「必要そうなもんは詰めといた。てめぇしばらくヅラんとこで世話になれ」
「…は?」
家に帰るなりボストンバッグ一つ渡されて、銀時は家を追い出された。なにがなんだかわからないまま扉の前で立ち尽くしていると、迎えにきたという桂がやってきて桂の店の従業員が運転する車で連れていかれる。
以前、わずかな期間ながら暮らしたことのある部屋に通されてもまだ自分が置かれた状況を銀時は掴めていなかった。一体なにが起こったのだろう。
呆然と座り込む銀時を気にもとめず、部屋にやってきた桂は高杉からの伝言だと言った。高杉、その単語に反応して銀時は無意識に顔をあげる。銀時の目を見ながら、桂は言った。
「おまえ置き勉ばっかじゃねーか。ちゃんと勉強しろよ奨学金切られてもしんねーぞ、だそうだ」
「…あぁそう、わざわざどうも」
で、この状況の説明は無しか。こうなったら桂に聞けばいいかと銀時は桂に話しかけようとしたが、桂は店があるからと足早に去ってしまった。結局まともな説明を受けないまま、銀時は桂の家での生活を始めることとなった。



それから何度か桂にどうしてこうなったのか尋ねようとした。だが、いずれも桂はのらりくらりと交わしてしまって銀時の問いに答えてはくれなかった。こうなりゃ勝手に想像しようと銀時はどうしてこうなったのか考え始めた。
即座に思いつくことは、高杉に恋人が出来た、だ。今までもいたのかもしれない。ただそれを匂わせなかっただけだったのだ。いや、本当はプンプン匂っていたのかもしれない。それは接客中に付いた客の匂いだと銀時が勘違いしていただけなのかもしれない。かもしれない、かもしれないを積み重ねているうちに、それが真実のように思えてきて銀時は与えられた部屋の天上を見上げながらひとりごちた。
「そりゃ、女連れ込むのに俺はいない方がいいわな」
毎回ホテルじゃ金もかかる。普段あんなにグダグダなダメ人間の様相を呈しているくせに、リアル保健体育には少々神経質になっているのかもしれない。思えば、高杉の部屋を漁ってもグラビアやAVの類は見つからなかった。見つからなかった代わりに、なに勝手に部屋に入ってんだとしばき倒されて頭に大きなたんこぶをもらった。あれは痛かった。自分は銀時の部屋に勝手にはいるくせに。
「…なんだかなぁ」
いつか出ていこうと思っていたけれど、追い出されるのは少々思うところがある。なんだかすっきりしない。せめて、ちゃんと事情を説明してくれればいいものを。引き取られた時もそうだった。訳がわからないまま、高杉のマンションに連れてこられて、今日からここがおまえの家で、おまえの部屋はそこだからと言い放たれて、ろくな説明もない。
「あんときと一緒だと思えば、いいのか」
気にしたら負けだ。なにと勝負しているのかもわからないけれど、負けなのだ。今までもそうやって生きてきたじゃないか。
彼は今頃仕事中だろうか。ちゃんと食事をしているのか。酒を飲んでは刺激物を食べてはいないだろうか。なんてことも、気にしてはいけない。
銀時はそう自分に言い聞かせて目を閉じた。



だが、桂の世話になる期間は思いのほか短かった。
「あ」
明日の授業に必要なノートがない。高杉は必要なものは詰めたと言っていたけれど、あまりにも勉強道具がスカスカだったためにかえって見落としたのだろう。
どうしたものかと考えて、考えるまでもなく取りに行くしかないと結論づける。心の何処かであの家にもどる理由ができたことを喜んでいたのかもしれない。
無意識に軽くなっている足取りで辿り着いたマンションに、高杉はいなかった。無人の屋内はなんだか生活感がなくて、銀時は違和感に首を傾げた。
台所に行けば食器は片付けられていてシンクはおろか食洗機の中にもない。いつもそこから出しては使ってまた洗っているというのに。
彼は、高杉は今どこにいるのだろう。胸騒ぎがして足早に勤め先に向かう。しかし銀時がそこにたどり着くことはなかった。夜の歌舞伎町を歩く高校生に声を掛けたのは、銀時も一応は知る人物だった。
「おや、晋ちゃんとこのガキじゃないかィ」
振り向けば色味がかったグラスをかけた長身の男が立っていた。銀時は知っている。こいつは高杉の職場の、高杉グループの一人だ。やけに高杉にご執心で、自分のことを嫌っている。あのグループの人間は高杉と暮らす銀時のことが気に食わないようなのでこいつだけではないが。
「いけないねェ。子供がこんな時間にこんなとこにいちゃ」
「まだ夕方じゃねぇか」
まだ日も落ち切っていない。そんなことを言われる筋合いはないので、銀時は止めた足を再び動かした。高杉の店に向かっているためか、後ろからその男、似蔵もついて来た。
「店に向かってるのかィ。あの人もいないのに、店になんの用かね」
「高杉がいない?」
聞き逃せない言葉に銀時は再び足を止めて似蔵を振り返った。それを受けて、似蔵はキョトンと銀時を見返した。
「なんだ、おまえさん知らないのかィ。晋ちゃんは今病院…」
そこまで言って似蔵は口を閉ざした。言ってはいけないことを口にしてしまったとでも言うように明らかな失言の様相を見せて、なんでもないよと嘯く。なんでもないわけがあるか。
胸ぐらを掴む。似蔵の方が背は高いけれど、そういう相手との喧嘩方法も銀時は知っていた。人を殺しかねない目をして銀時は問いかける。
「高杉は今、どこにいんだよ」



