誰もいない部屋で白い便箋を前にして、銀時は筆を取る。わざわざ擦った墨を筆先に浸した。滴らない程度に扱いて、改めてなんの風情もない白さばかりがやけに鮮やかな紙と向き合った。
拝啓
そんな書き出しを綴り、一息ついた。最初の一筆が一番気を使う。昔、そう聞いたときはそんなものかと思ったが、なるほど確かに緊張するものだと息を詰めていたことを自覚し納得した。
あとはつらつらと近況などを書き綴る。気楽に、思いつくまま取り留めも繋がりもない文章を書き散らかした。
敬具で締めくくった文章はまだ乾ききっていない。光を受けて煌めく文字を、ただぼんやりと眺めてから椅子を回して空を見上げた。夕暮れの近い時間、大分色を無くした空に浮かぶ雲はうっすらと赤らみ始めている。
封筒を取り出し、裏に万事屋の住所と名前をさらりと書いて裏返す。宛名を書いて手を留めた。
宛先が分からない。どこに出せば届けたい人に届くのか、誰に聞けばいいのかすら。
少し前まで彼の動向は風の便りで届いたけれど、最近は裏に潜り込んでしまったのか、ぷつりと途絶えた。どうしようもない悪行ばかりとはいえ、それでも彼の息災を知るのには十分だったものなのに、それすら無くなってしまっては今彼がどこにいるのか、推察する術もない。
おそらく逮捕、もしくは処刑されたときには大きく報道されるだろう。だから、便りがないのはきっと何事もなく生きている証拠だと思うことにして、そろそろ乾いたであろう便箋に念のため息を吹きかけて乾き具合を確かめてから三つ折りにして封筒に入れた。
ノリで閉じて、机に鎮座する封筒を見つめる。一度瞬きをしてその封筒を手に取り、表に返してまた見つめた。
高杉晋助様
その五文字を乗せたこの手紙を投函したところで、何処にも届かずに返ってきてしまうのだろう。そう思うと出す気すら起こらず、切手すら張らないそれをまた机に置いて、引き出しを開けた。雑然と散らばる中身を一掴みで取り出して、行き場所のない手紙をその中に放り込む。二通、三通では足りない、幾多の同じ運命を辿っている手紙のうえで、今し方したためた手紙がかさりと音を立てて落ち着いた。
「……」
何処にも行けずに溜まる手紙は自分たちを暗示しているようで、胸にこみ上げた衝動のまま、それでも表情一つ変えずに、銀時は引き出しの中の手紙をかき集めて束にした。
ひとまとめにならず、二束になったそれに改めて虚無感が押し寄せる。彼に向けてこれだけの言葉が、思いが、自分から生まれたのかと思うと空恐ろしくさえなった。
束を無造作に掴んで、台所に持って行った。水気のない流しに投げ入れて引き出しにしまってあるマッチを取り出して火をつけた。燐の燃える匂いが鼻につく。ゆらゆらと揺れる炎をしばらくぼんやりと見つめ、それから流しに鎮座する束へと視線を移した。そしてまた自分の手にある橙へと目を戻す。
小さくも確かな熱を発する火はじわじわとマッチの木を炭へと変えていく。まばたきを一つして手を振った。火が、消えた。



からりと音を立てて引き出しを閉ざせば、玄関の戸が開く音がした。
「ただいまヨー。仕事の依頼来たアルカ?」
「こねーよ。早く飯作れ当番さんよ」
「威張るんじゃネーヨ。今日の夕飯はリッチに鮭たらこふりかけヨ」
言いながら神楽は米をとぎに台所へ向かった。そしてさして間をおかずにそこから顔を出して銀時に問いかけた。
「銀ちゃーん。台所なんか火薬臭いけど、どうしたネ。火を付けたらドカーンといったらどうしよう」
火薬と言われて銀時は首を傾げたが、すぐに思い当たった。だがそれを口にするよりも先に、神楽の方がその匂いの原因に気づいたようで声をあげた。
「ま、マッチアルカ。…銀ちゃん、もしかして」
神楽の表情が曇る。何事かと思えば神楽は神妙そうな顔のまま言った。
「私知ってるヨ。マッチはトイレの臭い消しに役立つネ。でもここ台所。銀ちゃん、台所で脱糞し…」
「ふざけたこと言ってねーで早く飯の準備しろよクソガキ」
ぷぅと頬を膨らませて、神楽は今度こそ台所に引っ込んだ。どうでもいいことばかり何処かから学んでくる神楽に仕方なさそうに溜め息を吐き、銀時はあげた腰を椅子に戻した。
椅子があげる音を聞きながら、引き出しに目を向ける。マッチの残り香がふわりとたち上がった気がして銀時は目を閉じた。



(目に見えぬ隠したいものを、マッチの匂いはかき消すどころか突きつけてくる。どうすればいい。どうすれば)