解せぬ。
金時は胸中にわだかまるヘドロのようなドス黒い感情をそのまま表に出していた。
「金ちゃん、並な顔がいつもより凶悪ヨ。子供泣くアル。えーんえーん」
「なに子供のフリしてんだ可愛くねーんだよ」
そう吐き捨てた途端に顎を軋むほど掴まれて金時は即座に謝罪の言葉を並べた。
特別怒っていたわけではない神楽はすぐにその手を離したが、それでも仕方なさそうにして目の前の小皿のケーキを金時に差し出した。
「金ちゃんの安月給じゃ買えない最高級のケーキたちを前にして何が不満ネ。いつからそんな贅沢覚えたアルカ。私悲しいヨ」
神楽の言葉通り、二人のテーブルの前には色とりどりの芸術品のようなケーキが並んでいた。店内の微かな光源でも職人の技術が光っている。今日、10月10日の金時の誕生日を祝うために神楽が用意したものだ。店中の客、従業員問わず全員に振る舞われている。
それを憮然とした表情で見つめ、金時は首を振った。
「おまえのケーキが不満なんじゃねぇよ」
むしろ最高だ。幸せだ。恵まれている。素直にそう思う。けれど、金時の胸には昨日喧嘩した年下の恋人を思い、溜め息をついた。
「は? 聞いてねぇし」
明日、つまり今日、金時の誕生日には仕事で派手に祝ってもらうから会えないと告げたとき、高杉はこれ以上ないほどの不快感を露わにした。
子供なら泣くな、大人でもビビるわと他人ごとのように思いながら、その表情を向けられた金時本人は仕事の営業メールを打っていた。
「だって今聞かれたから今言ったもん。え、なに俺の用事おまえに逐一報告しなきゃいけねぇの? うわやっだ、おまえってそんな束縛癖あったっの。悪いけど、俺縛られるより縛りたい質でよォ」
つらつらと高杉の顔を見ないままに語ればガツンとローテーブルを蹴られた。動いたそれは綺麗に金時のすねに当たる。情け容赦のない一撃に悶え苦しむ金時をよそに、高杉は対面のソファにどっかり座り込むと冷め切った視線と言葉を金時に投げつけた。
「お言葉ですが金髪天パのNo.1ホスト様? てめぇは約2ヶ月前、そっちから俺の誕生日は一緒に過ごそうと約束したくせにすっぽかした上に、日付変更間際デロデロに酔っ払って現れて『悪かった。来年は絶対一緒にいる。頼むから俺の誕生日は一緒に過ごしてくれ』以上要約済み、なことを口走ったわけなんだよ。俺はてめぇと違って交わした約束は違わねぇ。だから明日はちゃんと開けておいてやったんだけどそれをてめぇは言うに事欠いてあたかも俺に悪癖があるかのようにのたまう訳か。あぁそうかい。分かったよ」
滔々と語る高杉を金時は痛みで涙目になりながら見守った。
高杉は立ち上がり鞄を掴むと金時を一瞥して言い放った。
「嘘しか吐けないてめぇの言葉なんて、金輪際信じねぇ」
沸騰と凝結が入り交じったような空気を纏い、高杉は去っていった。後に残ったのはすねの痛みとズレた机、それと圧倒された金時だ。
我に返って一言呟いた。
「解せぬ」
散々店中に祝われて、愛想笑いを返し酒を煽り生クリームを腹に詰め込んだ帰り道、一人歩きながら金時は呟いていた。
何度思い返しても、悪いのは嘘を吐いた、というか自分が取り付けた約束を忘れた自分だ。
しかし本質としては、金時の誕生日を祝う気持ちが大切なのであって、一緒にいることではないではないか。高杉の誕生日だって、心のなかでは全力で祝っていた。祝っていたのだ。それを仕事で一緒にいなかったくらいであんなに根に持たなくてもいいではないか。
沸々と湧き上がる怒りに金時は路上の石を蹴飛ばした。跳ねる石と街灯、月明かりが伸ばす影を見て、虚しさに溜め息を吐く。
謝ろう。自分は大人だから、くだらない意地を張らずに素直に謝ることができるのだ。
あの根にもつタイプが許してくれるかは分からないけれど、あれで流されるタイプなので優しく甘やかせばなんとかなるだろう。
そんなことを考えながら鍵を突っ込んだ。開いている。
「…あれ?」
どういうことだ。恐る恐るドアを開ければ派手な音が響いて金時はびくりと身体を震わせた。どうやらドアを開けるとバケツが倒れて派手な音をたてる仕掛けが施してあったらしい。
誰がこんなことを。今の金時の頭には合い鍵を持つ存在は浮かばなかった。
「おかえり」
廊下の向こうから目をこすりながら高杉が現れた。手にはお皿を持っている。無造作に持たれたそれには何も乗っていない。
まさか投げつける気かと金時は身構えたが、高杉は寝ぼけ眼のままそれを金時に渡した。
「それ、ちゃんと両手で顔の下に持ってろ。そう」
セットされるがまま、金時は皿を両手で持ち、顎の下に添えた。
なんのつもりだろう。訝しがる金時の前で、玄関に置いてあるなにかを高杉はいじっていた。それは高杉の身体が邪魔をして金時からは見えない。高杉の顔だけ振り向いた。
「目、つむった方がいいんじゃねぇか?」
「え…、っ」
直後広がった光景に、金時は目をつむるどころか見開いた。ホールケーキを、顔面に叩きつけられた。ぼたりと金時の持つ皿の上に落ちたようで重みが増した。
反射的に閉じていた目を見開けば、高杉が悪魔のように笑っていた。愉悦に満ちた唇が開く。
「Happy birthday.だったか? 金時ィ。今回は誕生日だったし特別に許してやるが、次嘘吐いたらその喉潰して喋れなくしてやるからな」
冷たく吐き捨て、高杉はリビングに戻っていく。
取り残された金時は、何度目が分からぬ言葉を呟いた。
「解せぬ」