銀八の携帯が着信を告げる。 何気なくとって相手を確認すれば実の兄で、うんざりしながらも通話ボタンを押した。 「…なんだよ」 『あ、何その態度。海外飛びまわってた兄貴が無事帰国していつかぶりに電話してるっつーのに』 「海外…?」 そんなの初耳だ、訝しげな銀八の声に対し、金時は腹立たしくなるほどの気楽さで『うん』と頷いた。 『ちょっとパリ行ったりタイ行ったりインドネシア行ったりしてきたわけよ。んなわけでお帰りくらい言えねぇわけ?』 そんなの聞いてない。知りたくもないが、知らないことを咎められても対応に困る。 「…ふぅん、よかったな」 『うん、なかなかよかった。お土産あるから今度取りにおいで。別に送ってもいいけど』 「いらねぇってのは」 『なし。あ、いいや。高杉に持たせるから。銀八が兄貴に会いたいってなら来てくれても構わねぇし、っつか俺が届けても…』 「別に会いたくねぇし」 きっぱりと言い放てば金時は冷たいなぁと特別傷ついた風もなく言ったが、今はそんなことより銀八の気を引いたことがあった。 「っつかなんだよ、高杉に持たせるって。高杉には会わせねぇし、会うなっつってんだろ」 高杉の骨折はそろそろ完治するけれど、銀八はもう高杉を金時のところに戻す気はなかった。 銀八も、金時に比べればまだマシだがエゴイスティックな人間だ。自分のせいで高杉が金時に傷つけられるなんて堪えられない。銀八は自分の心の安寧のために、二人を遠ざけるつもりだった。例え高杉に『話が違う』と恨まれようともだ。 だが金時はそんな銀八の考えなど嘲笑うかのように笑いながら言った。 『おまえの言うことなんて知らないよ。高杉はうちに帰ってくる。うちに、俺のところに。これは絶対。おまえの及ぶところじゃないんだよ』 そう言って笑う金時に、銀八は背筋が凍る思いをし、電話を握りしめる手に力を込めた。 「おまえ、…何が言いたいんだよ」 電話越しじゃなかったら、その胸倉を掴みあげてやるのに。銀八は空いている手をぎゅっと握りしめる。 『………』 金時は答えない。きっとニヤニヤといつもの笑みを浮かべているのだろうと思うと、銀八は苛立ちから眩暈がするような心地がした。 『しばらく外国をぶらつこうと思うんだ。だから、俺が日本に帰ってきたら、高杉もうちに帰っておいで。そのときはまた連絡するね』 金時からの突然の電話は本当に用件のみで、どうしてるかなど聞かれもしなかったし聞かせてくれもしなかった。 きっと金時のことだから高杉が作るよりもずっと美味しいものを自分で作って食べているであろうし、高杉が心配する必要など全くないのはわかっている。 なんで急にそんなことを言うのか。それくらい尋ねようと思ったが、高杉が口を開くより先に『んじゃ、そゆことで。じゃあね』と電話は切れた。 高杉は折り返しかけ直してその真意を問いただそうとし、やめた。かけ直したところで、そもそも電話に出てくれるかどうかも怪しい。 肩を落とし、銀八のいるリビングに戻った。銀八は何も言わなかった。高杉もまた、何も言わなかった。 そして今日、『帰ってきたよ。だから帰っておいで』、金時からそうメールが届いた。 「………」 3週間ぶりの金時の家の前で、高杉は立ちすくんでいる。何度も何度も深呼吸を繰り返した。たった3週間立ち入らなかっただけで、この扉の向こうが未知の世界に思えて仕方がない。 それは初めて金時の家に入ったときと似ているようで、絶対的に違っていた。 意を決して高杉はドアを開けて中に入った。 息を殺し、廊下を歩み、リビングへの扉を開ける。静かに、中を覗き込みながら、ソファーの上、ぽつんと金髪を見つけた。金髪が振り向く。 「あ、おかえり。早かったね」 「…ただいま」 「何、その顔。久しぶりの再会なのに。んなとこ突っ立ってないで座んなよ」 「………」 顎でソファーを示され、高杉はどことなく金時を伺うようにしながらもソファーに座った。怯えているわけではない。が、警戒はしている。そんな高杉の様子など金時は気にもとめず、高杉と入れ代わりにソファーから立ち上がると寝室に向かった。 すぐに出てくると手ぶらだったはずの手にある箱を「はい」と言うのと同時に高杉に向かって投げた。 無様に箱が頭に当たる、という事態は避けた高杉は少し大きな白い箱と金時を訝しげに見遣った。 金時はただニコニコといつもの笑みを浮かべ、何も言わない。開けてみろというつもりなのだろうと高杉は判断し、眉を寄せたまま厚紙で出来たその箱を開けた。 「―――……」 中身は服だった。男物の、見知らぬデザイン、だがわかる。金時が作ったものだ。 「あげる。前にさぁ、高杉に作ってあげるって言ったような気ィすんだよね。俺の気のせいだっけ?」 「言ったけど…」 それこそ高杉が金時のところに住みはじめたばかりの頃の話だった。 