先日、銀時の通う小学校で遠足があった。行き先は動物園だ。子供達は皆一様にはしゃぎ楽しんだ。だが銀時は例外だった。
その日彼は熱を出し、動物園には行けなかったのだ。



「で、なんで俺がこんなことしなきゃなんねーんだ。なんでてめぇなんかと動物園なんざ来なきゃなんねーんだ」
「俺頼んでねぇし」
「先生に頼まれたんだよ」
てめぇに頼まれたって連れてきてなんかやらねぇよと言い放つ男、高杉を銀時はじとりと睨んだ。
高杉は今年の3月、高校を卒業すると同時に銀時のいる施設を出て行った。近所のアパートで一人暮らしをしている。進学はせず働いているらしいのだが、銀時はその辺の事情を余りよくは知らない。だが高杉は銀時の養父である松陽には懐いていたため彼が施設を出た今も親交があるようだ。
今、こうして高杉と二人、銀時は動物園の前にいる。風邪で動物園に行けなかった銀時を思い、松陽が高杉に銀時を動物園に連れていってくれるよう頼んだのだそうだ。松陽自身は他の子供の面倒もあり、それが叶わないためだった。
松陽は決して無理強いしたりしなかったはずだ。だから今この状況があるのは高杉が自らの意思でその松陽の頼みを引き受けたからであるのだが、高杉は不愉快そうに眉を寄せて銀時に愚痴をこぼす。
折角の休みをと言い募る高杉の顔は僅かに疲労の色が見えていたのだが、銀時は気にしなかった。
(あいつの前でだけいい子ぶってんじゃねぇよ)
高杉を睨み付けながら銀時は思う。昔からそうだった。高杉は昔から銀時に辛辣だ。ろくな記憶がない。そのくせ松陽には仏頂面をしながら彼の言うことをきちんと聞き入れている辺り余計憎らしい。いつだったか松陽に彼の銀時に対する仕打ちを言い付けてやろうとし、それを察知した高杉に口止めとして酷い目に合わされた。その恨みもあり、銀時は高杉が苦手だ。
折角の動物園も、この男とでは魅力が半減だ。
「はぐれんなよ。はぐれたら置いて帰るからな」
「へーい」
というやり取りを交わしたはずなのに、即座に二人ははぐれた。故意ではない。気がついたときには互いに互いの姿を見失っていた。
高杉は中肉中背で人混みに紛れやすいが、銀時は何と言っても銀髪だ。そうそう見失うまいと高杉が思っており、あまり注意していなかったのは事実だ。銀時ももう高学年であり、迷子にらならないだろうと思っていた節もある。だが、高杉一人が悪いわけではない。
銀時も、不機嫌さを隠さない高杉の存在をなるべく視界に入れないようにしていた。彼が自分を見ていてくれるだろうという甘い期待も確かにあった。
つまりこの事態は、どちらが悪いということはない。なるべくしてなったものだった。
はぐれたと気付いた銀時は慌てなかった。もう園内には入っている。元々一人で見て回るつもりだった。高杉がいなくとも困りはしない。
彼ははぐれたら置いて帰ると言っていた。僅かだが松陽から小遣いをもらったので駅員に最寄り駅をまでの行き方を聞けば帰れるだろう。万一運賃が足りなかったら、そのときは家に電話して迎えに来てもらえばいい。
そこまで考えて、銀時は好きなように歩き出した。



銀時は地図を持っていた。だからそれを頼りにぐるりと一周する。
動物という動物を見て存分にこの空間を満喫して、足も疲れてきた。喉の渇きを感じたとき、銀時は財布を見た。
小遣いにもらった500円と、元から持っていた128円、合わせて628円が入っている。
自販機を見上げればペットボトル150円の文字がある。此処までの電車賃はいくらだったろう。高杉が払ったのでよく分からない。飲み物を買ったら足りなくなってしまうだろうか。
松陽や他の子供達にお土産を買うお金も考えなければならない。
