「うっわ、派手にやったなぁ。大丈夫か?」
前線から引き上げてきた高杉の顔が赤く染まっているのを認め、銀時は慌てふためくでもなく冷静に声をかけた。高杉は2本の足で背筋を伸ばし、しゃんと大地に立っている。だから、大丈夫だろう。
声をかけられた高杉の方も、淡々とした銀時の反応に気を悪くするでもない。べったりと張り付いた血を袖で乱暴に拭った。だがまだ出血は続いているらしく、あとから一筋また線が伸びる。
「問題ねぇよ。跳ねた意思で切っただけだ。場所が額だから血が派手に出たんだろ」
救護班はどこにいる。そう言いながら立ち去ろうとする高杉の腕を銀時は掴んで引き留めた。
急に触れてきた手に、それから銀時の顔に視線を移した高杉がまずは視線で問いかけてくる。なんのつもりだ。それが音になる前に、銀時は1本立てた人差し指を口の前にたて、秘密の話をするかのように声を潜めて、こっち、掴んでいる腕を引いた。
高杉は訝しがりながら、それでも素直についてくる。陣営から少し外れた場所まできて、銀時は高杉の腕を離した。そして、そばにひっそりとおいてあった瓶を手に取り、身体の後ろに隠して高杉の目に触れないようにした。
明らかに不自然な銀時の行為に高杉が首を傾げた。隠された手の先を覗き込もうと前のめりにしている。そんな高杉に銀時は普段と変わらない口調で声をかけた。
「目、瞑って、舐めないようにしろよ」
高杉の視線が銀時の腕から顔へ移る。
「はァ?」
状況を掴めていない高杉の、額を抑えている手を掴んで引き剥がした。露わになった傷口に銀時は情け容赦なく瓶の中身をぶちまけた。
「いっ…!!」
途端に走った激痛に高杉は銀時の手を振り払って傷口を抑える。痛みを堪えるように震えながら、唇を噛みしめた。そんな高杉を銀時は痛そうだなと他人ごとのように思いつつも、空になった瓶から落ちた一滴を舐めて顔をしかめた。
落ち着いてきたらしい高杉が諸悪の根元を睨みつけて、唸るように問いかける。
「ぶった斬る前に聞いてやる。なにか言い残すことはあるか」
「誕生日」
「あァ?」
「おめでとう」
「……」
おもいがけない返答に、キツく尖っていた高杉の目が丸くなる。無防備なその表情は銀時に愛おしさを感じさせた。高杉が目を瞬かせたのもつかの間、みるみるまた目つきが鋭くなっていく。
「あぁ、そんなもんすっかり忘れてたぜ。ありがとうよ。だがそれとこれとは話が別だ」
「いや別じゃねぇよ? お祭り大好き晋助くんのために酒でも用意してやろうかと優しい銀さんは考えたわけだが酒なんざあるわきゃねぇ。なんとかかき集められたのが消毒用アルコールだったんだけど、飲めるかなこれって考えてたら今日が来ちまって、おまえが怪我してきたのでちょうどよくぶっかけるに至ったわけよ。わかる?」
「仮にも治療用を飲もうとするな。全く」
「アッハッハッ。でも飲めんこともないろー」
舞い込んできた第三者たちの声に、二人の視線がそちらを向いた。桂と坂本がいる。二人とも手には瓶を持っていた。高杉の顔が歪む。
「なんだ、てめぇらもぶっかけに来たか。させねぇ、まとめてたたっ斬ってやらァ」
「俺たちのはれっきとした飲む酒だ。日本酒と焼酎。量はないが、ささやかな酒会くらいは開けるだろう」
「さって、ほら、お猪口も用意してあるき。腰下ろして今夜は酒盛りじゃー」
適当な場所に座り込んだ坂本が手招きをする。環を描くように4人で腰を下ろし、杯を合わせた。
「ったく、こんなときにこんなもん準備するたァ、先が思いやられるぜ」
杯の中身を空にして、高杉が毒づく。それを受けて銀時は言った。
「でもヅラ誕の時はぬこぬこパラダイス開いたんだから、てめぇスルーしたら後で絶対ェ騒ぐだろ。なんで俺の時は無視しやがったって騒ぐだろ。んもぉ、んなの相手すんのめんどくせぇじゃん。だったら今日、無理矢理にでもなんか開いときゃおまえも満足だろ」
「ガキじゃねぇんだ。んなことで騒がねぇよ」
バチバチと火花を散らす銀時と高杉を尻目に、坂本が明るい笑い声を上げる。空を仰いでこともなげに言った。
「ワシの時は、綺麗なおねぇちゃん沢山用意して欲しいのー。酒池肉林、贅沢の極地じゃー」
「黙れボンボン、それ自分で用意して俺たちも呼べよ」
明らかに今までの誕生日会と違う規模の要求に銀時が唸る。
「俺は今度もぬこぬこパラダイス、いや、でも今度は犬も…あぁ、悩むな…」
真剣に悩み始めた桂に口を開こうとして、高杉は思いとどまり酒を呷った。
ほのかに回った酔いに任せて、思い思いの胸中を綴る。翌日の出陣に備え、早めに帰った桂と坂本と別れ、銀時と高杉はまだもう少し残っている酒をすすった。
頭上に星が輝くなか、ぽつりぽつりと歩いて帰る。
「あー、なんだかんだ酔えたな」
「今日のことで、てめぇらが如何に俺にゃ酒やっとけばいいと思ってるかが分かったわ」
3人揃って用意したものがアルコールである現実に、高杉がシニカルな笑みを銀時に向けた。
「しゃーねーじゃん? おめぇはヅラの猫好きや辰馬の女好きみてぇに好きなものおおっぴらにしてねぇし」
でもだからといって酒ばかり用意されても、高杉の胸中は複雑である。
「あ、俺のパーチーのときは甘いものな。パフェとか餅とか饅頭とか、たらふく用意な」
銀時の言葉に、高杉の笑みが変わる。
「…てめぇの誕生日なァ…」
そう呟いて高杉が空を見上げたので、銀時も同じように視線をあげた。いつの間にか広がった薄い雲のせいで星は見えない。
あと数時間もすれば、先発の部隊が前線で死闘を繰り広げる。誰一人として失いたくはないけれど、そんな願いが叶わないことなど分かっていた。明日をも知れぬ戦いに身を置いているのだ。連れて帰ってやることすらできない道端の亡骸に、いつ自分がなるともしれない現状のなかで、明日どころか二月も先のことなど遠い遠い未来に思えた。
けれど。
「楽しみにしとけよ。もう食えねぇって言っても口に詰め込んで押し込んで食わせてやらァ」
高杉が笑う。それを受けて、銀時も笑った。
「あぁ、楽しみにしてらァ」



描いた未来をあっけなく奪われる悲劇など掃いて捨てるほどあるこの世界の片隅でも、仕様もないことに笑いあうくだらない喜劇は確かにあって。
僕らは思い描く。二月後、三月後、一年後、十年後、また笑いあっている姿を。