高杉が働いているところなど見たことはないけれど、向いてない仕事をそれでも真面目にこなしていることくらい銀時も分かっている。
死んだ魚の目だなんだと彼は自分を馬鹿にするが、おまえは全身で生きる屍じゃねぇかと銀時はひそかに思っている。目だけ死んでる自分の方がまだマシだ。
しかし銀時がその思いを口にだしたことはない。高杉がそうまでして働いているのは自分のためだということくらい、ちゃんと分かっているからだ。
仕事を変えればと散々助言しているが聞き入れられたことはなく、今日も不器用な屍は目の前のソファで死んでいる。
昨日は月締めの修羅場で、無事No.1は死守してきたものの珍しく完全に潰れた状態で帰ってきた、というより運んでもらっていた。今月は気が乗らないとかであまり出勤しなかった付けだ。
先程起き出してきたと思ったら口を開く事なくソファに倒れ込んでいた。そしてそのままろくに動かない。
(部屋で寝てりゃあいいのに…)
リビングに二人でいるからといって会話をするわけでもない。むしろ下手に話しかければ睨まれる。テレビもバラエティを付けてるとうるさいと消される。
部屋にいてくれた方が銀時としても高杉を気にしなくていいし、高杉も部屋の簡素なベッドの方がまだ寝心地がいいだろう。
それでも何故か高杉はリビングに出てくる。
自分がいたら邪魔だろうと与えられている部屋に銀時が引っ込めば、高杉は今度は銀時の部屋のベッドでごろごろしだすのだ。
理由を尋ねたことはないし、きっと答えてもくれないだろうことは分かっている。なので人間弱っていると人恋しくなるのだろうと銀時は勝手に想像している。恐らくそう外れてはいないはずだ。高杉は絶対に言わないだろうが。
銀時はぼんやりとこちらに向けられている背中を眺めた。
自分より少々小柄な体躯は腕を組んでいるせいで少々丸まっている。その身体にどれだけの疲労を蓄積させているのだろう。
八つ当たりされてばかりで、正直高杉に対して苛立ちを募らせている。自分はこんな大人にはなるまいと心から思っている。
しかし例えそんな存在の高杉でも、銀時は彼に対し感謝の気持ちも確かに持ち合わせていた。
日頃世話になっているのは事実だ。礼を込めて、何か疲れがとれるようなものを。そう考えた銀時の目に飛び込んできたのは、液晶のなかの温泉だった。



銀時が買い物から戻ったとき、高杉が目を覚ましていた。上体こそ起こしているものの気怠そうに首筋を爪で掻いている。
「なぁー」
「…あァ?」
低く唸るような声が返ってきた。そんなのに怯むようでは此処で生活出来ない。銀時は気にせずに問い掛けた。
「あのさ、ホストクラブって纏めて休みってとれんのか?」
「…はァ? 意味わかんねぇ」
「は? なんでだよ」
何も難しいことなど言ってない。ついに頭までアルコールでやられたかと思えば、高杉は大きく息をついてまたソファに寝そべった。
「とれても絶対ェ言わねェ」
「はァ?」
「俺がいつ休もうがてめぇにゃ関係ねェだろ」
「………そーですね」
こいつどんだけ寝る気なんだ。枕にしていたクッションを抱え込んでいる高杉を見ながら、銀時は買ってきた玉葱を握る手に力を込めた。
袋の中身を全て片付け部屋に入り、今買い物に行ったついでにもってきたパンフレットの束を乱暴な手つきで机にぶちまける。
そこには有名温泉の名前が連なっていた。
銀時は眉を寄せ、唇を尖らせてその文字を見下ろした。
「………」
人が折角バイトで貯めたお金で旅行にでも連れてってやろうと思ったのに。
あいつは何処まで人をいらつかせるのが上手いのだ。人の好意とかそういったものを悟ろうとしないのだ。
もう知らない。好きなだけ疲労でもストレスでも溜め込んでろ。
そう思いながら銀時はベッドに飛び込んだ。