財布的な意味で高杉が必要であったことを実感して、少しだけ視線を下げる。
「あ」
「?」
知らない子供の声になんとなく反応して銀時がそちらを見遣れば黒髪の少年がこちらを見ていた。その傍には彼の保護者らしき男女と、彼より年少の茶髪の少年がいる。
「どうしたトシ?」
「あいつ、さっきの男が探してた奴じゃねぇか。あと放送で言ってた」
「あ、マジでさぁ」
「?」
銀時が何を言われているのか分からずにいると、女の人が優しい笑顔で近寄ってきた。
「君、坂田銀時君?」
「…そうだけど」
「さっき、貴方を捜す保護者の人に会ったの。それに貴方を呼ぶ放送も入ったんだけど、聞いてなかった?」
問われて銀時は聞いていないと一言答えた。すると女性は優しい笑みを称えたまま銀時の手をとった。
じゃあ、インフォメーションセンターに一緒に行きましょう。
そう言われても銀時はなんのことかさっぱり分からないでいた。優しく手を引かれれば、茶髪の子供に睨まれる。本当、何故こんなことになったのか。
センターまで連れていってくれたその一行とは入口で別れて、一人、その保護者とやらを待つ。
いったい誰だろう。家に帰った高杉が松陽でも寄越したのだろうか。なんにせよ、電話して迎えに来てもらう手間が省けて良かったと思う。
「お迎え来ましたよー」
職員に呼ばれて銀時は椅子から飛び降りる。促されるまま入口まで戻って、迎えの人を見て顔を引き攣らせた。
鬼だ。鬼がいる。銀時はそう思った。
息を切らせてこちらを睨み付けるその男は、数時間前にはぐれた高杉だった。はぐれたら置いて帰ると言っていたくせに、汗だくでこちらを見ている。
「っの、腐れ天パァァア!」
「い…っ!!」
思いきり脳天を殴られた。職員が呆然とするのも構わず、高杉は再度腕を振り上げる。我に返った職員が高杉を止めにかかるが高杉の怒りはしばらく収まらなかった。
頭を抑えて涙を目尻に浮かべる銀時と、いまだに不穏な空気を纏う高杉を見て苦笑いしながら職員は二人を送り出した。
土産物屋に寄ってから家路につく。
「なんでてめぇははぐれんなっつったそばからはぐれてやがんだ。馬鹿かてめぇは、馬鹿だな。んで迷子になったらその場から動くなっつーのもしらねぇのか。てめぇ今まで先生に何教わってきやがった。あぁもうイライラすんな。もっぺん殴るか」
「ちょっ、やめろよ。だって高杉はぐれたら帰るっつったじゃんか。だったら俺は折角来たから見てから帰ろうかと思ったんだし」
「てめぇ一人で帰れんのか。金もねぇくせによ。飯食ったら金尽きるだろ馬鹿が」
「あ、飯食ってねぇ」
「俺も食ってねぇよ。白髪天パの馬鹿捜すのでんな隙ありゃしねぇ。もう夕飯どきだし、このまま食わずに帰るぞ」
銀時の外見は目立つ。そのため目撃情報は集まったそうだが銀時が移動するためなかなか合流するには至らなかったようだ。高杉の文句は駅まで続いた。
駅で高杉が買った切符を見れば、300円と書かれていた。土産物を買わなければ帰れる金額であったことに銀時は少し唇を尖らせる。
二人並んで電車に乗る。車内では流石に高杉も口をつぐみ何も言ってこなかった。
黙ったまま電車に揺られていると、不意に銀時は肩に重みを感じた。高杉が寄り掛かってきている。何事かと銀時がそちらを見れば高杉は俯いていて表情は読み取れない。だが寝ていることには気がついた。
今日一日、はぐれてから園内を探し回ってくれたのだろう。どんな顔をして道行く人に銀時を見ていないか尋ねたのだろう。
折角の休みをそんなことに使わせてしまったことに銀時はほんの少し罪悪感を覚える。せめてもの罪滅ぼしとばかりに、銀時は1時間弱、身動きせずに高杉をそのまま寝かせてやることにした。