デジタルカメラの鳴らないシャッター音が響いている気がした。それほどまでに張り詰めた空気のなか、銀時は目の前で繰り広げられている撮影会を第三者として眺めている。カメラマンは高杉、被写体はケーキだ。
商売敵の新作で、芸術品にまで昇華された愛らしさと高級さを醸し出すそれらを、高杉は至る角度から眺め、映像としてメモリーに収めていく。銀時は口を挟むでもなく、大人しくそれが終わるのを待っていた。
気の済むまで撮影し尽くしたのか、高杉が長く息を吐いた。その深さに、銀時は彼が息を詰めていたことを知った。高杉が振り向く。どこか気怠げな視線を銀時に向けて、ぽつりと言った。
「…食うか」
その一言に、銀時は腰を上げた。
苦い苦いコーヒーを一杯入れる。ふわりと芳ばしい香りが広がった。もう一杯は普通の濃さで入れて、銀時はキッチンからダイニングへと向かった。
ダイニングでは高杉が先ほど撮った画像を面白くなさそうに眺めている。現物が目の前にあるのに、もうそちらには興味がないようだ。撮影会の前に2時間も3時間も見ていたから、今更なのだろう。
苦い方のカップを高杉の前に置いて、銀時は対面に腰掛けた。高杉はちらりとカップを見ると、デジタルカメラを脇に置いてケーキ用の小さなフォークを手にして身を乗り出した。ケーキは銀時の前にある。
「前から思ってんだけど、一口二口で味分かんの」
少し欠けたケーキを前に、銀時が問う。高杉は既にフォークを置いて、コーヒーに手を伸ばしたところだった。ギロリと睨まれて、銀時は形ばかり首をすくめて高杉が食べた残りを口にした。
パティシエという職業であるくせに、甘いものが嫌い。そんな高杉は専らケーキの造形美にこだわりを見せるが味には興味がない。それは今に始まったことではないのだが、時折気になっては尋ねてしまう。そのたびに睨まれて終わるのだ。
甘いものをほとんど口にしない高杉がどうやってケーキを作るのかといえば、味見はすべて銀時にさせている。商売敵の新作も余すところなく舐め回すように見て写真に収めるが、それが終わればもう用はないと言わんばかりに銀時に押しつけてくる。それがいつものことだった。
「ん、うまい」
口にした生クリームとスポンジのバランスが絶妙で、思わず感想をもらしてもう一口、さらに一口とケーキを削り取っていく。飽きのこない味は小さなケーキ一つくらいペロリと消費させてしまい、銀時は物足りなささえも覚えた。
ケーキはまだ残っている。造形美にこだわる高杉と異なり、銀時は美味しければ見た目にはさほどこだわらない。流石に青だとか、およそ自然の食べ物ではない色のものは抵抗を覚えるが、薔薇だろうが苺だろうが構わないのだ。コーヒーで口直しをして、高杉に二口三口啄まれたケーキを次々とたいらげる。
ショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキにモンブラン。パイやマカロンもあったが、それは流石に後にしよう。高杉は後先考えずに買ってくるから困る。一人でたいらげる銀時の身にもなってもらいたいものだ。それも、口に合わないときは本当に辛い。高杉は食べないのだからと、残ったケーキを銀時が人にやってしまおうとすると高杉は怒るのだから意味が分からない。
しかし今、銀時にとってそんなことはどうでもいい。満腹だし、満足だ。今回のケーキは大当たりだ。文句はない。
幸せそうな溜め息を吐いて、銀時はコーヒーを口にしようとした。しかしカップの中は既に空で、先ほどとは違う溜め息を吐く。余韻に浸って気が付いた。目の前の高杉がさっきから一言も口をきいていない。どうしたのかと視線を向ければ高杉はテーブルに垂直に座り、足を組んで肘をつき、どこかふてくされた表情でコーヒーを飲んでいる。
「どしたよ」
負けず嫌いだから、美しいケーキに施された技術に対し、悔しさでも噛みしめているのか。語らせると延々続いてしまうのでなるべくなら銀時としては高杉に黙ったままでいて欲しいが、どうにも棘を感じるので聞かない訳にもいかない。
問えば高杉はカップを口元に残したまま、視線だけを銀時に寄越してみせた。それからゆったりと組んでいた足を解いて身体を銀時に向ける。カップを置いて身を乗り出した。
「お?」
胸倉を掴まれる。目を瞬かせていると思いきり引き寄せられて、唇を塞がれた。入り込んだ舌が口内をぬるりとなぞっていく。お互い目は閉じていない。舌を絡め返してもよかったが、そんな空気でもないのでやりたいようにさせ続けた。
散々なぶられた後、離れた唇が言葉を紡ぐ。
「てめぇは俺のモンにだけ満足しとけばいいんだよ」
それ以外はただの砂糖の塊だ。
そう言い捨てる唇を、今度は銀時が乱暴に塞ぐ。絡み合う舌はもうコーヒーの味しかしなくなっていた。