「新しい先生?」
わざわざ俺の呼びだしてくれたババァ、この学校の理事長やってるお登勢のババァに言われた言葉に俺はババァを見た。
「そうだよ」
ババァはババァで口紅を塗りたくった真っ赤な唇から白い煙を吐き出しながら言った。
「高杉先生って言ってね、そりゃあもう優秀な先生を招き入れることになったんだよ。あんたなんか足もとにも及ばないくらい優秀な先生をね」
「ふぅん。で、なんで俺に言うの?」
「同い年だからね。まぁ、面接した感じじゃ、あんたみたいな馬鹿にゃ仲良くできるかわかんないけど、一応仲よくしてもらおうと思ってねぇ。この前のみたく1週間で辞められちゃこっちも叶わないんだよ」
「それ俺のせいじゃねーだろ」
「あんたの銀八丼も辞めた先生の苦情の一つに入ってんだよこの甘党がァァァア!!」
んなこと言われたって人の趣味嗜好にまで口出そうとする方が悪ィんじゃね?
まぁどうでもいいし、っていうかすぐ辞めたって俺にゃ関係ねーし、新しい先生が来るより結野先生がカムバックしてくれた方が嬉しいし。
そんなことを考えてたら顔に出てたのかババァに頭一発殴られた。



翌日、その新任の先生の紹介だとかなんだとかで教職員は職員室に集められていたわけだが、俺は別にどうでもいいし、ちょいと一服したくなって席を立った。
「何処へ行くでござるか。理事長はもうお見えになるでござる」
空いてる新任の先生の机の向こう、音楽教師の河上万斉、グラサンヘッドフォンが俺に声をかけてきた。
その声は明らかに咎めの意味が含まれている。なんでか、俺はこいつに嫌われている。あぁいいさ俺だって嫌いだコノヤロー。
「あー?んなの知らねっつの。だいたいなぁ、結野先生の後任が野郎ってどうよ?結野先生が辞めたんだぞ?結野先生に匹敵する美人が来てしかるべきだろうがよ。何だよ野郎って。俺ァ桔野先生に代わる美人女教師じゃねーなら興味ねぇの」
何か言おうとした万斉から目をそらすと俺は職員室を後にして屋上に向かった。
喫煙室を除き、敷地内全て禁煙だけど屋上はほら、特別区だろ。
悪ガキがたむろって悪さしてねぇかっていう見張りの意味も込めて俺は此処を俺の領域にしている。
今日は風が少ない。けれど桜がほとんど散ってしまっている4月頭の空気はまだ冷えていた。
火をつけて煙で肺を満たす。今職員室で行われているであろうやり取りを思い、無意識にため息が出た。
まーたババァに減給とか言われたらどうすっかな。たばこ?たばこやめる?糖分は脳の栄養、控えたら死んじゃうからね。
背後で重い扉の開く音がした。なんだどの悪ガキだ?ん?でも今日は生徒はいねぇはずだけどな。
「金時…?」
聞こえてきた呟きは一瞬強く吹いた風に掻き消されそうになりながら、それでも確かに俺に届いていた。
「んぁ?」
知らない奴がいた。十数m先で、お化け、いや違う、夢マボロシか何かでも見るような顔をして、俺を見つめてる黒髪の白衣。
―――なんで、そんな顔してんだ?
「誰あんた、部外者が勝手に入っちゃいけねぇよ。ここ一応女子高だからね、ダメダメ。男子禁制の花園だから」
正確には男女共学なんだけど、男子校と女子高の並立みたいな形になってる。此処は女子の領域だ。
俺の言葉にハッとしたように野郎は瞬きを一つすると目付きを鋭くして俺を睨んできた。悪い顔だなぁコイツ。なんとなく整って綺麗だから余計に。
「…俺ァ今日から此処で数学教えんだよ」
しっしと犬でも追い払うように手を振る俺に男は低く唸るように言った。声は案外低い。
その言葉に俺はババァの言葉を思い出した。
『高杉先生って言ってね、そりゃあもう優秀な先生を…』
高杉先生、こいつが話の高杉先生か。
『面接した感じじゃ、あんたみたいな馬鹿にゃ仲良くできるかわかんないけど』
あ、余計なひと言も思い出した。んだよババァ、ひとのことバカバカ言いやがってよー。そんなバカ雇ってんのはおめーだバカヤロー。
「あぁー、結野先生の代わりの奴かー…。そういやババァが言ってたな。俺古典教師の坂田銀八、よろしく、は別にしてくれなくてもいいけどな」
「………」
俺の言葉に高杉先生とやらはなんの反応もせずに不機嫌そうに懐からタバコを取り出した。見慣れないパッケージで俺はなんとなく目を止める。
「あれ?無視?挨拶はしなきゃだろうが」
「うるせぇよ」
言いながら高杉はタバコに火を付けた。
うわムカつくなー。なんだこいつ。俺のそんな胸中など知ってか知らずか、高杉はたばこに口をつけ、白い煙を吐き出した。
それから会話は途切れ、黙り込む。
別に沈黙が苦痛というわけでもねーけど、初対面でこんなにも敵意向けられっと俺としてもいい気はしねぇよなぁ。
俺だって闇雲に敵増やしたいわけじゃねーから、もうちょっとこう、良好な関係は築いておきてぇとは思ったりする。なんか話題、話題…。
「あ、そうだ。なぁ、結野先生の次の先生」
無視された。何度か呼びかけたけど、全部無視だ。いい根性してんなコノヤロー。
「オーイ、聞こえてんだろうが。耳悪いのかー、オーイ」
本当、気持ちいいまでにすべて無視され続け、高杉は自分のタバコを吸い終わると俺に背を向けて出て行こうとした。
んー、なんだ、俺の名前は結野先生の次の先生なんかじゃありませんって拗ねてんのか?だってお前名乗ってないのに呼ぶのもよぉ。
だからこっちはお前が名乗るのを一応待ってたわけよ?待ってたんだけどおまえ返事しねーとか、ねーよ。
「高杉先生」
名乗られていない名前を呼んでやれば高杉はぴたりと動くのを止めた。
不愉快そうな顔で振り向かれる。
「なんで名前知ってんのか、っつー顔」
「………」
ニヤニヤと笑ってやれば余計睨まれた。目つき悪いと言ってやる。するとさらに睨まれたので俺は肩を竦めてみせた。
ずっと凭れていた柵から体を起こして少し距離を詰める。野郎はずっと俺を睨んでいる。
―――何をそんなに警戒してんだ? おまえは、俺に誰を見てんの?
ポケットに突っ込んでいた手で野郎の肩を叩いた。
「ババァがよー、あ、ババァって理事長な。理事長がすんげぇ優秀な先生雇ったって言ってて、名前も先に聞いてただ、け」
そう怖い顔すんなよと、すれ違い様にそう言ってやる。ふわりと甘い匂いが香った。俺はそのまま屋上を後にした。
ちらりと振り返ってみれば、扉についてる窓の向こう、黒髪が風に揺れていた。



