「いってーなァチクショウ…」
呟きながら銀時は腫れた左頬を右手の甲で撫でさすった。切れた唇の端に指先が触れてしまい、走った痛みに顔をしかめる。湿布はまだあっただろうか。そんなことを考えながら取り出しやすい場所にある救急箱に手を伸ばした。
銀時を蹴り倒し、殴りつけた諸悪の根源は散々暴れて満足したのか銀時に口づけをひとつ落として機嫌良さそうに部屋を後にした。愛おしそうに頬を包んだ指はその前まで銀時を殴ったものと同じだとは到底思えない優しさを持っていて、銀時はもう溜息しか出ない。
鏡で自分の姿を見て改めて顔を歪める。その動きでまた痛む頬にまた顔を歪めるループに陥りかけたところで、これを見て投げつけられるであろう言葉が頭を過ぎり、銀時は今日起きてから六度目の溜息を吐いた。
「僕達が口出しすることじゃないのかもしれませんけど」
「絶対、別れた方がいいアル」
銀時の予想通り、ボコボコにされた銀時を見て子供達はキッパリと言った。ちょうどよく鳴った電話に手を伸ばして銀時が受話器を取ろうとしたが、それよりも先に新八が電話を受けてしまい銀時の手は宙を彷徨った。隣では神楽がじっと銀時を睨むように見つめている。
面倒くさそうに頬を掻きながら、絶対に銀時とその恋人、高杉の仲を割こうと心に決めている少女と銀時は向き合った。
「あー、あれだ。俺は反面教師って奴ってことで、こんな大人にならねーようにしようって思え」
「誰も銀ちゃんみたいになりたいなんて思わないネ。話逸らしてんじゃねーヨうまくねーんだヨ」
絶対に誤魔化されないと強い意思を滲ませる視線を受けて、銀時は今日十三回目の溜息をついた。
「別れろって、おまえと」
「そりゃ懸命な判断だ」
昼間散々言われた言葉を伝えてみれば、銀時を苛む痛みの元凶である高杉はニヤニヤと笑った。
こいつはどうして楽しそうなのにこんな凶悪な顔になるのだろう。子供泣くな。高杉の洗濯物をたたみながら銀時は他人事のようにそんなことを考えていた。
そんな銀時の胸中を知ってか知らずか、高杉は銀時の背中にのしかかるようにして抱きつきじゃれてくる。
「で、どうすんだ? 別れるか?」
意地悪な笑みを称えたまま、意地悪な声色で楽しそうに問いかけてくる。少し上体を倒して背後の高杉に体重を預ければ高杉は文句も言わずにそれを受け止めた。
少し振り返って高杉を見上げる。銀時の反応を待っている高杉は笑みを崩さず、言葉の先を急かしてくる。そうだなぁと呟いて、銀時は高杉から顔を逸らして洗濯物と向き合った。
「別れなくていい、かな。別に、今の関係にそこまで不満があるわけでもねーし」
「美味しいケーキも食えるし、な?」
満足そうに笑みを深めて銀時を抱く腕に力を込める。頬をすり寄せてくるのは可愛いと思うのだけど、そこは昨日から今日に変わる頃に高杉が思う存分力の限り殴ってくれた場所でまだ痛むのだ。だからちょっと首を傾けて距離を取ろうとしたけれど、高杉はそれを許さない。
嫌がらせのようにグリグリと頬を押し付けてくる高杉が言ったケーキとやらは、高杉がもらってくる貢物だ。高杉本人はさして甘いものが好きではないのだが、銀時が食べるからと敢えて高級なものを差し出させてはそのまま銀時に押し付けてくる。仮にも人が高杉のためを思って用意したものをそのまま他人に流すなんて悪い奴だなぁと思いつつ、文句を言ったことはない。
機嫌をよくした高杉が鼻歌交じりに銀時から離れてテーブルに乗っていたケーキの箱をとってくる。あまりにも上機嫌な高杉に、銀時は嫌な予感しかしない。高杉の手には箱の他には、皿もフォークも飲み物もない。
銀時の隣に膝をついた高杉はそれはそれは悪戯に笑った。箱から取り出したケーキを鷲掴み、銀時に突きつける。
「口を開けよ」
「…ケーキは皿に乗せてフォークで頂きたいなぁ、なんて」
高くて見た目も美しいケーキが高杉の手の中で潰れかかっているのを視界の隅にいれながら高杉を見つめ返し、目はそらさない。それを受けて高杉は唇の端をさらに吊り上げた。
「そうかい」
却下だ。
高杉の左手が銀時の口をこじ開ける。開いた口に生クリームの塊を押し込まれ、入り切らなかった分が銀時の鼻を、頬を汚す。口の中のものをなんとか噛み砕き飲み下して、止まりかけていた呼吸をすれば高杉が声をあげて笑った。腹立たしかったので頬についたクリームを指でぬぐい、馬鹿笑いして大きく開いている高杉の口に入れてみた。高杉の口が閉じる。
「いっ…!」
思いきり歯を立てられた。痛い。顔を歪めて高杉を見れば高杉は愉快そうに目を細め、銀時の指先を舐めあげた。
やらしい顔をしている。高杉が拳を振り上げるときと同じだ。心の底から楽しんでいる。高杉の手が銀時に伸びた。拳を作っていないので爪を立てられるのかと覚悟したが、高杉の指先はその腹で生クリームを拭い、銀時の唇に添えられた。目が命令を発している。それに従って、銀時は差し出された指を舐めた。
ご満悦な高杉は遊ぶことに飽きたのかケーキを箱に残してベッドでゴロゴロと寝そべり始めた。それを見ながら銀時はたたみ終えた洗濯物をクローゼットにしまっていく。
「なぁ」
背中にかけられた声に、振り向かずに銀時は応じる。
「なんだよ」
「ボッコボコにされていいようにされて周りには散々っぱら別れろっつわれて、それでもなんで別れねぇ?」
そんなに俺のどこが好きだと高杉は上機嫌に問いかけてくる。洗濯物を全部しまい終えて、銀時は高杉を見直した。じっと高杉を見つめて考える、フリをする。
高杉のどこが好きかなんて、そんなの考えるまでもない。
楽しそうにベッドで寝転びながら銀時の言葉を待つ高杉に低いテンションで口を開く。
「そりゃあおまえ…」
顔と、身体。
そう告げてやれば、機嫌を急降下させた高杉に
思い切り殴られたのは言うまでもない。