「夏風邪は馬鹿がひくたぁ、よく言ったもんだ。なぁ?」
「…ぞうでずね…」
明らかに小馬鹿にしたような視線を向けてくる高杉を視界に入れないようにしながら、それでも銀時はきちんと返事を返した。今、二人がいるのは銀時の部屋だ。高杉は椅子に座り、銀時はベッドに臥せって布団を目元まで引き上げていた。
一緒に住むようになってから初めて、銀時は風邪をひいて寝込んでいる。春から梅雨の不安定な天候にやられてしまったらしい。咳は酷くないものの熱が出て碌に立っていられない。
そんな銀時の部屋にずかずかとやってきた高杉は椅子に座ったまま特に何をするでもなく、臥せっている銀時をただ見下ろしていた。
ハナから高杉の看病など期待していない。食欲もないので、変に気を回されて胃がもたれそうなものを出されるより放置された方が気も楽だ。あとは高杉がこの部屋から出て行って、そっとしておいてくれれば言うことはない。
高杉の言葉に従順に無抵抗でいれば、飽きていなくなってくれるかと思い、先程から腹立たしい言葉を全て受け流しているのだけれど、高杉はなかなかいなくならない。
「俺に移したらてめぇぶっ殺すからな」言うに事欠いてそれか。ならば今すぐこの部屋から出ていけ。
そう言いたかったが銀時は殊勝に「気をつける」とだけ鼻の詰まった声で返した。銀時の言葉に高杉の表情が曇ったが、銀時はそれを見てはいない。
早く、一刻も早く出ていけと願い続けながらも高杉が何も言ってこなくなったので、静寂に包まれると意識がうつらうつらとし始めた。あと少しで夢の国というところで、高杉が席を立ち、その音で銀時の意識は現実に引き戻された。
「俺ァ仕事行くが、死にそうになっても電話なんざとれねぇからな。てめぇでなんとかしろよ」
おまえ呼ぶくらいなら救急車呼ぶわ。口から出そうになった言葉を飲み込んで「いってらっしゃい」とだけ言った。やっといなくなってくれる。その安堵感から声は酷く弱々しくて高杉に届かなかったのか、高杉からの返事はなかった。



どの位経っただろうか。熱が上がりきったのか、じんわりと感じる暑さに目を覚まし、銀時は目を開けた。閉じていたせいで闇に慣れた目はカーテン越しに届く外の明かりを拾い集めはしたものの、壁に掛けてある時計の針の位置までは分からない。
しかし、室内に薄闇よりも暗い影があることに銀時はびくりと体を強ばらせた。一体なんだ。恐る恐る目を凝らしてみれば、其処に居たのは高杉だった。
いつ帰ってきたのか、出掛ける前に居た椅子に座り、腕を組み、足を組み、俯いて寝ている。
この世のものでよかった。影の正体にホッと息をついて身体を起こせば、衣擦れの音に高杉が顔を上げた。
「…どうした?」
声が寝ぼけている。表情はよく見えないが、きっと目は開いていないに等しいだろう。高杉がすっきり目覚めることなんてまずない。
「暑いから、なんか飲もうかと思って」
言ってから、銀時は喉の渇きを自覚した。汗もかいて気持ちが悪い。ついでにタオルでも取ってきて身体を拭こう。そう思った銀時を押しとどめて、高杉がふらふらと部屋を出て行った。
そして間もなくして戻ってくる。その手にはコップとポカリスエットのペットボトル、濡れタオルが存在していた。
「ほらよ」
「ん…サンキュ」
受け取り、喉を潤しながら考える。こんなもの、家にあっただろうか。もしかして、高杉が買ってきたのか。
どういうつもりなのだろうと、銀時が訝しげに高杉を見ていると、高杉はタンスからTシャツを取り出して銀時に投げつけた。
「汗かいてんだろ。着替えて、また寝てろ」
「……」
どういう風の吹き回しだ。もしかして、高杉も風邪をひいたのか。頭をやられたのか。
思わず心配する銀時だが、口に出して高杉の不興を買うほどの回復はしていない。言われるがまま着替えて、また横になれば新しい冷えピタが額に貼られ、ついでのように頭を撫でられた。
「寝とけ」
そう言う高杉の口調は優しいが、室内は暗く、その表情は読み取れない。もしかしたら、これは夢なのかもしれないな。そう思いながら銀時は再び眠りについた。
朝日が部屋に差し込む頃、銀時は目を開けた。ちらりと目を向ければ高杉がいた。俯いて、寝ている。夢じゃなかった。そう思ったが、銀時はまた目を閉じた。
次に目を覚ましたとき、高杉はもう部屋にはいなかった。



すっかり回復した銀時は、高杉が連れてきた職場仲間の万斉に申し訳程度にお茶とつまみを出し、部屋に戻ろうとした。
「待つでござる」
呼び止められて、振り返れば寄ってきた万斉が銀時のそばで耳打ちしてくる。高杉は今、コンビニに買い物に出掛けていて室内には二人しかいない。それなのに息を潜めるように、万斉は銀時に尋ねた。
「お主、晋助に恋人が出来たとかなんとか、知ってるでござるか」
「え、マジでか」
そんな様子など、欠片も見せなかったのに。驚いた様子を見せれば、万斉は知らないならいいとあっさり引いた。今度は銀時がそれを引き止めて問いただすと、万斉はその問いの理由を口にした。
「先日、仕事中もずっとそわそわと落ち着かず、携帯ばかり気にしていたでござる。恋人でも出来て、メールを待っているのかと。おまけにその日は結局早退したでござる」
「へー…」
続きを打ち消すように、ドアが開いて高杉が帰ってきた。万斉は何事もなかったかのように銀時のそばから離れていく。
だが銀時はぼんやりと考えていた。先日、先日? もしかしなくとも、自分が風邪で寝込んでいたときだろうか。
連絡するなと言っておきながら、ずっと気にかけて、おまけに早退して看病の道具を買ってきたのか。
コンビニ袋の音をたてながら、リビングに入ってきた高杉を、銀時は思わず凝視した。それに気づいた高杉が煩わしそうに言った。
「なに見てんだ。天パむしんぞ」
「……」
こいつにそんな思いやりねーわ。冷めた視線を返しながら銀時は部屋に戻った。ベッドに身を投げる。大の字になって溜め息をついた。
高杉に病人を労る思いやりなど、気にかけてくれるなど、あるわけもなかった。朝まで付きっきりで見てくれたのも、熱に侵された頭が見せた、銀時の夢だったのかもしれない。
けれど、頭を撫でるその感覚がやけにリアルで、銀時はそっと自分の頭を撫でてみた。あのとき感じた感触と違って止める。もうどうでもいいかと全てを放棄して目を閉じた。枕に顔をうずめる。誰も目にすることはなかったけれど、微かに見える耳は確かに赤く染まっていた。



ツンデレも大概にしろってんだチクショウ。