なんの躊躇いもなく、高杉は銀時の部屋の扉を開けた。銀時のプライバシーだとか、全く気にもかけず目的のジャンプを探すために部屋を見渡した。出勤前、時間があるときは銀時が毎週買っているジャンプを読んで時間を潰している。
ベッドの上に無造作に置かれたジャンプに目を止めて足を向ける。ジャンプを手にとって、その下にあるパンフレットの存在に気がついた。
「…?」
手にしたジャンプをベッドに投げ置き、改めてそちらを手にとった。
パッケージ商品の薄っぺらいパンフレットは所々ドッグイヤーになっているのが見てとれる。
そのページを開けば、旅館名と料金がずらりと一覧になっていて、一つだけ丸で印がついていた。他のドッグイヤーのページも同様だ。
(ダチか女か、旅行でも行くのか…?)
銀時もバイトをしているのは知っているし、多少の貯蓄はあるのだろう。とはいえ小遣いやらをせがまれるかもしれないなと高杉はパンフレットを眺めながら考えていた。
別にそのくらいの金は渡してやるつもりだ。友達やら彼女やらと行くのに金欠ではみっともない。いい思い出を作ってくればいいと思う。
それにしても。
(印ついてんの温泉地ばっかじゃねーか…。ジジくせぇな、もっと観光地見ろよ)
切り傷、婦人病、神経痛、といった温泉の効能の文字をぼんやりと見ていた高杉はふと数日前の銀時の言葉を思い出した。
『ホストクラブって纏めて休みってとれんのか?』
高杉の頭のなかで、何かが閃いた。
「…俺と行くつもりだったのか…?」
無意識に呟いていた。
怠い、疲れた、肩揉め、俺が寝るまで揉め。寝ても揉んでろ。
そう言って銀時をマッサージ機代わりに使った回数など両手両足全ての指を使っても足りない。
温泉の効用に疲労回復が入っているのを認めて、高杉はパンフレットを元の位置に戻すとそのうえにジャンプを置いた。



朝。銀時が学校に行く前の時間に珍しく高杉が起きてきた。それは本当に珍しいことだった。恐らく、銀時が高杉と生活を始めてから2回か3回しかない。
高杉が早起きする理由は大体が営業活動のためで、出掛ける仕度を酷くのろのろとした動作で始めるのだが、どうした訳か今日は眠たそうに首を掻いてソファに座りテレビを眺めている。
「? 今日は客との約束じゃねーの?」
「あぁ…。…今度の月曜と火曜」
「あ?」
「休み取った。てめぇも学校休めよ」
「はァ?」
「温泉、連れてってくれんだろ」
唇の端を吊り上げた悪戯な笑みとその唇が紡ぎ出した言葉に、銀時は思わず目を見開いた。
「………!!! な、はァ?! ちょっ、おまっ、勝手に俺の部屋入ったのかよ!!」
「今更だな、気づいてなかったのか?」
「開き直ってんじゃねーよ! プライバシーの侵害だろうが!!」
「てめぇにプライバシーなんざねーよ」
さらりと言い放たれて、銀時はそれ以上の言葉を失った。
高杉は悪びれた様子もなく「旅館は何処でもいいから、ちゃんと予約しとけよ」と言って欠伸を一つすると休日のようにソファで丸くなった。
その姿に視線を注ぎ続けながら、それでもやはり言葉が出てこなくて銀時は口を開いては閉じていたが最終的に固く閉ざした。
溜め息をついて吐き捨てる。
「最高んとこ予約してきてやらァ」
「あぁ、楽しみにしてんよ」
いってらっしゃいの言葉はなく、力無く持ち上げられた手が振られる。
その手を少しだけ見つめ、銀時は高杉に背を向けて行ってきますと久しぶりの言葉を口にしてて家を飛び出した。



旅行の代金は、支払いこそ銀時がしたものの後日全額高杉から返ってきた。
予約表に記載されていた金額を勝手に見たらしい。自分がいないとき部屋に入るのを本当にやめてほしいと銀時は思ったが口にはださなかった。言ってもきっと、いや、絶対無駄だ。
「折角てめぇがバイトして貯めた金だ。もっと有意義に使え」
金の入った封筒を渡しながら高杉が言った言葉を銀時は何度も頭のなかで反芻させた。
自分にとっては有意義な使い道だった。高杉のいう有意義な使い道とはなんなのだろう。考えても答えは出そうにない。
『…ありがとな』
有意義に使えと言った後、顔を逸らしながら本当に小さな声で高杉が確かにそう言ったのを、銀時は聞き逃さなかった。
その言葉がどういう意味で呟かれた言葉なのか、銀時ははかりかねている。
「………」
銀時は溜め息をついて金の入った封筒を机に置いた。ベッドに寝転がって白い天井を見つめた。
自分が此処にいる限り、高杉にしてやれることなんてないのかもしれない。自分は此処にいていいのだろうか。
自立して、一人で生活を営めるようになったら此処を出ていくべきだ。そう考えてふと思った。
自分が此処を出たら、高杉はどうするのだろう。
ホストを辞めて他の仕事につくのだろうか。それともずっと合わないホストを続けるのだろうか。
考えても見当がつかず、結局考えるのをやめた。
ただ、わざわざ銀時のいるリビングにきて眠る高杉の姿が脳裏にちらついて仕方がなかった。