俺に寄り掛かれよっていうのの返事聞いてねーんだけど」
いつか尋ねた言葉だ。今まで返事を催促したことなんかなかった。高杉から言うのを待って5年経過とか、俺すげー待つ男だな。我ながら今更ビックリだよ。
俺に寄り掛かってくれてかまわねぇって今でも思ってる。最初より、心は開いてくれたかなとは思うけど、人一人潰しかけるくらいの重さで俺とも向き合えばいい。
高杉は俺に目を向けて、でも答えない。俺も視線を外さないからガチンコで見つめ合った。
風が間を通りすぎていった。俺らの距離が憎らしい。
不意に高杉が目を閉じた。そして小さく笑った。
「不幸ではねーよ」
そういうときは素直に俺も幸せっていっときゃいいんだよ。
捻くれ者のお返事に、俺は一歩踏み出して5mの距離を縮めた。