胃が痛い、頭も痛い、二日酔いで気持ちが悪い。ムカつく。苛々する。
リビングのソファーにぐったりと横たわりながらグチグチと文句を並べる高杉を銀時は乾いた皿を食器棚に戻していた手を止め、酷く欝陶しそうに見つめた。
独り言のように聞こえるけれど、無視すると高杉が怒り出すことを銀時は身に染みて知っているのでまた作業を再開しながら適当な言葉を返した。
「じゃあ辞めればいいじゃん」
「馬鹿か。辞めたら食ってけねぇだろうが」
「別の仕事」
「無理」
「身体売れば」
「死ね。それかてめぇが売れ」
「嫌だし。つか、俺同居人がホストとかなんとなくダチに言いづらいんだけど」
「うるせぇよ、そのホストのヒモのくせに」
「ヒモじゃねぇし、俺ヒモじゃねぇし。大事なことだから2回どころか3回言うけど俺絶対ヒモじゃねぇし」
「俺が小遣いくれてやってんだろ」
「300円じゃねぇかァァア!ジャンプしか買えねぇ、ジャンプしか買えねぇよ!しかも月一しか買えねぇよ!話わかんねーよ!」
「怒鳴んなよ、頭に響く。マジ殺すぞ」
額に乗せられた腕の隙間から見えた目が殺意で光る。
銀時は開きかけた口を閉ざして食器棚の扉を閉めた。
「あー…、マジだりぃ。くそ眠ィ。気持ち悪ィ、マジ吐きそう」
寝返りをうちながら高杉は言う。広いソファーではないので落ちないように気をつけながらもぞもぞと動き、落ち着ける位置を探す。
「吐けばいいじゃん」
「もう吐くもんなんかねぇよ馬鹿」
「………」
ひくりと頬を引き攣らせながら、どうしてこの男はこんなにも自分を苛立たせるのがうまいのだろうと銀時は思う。
理不尽な男の言葉に銀時は逆巻く心を落ち着けるために深呼吸をした。
聞こえる呻き声はもう無視することにして、銀時は向かいのソファー、ではなく床に座るとローテーブルに宿題のプリントを開いた。
電子辞書を叩き、時折ノートで文法を確認しながら銀時はちらりと高杉の方に目をやった。
高杉はいつの間にか呻くのをやめていた。仰向けになって額に腕を乗せているので寝ているのかは分からない。
黒い服のせいで身体のラインがわかりづらく息をしているのかと銀時は一瞬眉を寄せ身を乗り出したがその時高杉が小さく呻いて銀時に背を向けるように寝返りを打ったので浮かした腰をまた下ろした。
「………」
銀時はシャーペンを顎に当てながら高杉の背中を見つめた。
「なぁ」
別に寝ているならそれで構わないと思いながら声をかける。
銀時の思いとは裏腹に、不機嫌そうな返事は返ってきた。
「あぁ?」
「なんで俺引き取ったわけ」
「…なんだよ拗ねたのか?」
高杉にも銀時に理不尽なことを言っている自覚はあるらしい。それに対して拗ねるというのは何か違う気がするが銀時はあえて触れず応じた。
「なんとなく気になったから。なぁなんでだよ」
「………」
高杉は口を閉ざして答えない。銀時はしばらく言葉を待ったが、返事がないために切り上げた。
「まぁいいけど」
「なら最初から聞くんじゃねぇよ。こちとら本気でだりぃんだ」
「はいはいすいませんでしたー」
「…ムカつく」
そう呟き高杉はまた寝返りをうち仰向けになった。ソファーからはみ出た腕がだらりとぶら下がったが、高杉はそれを持ち上げようとはしなかった。
しばし静寂が二人を包んだが、押し付けられる無音を拒否するかのように銀時がシャーペンを走らせる小さな音がした。
パチンとペンを置く。
銀時は伸びをしてすっかり大人しくなった高杉を見た。
「なぁー」
「………」
「寝てんのかよ」
仕方がないと言わんばかりに銀時は腰をあげ、取ってきたブランケットを横たわる身体にかけた。
ついでに宙ぶらりんで放置され、すっかり冷えた手を取りソファーに戻す。
銀時は何となくその場に留まり、顔を隠す腕も下ろした。閉じられた瞼は固くとじていて、その顔色は酷く悪い。
『そいつ、俺が引き取るから』
松陽が亡くなったとき、犬猫でも引き取るように簡単に高杉はそう言った。
経済的に困ってないから一人くらい養えると言い周りを説得した、と言えば聞こえはいいが半ば強引に反対を押し切り銀時をこのマンションに連れてきた。2年前の話だ。
「…なーにが困ってないだよ…」
呟いて銀時は白い頬に手を伸ばした。確かに高杉はあの当時も今も生活に困っていないので嘘は吐いていない。
さらに言えば松陽存命のときに彼の園に毎月多額の仕送りをしていたのを銀時は知っている。
どうやって稼いでいるのだろうと松陽のもとでぬくぬくとしていた銀時は首を傾げたものだったが、あの頃からこうやって心身を擦り減らしていたのかと思うとため息も出ない。
松陽は知っていたのだろうか。記憶に残る彼の曖昧な微笑みからはその是非を伺うことは出来ないし、もう尋ねることも出来ないけれど、薄々気付いている程度だったろうなと思う。高杉が自分からその仕事を松陽に語るとは思えない。
もう仕送りを送る必要はないのだから、別に銀時を養う義務だってないのだから、向いていないホストなんて辞めてしまえばいいのに。
「…馬鹿じゃねぇの」
そう呟いて銀時は閉じられた唇に唇を重ねた。