最近、夜中のテレビ局から近くのホテルに同じ客を運んでいる。乗り込んでくるときは帽子にサングラスと深夜らしからぬ怪しげな格好をしていて、それを見て運転手の銀時はいつも、夜中でもサングラスをしていいのはタモさん位だと思いながらもなにも言わない。相手は客だ。それにタクシーという広くない空間で、空気を悪くするようなことはしたくない。
その客というのがまたどこか雰囲気のある人で、テレビ局から出てくるくらいだから芸能人か関係者か、そういった世界に興味のない銀時だから知りもしないが、オーラというものはあるのだなぁとしみじみ感じながら今日もただ黙ってハンドルをきる。
いつもはなんの会話もなく視線も交わさずに目的地について終わるのだが、今日はちょっと特別で、銀時はちらりちらりとバックミラーに視線を送っていた。何故なら視線を感じる気がするからだ。自意識過剰だろうか。後ろの客はずっと窓の外を眺めている。
だが銀時はふと気がついた。サングラスを外している。しかし帽子と前髪が邪魔してその顔はよく見えなかった。銀時がその客の顔を見たのは、客が代金を支払ったときだった。鋭い目をしていた。眼力がある、といえば聞こえはいいが、目つきが悪いとも言える。そして今日は声も聞いた。
「お客さん、お釣り」
「いらねぇ」
低い声だった。いつもは代金以上の札を突きつけてきて、お釣りを渡そうと声をかけても無視して降りてしまっていた。だから、思いがけない反響に銀時は目を瞬かせた。そんな銀時に構わず、素っ気ないその言葉を残して客はさっさとホテルに消えてしまう。それを目で追って、銀時は車を発進させた。
「ん?」
社の待合室でふと目にとまった雑誌に、見たことのある顔を見つけた。一度だけ見たことのある、あの目つきの悪い客の顔だ。女性誌の表紙にいる彼に、つい手が伸びてそれを開けば、巻頭インタビューでやはりキツい目をして、それでも笑っている彼が何カットも載っていた。
高杉晋助。それが彼の名前らしい。だから、どうということもないけれど、こんな顔もするんだなぁとぼんやり思いながら、銀時は雑誌を眺めていた。
そんな銀時に他の運転手から声がかけられた。
「銀さん、ご指名だよ」
ご指名。キャバクラじゃあるまいし、一体なにごとかと思えば銀時を名指しした迎車の電話が入ったらしい。若い女の声だと聞いて、テンションが上がったが指定された場所にいたのはいつの間にか見慣れているモデルさんだった。
「…若い女性に電話貰ったって聞いたんスけど…」
「マネージャーだろ。来島の名前で頼んでるが、運んでもらうのは俺だよ」
残念だったなと笑う高杉の顔は先ほど雑誌で見たよりも余程悪戯っ子のようなものだ。そんな顔もするのだなと思いながら、銀時は高杉が乗り込んだ後部座席のドアを閉めた。
「なんで俺?」
そこ所属のなんか白髪の、若い、え? 銀時? とかいう運転手にお願いしたいっス。というのが迎車依頼の電話だったらしい。
普段は声など掛けないのだが、直々のご指名の理由は気になる。銀時の問いに対する高杉の答えは簡潔だった。
「やかましくねぇから」
こっちは疲れてんのにぐだぐだと下らないその場しのぎの世間話をしてこないから。そう言われてしまっては話しかけてしまってごめんなさいねと口をつぐむしかない。
だが高杉は先ほどよりもさらに悪戯な笑みを深くしてバックミラーごしに銀時を眺めながら言った。
「あと、てめぇに興味があってなァ。その髪、地毛か? 天パ?」
ドアに頬杖をついたまま問いかけてくる。地毛で天パだと答えれば苦労したんだなぁとどうでもよさそうな声が返ってきた。
「別に、苦労らしい苦労もしてねーっちゃしてねぇけどな」
おまえに俺のなにが分かるのだと言葉にはせずに訴える。声なき言葉は伝わったのか伝わっていないのか、高杉はふぅんと笑みを消して鏡に映る銀時を見つめていた。
「あんたこそ、苦労してんじゃねーの。芸能界とか、競争激しそうじゃん」
「…なんだ、俺の職業知ってたのか」
ついさっき知ったのだけれど、まぁ、と銀時は曖昧に言葉を濁した。そんな銀時の態度に高杉は興味がないようで特別追及してこなかった。代わりに、銀時の言葉に対する言葉を述べた。
「ま、こっちも大した苦労はねーよ。望まれるまま、望まれる俺でいればいい。それだけさ」
そう鼻で笑う高杉はどこか遠くを見つめていた。それをバックミラー越しに眺めて、銀時は無意識に呟いていた。
「俺ァ雑誌の笑顔よりも、さっきみてぇな笑顔の方が、好きだわ」
言ってから気がついた。自分はなにを言っているのかと。客と運転手としてただちょっとやりとりをしただけなのに、自分に何が分かっているというのか。いやでも純粋に思ったことを口にしただけなのだから別に深い意味はない。ないはずだ。
一人胸中でめまぐるしく考えながら言い訳とも謝罪ともつかない言葉を銀時が口にしようとした矢先、押し殺したような笑い声が車内に響いた。
くつくつと肩を震わせて笑う高杉に、銀時は言葉を発するタイミングを失い、高杉の反応を待った。ひとしきり笑い終わったのか、笑みを浮かべながら高杉はミラーを見つめた。目が合う。高杉が口を開いた。
「面白ェ」
身を乗り出して、高杉は運転席に顔を寄せた。愉しそうに笑いながら、言葉を紡ぐ。
もっとてめぇのことも教えろよ。そして知れよ、俺のこと。