銀時は走った。走った。あぁそういえば最後にあったとき顔色が悪かったかもしれない。そういえばあのとき、と次々思い浮かぶ心当たりを押しやるように無心で走った。
辿り着いた病院の自動ドアが開くまでの時間すら煩わしく足踏みをして、開いた隙間から身体をこじいれるようにして中に踏み込んだ。
似蔵から聞き出した部屋へと飛び込む。
「高杉!」
かくして高杉はそこにいた。病室のベッドのうえで、病院服を着て、驚いたように目を丸くして突然現れた音源に目を向けたいた。よかった生きてた。
その場に崩れ落ちる銀時に、高杉は状況がつかめていないようで「どうして此処に」とか「何を慌てて」だとか言っていたけれど、顔を伏せたまま動かない銀時に、ベッドから下りて点滴を引きずりながらしっかりとした足取りで銀時のところまで歩いて来て隣にしゃがみ込んだ。
「どうした。ヅラがくたばったか、オカマに襲われたか。そいつぁ災難だったな。寝て忘れちまえ」
「どうしたじゃねぇよ、てめぇがどうした。っつか襲われてねーし」
ヤンキーのような座り方をして顔を覗き込んでくる高杉を睨み返しながら銀時はようやく与えられた質問の機会をしっかりと掴み活用した。余計な言葉を付加しなければならなくなったが、まぁいいだろう。
銀時の問いを受けて、高杉は直ぐには応えずまぁ立てやと銀時に起立を促した。ここで誤魔化されてなるものか。銀時はそれには従わず立ち上がった高杉の病院服をしっかりと掴んで睨みあげる。
常にない真剣な銀時の眼差しを受けて、高杉は仕方なさそうにため息を吐いた。
「検査入院?」
やっと与えられた答えを、銀時は思わず繰り返していた。それを受けて、高杉は心底面倒臭そうに頷いた。
「…人間ドックだけのつもりが胃がやべえってんで、そのまま」
銀時が家を出されたあの時は入院の支度をするための僅かな時間であったそうだ。お土産で貰ったという林檎をむかされながら銀時は開いた口が閉じられなかった。
「別に命に別状がねーなら素直にそう言ってくれりゃあ良かったんじゃねーか」
「言ったらまたてめぇは不摂生がどうたら仕事辞めろこうたら言うんだろうが」
鬱陶しい、とその胸中を表情に出して高杉は顔を背けた。そんな高杉を見て、銀時は心の底から溜め息を吐いて剥いた林檎を口に入れる。寄越せと文句が飛んだが、聞こえなかったフリをした。
気が抜けたようにうなだれたまま林檎を咀嚼する銀時を見つめ、高杉は罰が悪そうに視線を彷徨わせた。
「…まぁ、明日明後日には退院すっから、てめぇも戻ってくりゃあいいんじゃねぇか」
「……」
恨みがましく睨めつければその視線から逃れるように高杉が顔を逸らす。お互いに口を閉ざしたせいで沈黙が落ちた部屋に、ぽつりと声が響いた。
「…悪かった、言わなくて」
それを受けて、銀時は今日何度目かわからない溜め息を吐いて言った。
「退院するときは連絡寄越せよ」
謝ってくれたから、とりあえず今回はこれからの食事をおかゆ三昧にすることで許してやろう。