どうやったらそんなデザインを生み出せるのかと高杉は尋ねたことがある。金時は笑っていた。 『簡単だよ、自分が着んの作るだけだもん』 別に特別なもん作ってないと言ってのける金時に、高杉はいましがた書かれたデザインを難しそうな顔をして見つめた。 金時が着ている服は全て自身がデザインし仕立てたものだった。それが街中で下手に浮いているかというとそんなことはなく、派手な金髪を含め、金時という存在を街に溶かしている。 今書かれたものもなんの変哲もないと言ってしまえばそれまでのデザインなのだが、それでもやはり何処か世の中に溢れるレディメイドとは違うのだ。 それを言い表すことのできる言葉を己のボキャブラリーから見つけられず、高杉は黙り込んだ。 「…すっげぇ、奇抜な、斬新なのも作ってんじゃねぇか」 それでも懸命に話題を探せば、金時はあっさりと言った。 「あれは遊び。俺なら着ないね」 悪ふざけの産物だよと金時は笑うが、その悪ふざけの産物が世界的なコンクールで輝かしい称号を得ているのだが、高杉はそれ以上何も言わないでおいた。 「特別なんて、俺には必要ないんだよ。だって初めから世の中の奴らと俺は違うんだから」 「………」 なんでもない風にさらっと言った言葉に、どんな意味があったのかその時の高杉はわからないでいたけれど、金時にとって高杉の理解などどうでもよかったのでそのまま話を続けた。 「今度高杉にも服作ってあげよっか。デザイン、仕立て、完全俺」 「いいのか…?」 「いいよ」 そんなやりとりがあったことを忘れていたわけではないけれど、金時が特別何も言ってこなかったので高杉から催促するのも躊躇われそのままになっていた。 今、こうして高杉のためだけに作られた服を目の前にして、高杉は声をもなく箱の中の服を見つめた。 「すっげ生地とかこだわっちゃってさー、いろんな国回っちゃったよ」 「え…?」 これのために、海の向こうに行ってきたのかと高杉は顔をあげた。 金時はずっと変わらぬ笑みを浮かべながら高杉を見つめている。 「どうして…?」 「?どうしてって、約束したじゃん」 「でもだからって…」 それこそ適当に書いて作ってくれればよかったのに。 目を丸くしている高杉を見つめながら、金時は細めていた目の色を僅かに変えた。 『おまえ、結構本読んでたよね。ハッピーエンドの結末の話って、どう思う?』 突然切り替わった話題に、うやむやにしようとしたってそうはいかないと銀八は同じ問いを重ねようとした。 「今はそんな話してんじゃ…」 だが金時は銀八の言葉になど聞く耳を持たず、問いかけたくせに答えすら求めず言葉を続けた。 『俺は悪くないと思うよ。必ず運命の人と結ばれるラブストーリー、まぁその先喧嘩して別れたかもとか、後日談をつけたらあんのかもしんないけど、とりあえず話自体はハッピーエンド、大団円で終わるわけだ。ラブストーリーだけじゃない、たいていの話はさ』 「だから…」 『あぁ、でも恋は敗れて切ないラブロマンス、みたいなのもあるよね。けどそれは結局主人公を成長させるわけで、救いがないわけじゃないよな』 「金時」 『まぁそんな話に懐疑的な奴もいて、本当にどこまでも救いのない物語だってこの世にはあるけど、それも含め、世の中の話の在り方を国語教師のおまえはどう思う?』 「………」 やっと与えられた発言の場に、銀八は沈黙で答えた。今まで散々発言を黙殺されたのだ。 自分だけが答えてやる義理などない。 だがやはり金時にはそんなことはどうでもいいらしく、しばらく銀八の言葉を待ったがまた口を開いた。 『俺はさっきも言ったと思うけどハッピーエンド派なわけよ。だってさ、現実はんなに甘くないとかいうけど話って現実じゃないだろ。救いない現実は現実で腐るほどあるわけでそんなんをフィクションにまで求める必要はないと思うわけ。だって話ってのは作り話なんだから』 同意を求めるような金時の言葉を銀八はしばらく聞き流していたが、やがてまた口を開いた。 「…それでおまえは何が言いたいわけ?」 聞きたくもなかったが、問わずにはいられなかった。 今度の問いは黙殺する気はないようで、金時は口を開いた。 「俺、高杉のこと好きみたい」 「は…?」 突然の言葉に高杉は目を丸くして金時を見つめた。 『登場人物は俺と高杉、そんなラブストーリーの結末はハッピーエンドがいいに決まってるだろ』 金時はソファーから腰をあげると高杉の前に立ち、自分を見上げる右目をじっと見下ろした。 『だから、登場人物におまえは要らないよ』 右手を伸ばして、高杉の頬に触れる。ただただ真っすぐに自分を見つめる瞳を見つめ返しながら金時は左手も高杉の頬に添えた。 「好きだよ、高杉」 まぁだからといって、大切にする気はないのだけれど。 そう言って、金時は薄く開いた唇に口づけた。 人でなしの恋物語が今始まる。 |