職員室に戻り、俺は異変に気づく。机の上に置いてあった私物を詰めた段ボールが、開いている。
ちらりと隣の隣を見る。
そいつの机の上には俺の段ボールの中に入っていたであろう飴が置かれていた。
「てっめ、何人の箱開けてんだ?プライバシーの侵害だ、賠償金にパフェ奢れパフェ」
俺の言葉に万斉は俺に顔を向けた。サングラス越しじゃいまいちどんな顔してっかはよく分かんねーけど、イライラしてるのはわかった。おまえほんと俺のこと嫌いだな。
「何がプライバシーでござるか。どうせ菓子しか詰めてないでござろう。綿菓子みたいな頭して…、もうお菓子の国に帰れ」
「あぁん?」
此処からは売り言葉に買い言葉でひたすら言葉で殴り合う。
そうこうしてるうちに何食わぬ顔で高杉は俺らの間に座った。俺らのやりとりなどまるで興味もないように自分の私物を机の中にしまい始める。
そんな様子を俺は視界に隅に入れながらも目の前の相手と舌戦を繰り広げていた。
俺が席につき、万斉が何処かへ立ち去る、と言っても音楽室で音量上げて音楽流してんだろうけど。
ババァに完全防音の音楽室が欲しいとかぬかしてやがったが、それ絶対てめぇの私用のためだろ、と思うのでババァはうちに完全防音の音楽室なんて絶対作らなくていいと思います。まる。
不意に、高杉が溜め息を吐く。
なんとなくそっちを見てみれば、今の溜息が幻聴かなんかかと思わせるような目をして授業の名簿に目を通していた。



なんか危うい、触れたら割れる硝子のような。
そんな印象を抱いたんだって言ったら、おまえは笑うのかな。それとも、泣くのかな。



それとも息を止めるのかな。