嫌な予感はしていた。彼が会ったときからニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていたから。それでも舞台前に姿を見せなかったのは彼なりの気遣いだろう。
心当たりはあった。先日発売の週刊誌だ。銀時も持っている。それと同じものがこれ見よがしに鞄から覗いていた。銀時の視線から、銀時がその雑誌を見ていると気付いたのだろう。殊更に意地悪い笑みを浮かべてみせた高杉はその雑誌を取り出してペラペラとめくりはじめた。
「歌舞伎界を担う庶民派御曹司に熱愛発覚、か。景気のいい話じゃねぇか。こいつ、おまえイチオシお気に入りの女子アナだろう。酒と女は芸の肥やし。今まで浮いた話題の一つもなくやってきたんだ。これを期に一層稽古に励みゃあいいんじゃねぇか?」
薄笑いを浮かべて、週刊誌の2ショットを高杉は見下ろした。トントンと指先でそれを叩く。笑ってない笑みを見つめて、銀時は溜め息を吐くと痛む頭を抱えて一応の言い訳を試みた。
「それはただ芝居を見に来て挨拶に来て、ちょこっと飲みに行って送っただけで、っつかその日そのあと俺おまえに会ってんじゃん。石鹸の匂いしてましたかしてないでしょつまり熱愛もくそもないんですけど、ってかなんで俺がおまえにこんな説明調の言い訳しなきゃなんねーわけ、意味わかんねーんですけど」
最後の方は逆ギレになっていたけれど、それに高杉はノってくるでもなく冷めた視線を銀時に向けていた。手元の週刊誌を興味をなくしたように無造作に閉じて、テーブルの上を滑らせて銀時に寄越す。要らないのだろうが、銀時だって同じものを二冊も必要ない。だが突っ返したら高杉の機嫌がさらに悪くなりそうなのでとりあえずテーブルからどかした。
お互いに沈黙していると、お肉と鍋が愛想のいい女将によって運ばれてくる。週刊誌をどかしておいてよかった。銀時の胸中などなにも知らずにテキパキとすき焼きの支度を整えて、女将は二人のいる個室から一礼して出て行った。
一時の音がなくなってしまうと、また沈黙が落ちる。IHの加熱機の音がやけに大きく聞こえた。重苦しい雰囲気に、銀時は心のなかで溜め息を吐いた。まさかこんなに高杉が機嫌を損ねるなんて、思いもしなかった。
ことの始まりは先日の舞台終わりに、芝居を女子アナが舞台裏に顔を出したことだ。銀時は面識がなかったけれど、イチオシの女子アナだと吹聴してあった。それで共通の知人とやらがお節介にも紹介してくれようとしたようだ。
軽く飲みに行って、タクシーで送っただけ。なにもなかったけれど、その彼女のマンションの前で見送っているところを週刊誌に撮られてしまった。初めてのことだ。あまりの浮いた噂のなさに、ゲイなのではないかと噂がたてられていたくらい、女っ気のない銀時が、初めて撮られた写真だった。
それに対し、高杉は週刊誌やワイドショーに何度話題を提供しているか分からない。養子として歌舞伎の世界に入った銀時と違い、名門生まれ生粋の御曹司の次期人間国宝、それだけでなく、同じ女とのツーショットは二度と撮れないとまで言われているというオプション付だ。
銀時と高杉は幼なじみの腐れ縁、次期歌舞伎界を担う者同士、ライバルでもあり、いわゆる恋仲でもある。もちろん後者の方は決して公にはできないことだ。
「…別に、いいんじゃねぇか。俺らももういい歳だし、跡継ぎとかも、考えなきゃなんねー頃だろ。梨園の妻になってくれそうな奴探してもよ」
少し目を伏せたまま、高杉が呟いた。少し唇を尖らせて、卵をとき始める。銀時はそんな高杉の様子をじっと見つめた。
彼が何故こんなにも分かりやすく機嫌を損ねたのか、今の言葉で銀時にもよく分かった。
高杉は自由奔放のようでいて、祖父母、両親、家族の言いつけを是とするお坊ちゃんなのだ。どこの馬の骨とも知らない銀時とは訳が違う。代々受け継がれてきた芸と血統をまた次に伝えなければならない。その両肩にのしかかる重みは、銀時には計り知れないものがある。
「おまえがそう思うんなら、俺はそれでもいいけどよ」
銀時が言葉に乗せた意味を悟って、高杉が睨みつけてくる。ついでに銀時が取ろうとした肉を奪って自分の皿に入れてしまった。どうやら銀時の返答が気にくわなかったらしい。
銀時はまた鍋に肉を継ぎ足しながら、高杉を見ずに言った。
「俺はあくまで繋ぎだし、先生の妹の子供が梨園に入るみてぇだから無理に嫁もガキも作る必要ねぇんだよ。だから、おまえが嫁捜してガキ作って、ってやんなきゃなんねぇんなら、俺は別に止めねぇよ。一応この世界の人間だからそこんとこ分かってるし」
今度こそ、と肉に箸を伸ばせばまた高杉に先に奪われた。銀時はまた肉を足す。
自分の皿に肉を入れたまま、高杉はそれに箸をつけずに鍋で肉が煮えるのを忌々しそうな目をして見つめていた。
「そうやって全部俺に決めんの押し付けんのか」
吐き捨てるような言葉には彼のなかの葛藤が混じっていた。
二人の関係は、その重責からの逃げ場所として始まったものだと銀時は思っている。高杉は名門の跡取りとしてそぐわしい者にならなければならない、銀時は身寄りのない自分を養子として引き取ってもらったその恩と意味に報いなければならない、という、ねばならないことの重さに耐えきれなくて、少しでも現実から逃げるように互いの存在を求めていた。二人でいる間は、余計なことを忘れることもできた。それなのに、いつのまにか楽になるための場所すら、彼の重荷になってしまったのだろうと、銀時は少し遠いものを見るように高杉を見つめた。高杉は目を伏せたままだ。
「違ェよ」
銀時の言葉に、高杉の視線が上がる。その隙に銀時は肉を取り自分の卵にたっぷりと浸した。
「押し付けるとかじゃなくて、おまえはおまえがやらなきゃなんねーことをすればいい。こっちはこっちで適当にやるし、まぁおおらかな気持ちでおまえの八つ当たり場所くらいにはなってやらぁ」
「……」
高杉は返事をしなかった。肉ではなく春菊やネギ、白滝を卵皿に移していく。その表情はまだ納得しきってはいないようだったけれど、とりあえずこの件についてこれ以上口にする気もなさそうであった。
こんなのなんの解決にもなっていない。銀時は分かっている。きっと高杉も分かっている。本当はスッパリとお互い、もうこの関係を解消しようと言うべきなのだ。けれど、そんなこと、銀時はとてもじゃないが言えそうにない。
ごめんな。そう心のなかで呟く。



(おまえを手放したくなんてない。たとえおまえに何を捨てさせることになろうとも)