桜の木の下には死体が埋まっている。 春の陽気に銀時は欠伸を一つ零し、眠い目をこすりながら歩いていた。 ふと視界の隅に見つけた人影に足を止める。 それは大きな桜の木、満開の花の下、少し離れたところにぽつんと立っていて、一点をじっと見つめたまま身動きひとつしない。 「何してんだよ」 「………」 声をかけてみれば驚いたように瞬きをして肩を揺らした。動揺したのが手にとるように分かったのに、そいつは平静を装うと銀時に向けた視線を元に戻した。 「先生が…」 また出たよ『先生が』。 銀時はうんざりしたように眉を寄せたが桜の木の下を見つめ続けている子供はそんな銀時の表情など気にしていなかった。 「桜の木の下には死体が埋まってるから、その人が安らかに眠っていられるよう桜の周りでは騒いじゃダメだっつってたろ」 「…そうだっけ?」 聞き覚えのない言葉に素直に首を傾げれば鋭い目で睨まれた。直ぐに傾げた首を竦めてみせる。 「でもこんなとこで眠らせておくより、きちんと埋葬してやった方がいいに決まってる」 「だから?」 「掘り起こしてやろうか考えてた」 「…ふーん」 真剣な顔をして言う友人に相槌をうちながら、銀時は一歩、擦り足で後ずさった。踏んだ砂利が思いがけず音を立て、また睨まれて足を止める。 「何逃げようとしてんだよ」 「や、だって掘り起こすんだろ。頑張れ。高杉なら出来るよ。俺はやんないけどね」 「話聞いたんだからてめぇもやるんだよ」 「やだね。白骨化してりゃまだいいよ。けどなんか腐って気持ち悪い感じかもしんねーじゃん。ドロドロになってっかもしんねーじゃん。うぇ、想像しただけで気持ち悪くなってきた」 「………きっともう白骨化してるに決まってんだろ。いつ埋められたもんだと思ってんだ」 「いつかわかんねーじゃん。やだよ俺やだかんな。はーなーせー」 着物の袖を掴む高杉から逃れようと銀時は小さな頭を掴んで押しのけようとするが、高杉も指をしっかりと生地に食い込ませ離さない。 喧騒は桂に見つかり、騒ぎがさらに大きくなったせいで他の塾生が松陽を呼んでくるまで続いた。 静けさを取り戻した数十分後、銀時と高杉はまた元の桜の側にいた。 「桜の木の下の人はもうすっかり落ち着いてっから、変に気ィ使わなくっていいってよ」 「うっせーな、聞いてたよ。っつーか先生の言葉捩曲げんな。変に気ィ使うなとは言ってねぇ」 拗ねたように頬を膨らませ唇を尖らせている横顔を銀時はじっと見つめた。 明らかに不満そうながらも何かを考え込むように一点を見つめるその眼差しが何を表しているのか、その内面を読み取ることは出来なかった。 灰色よりも黒に近いような空の下で、仲間は戦いの傷を癒していた。つかの間の安息も、呻き声に満ちた空間では得られそうになかった。 この戦いから逃げたかったわけではない。けれど声のしない方、苦悩が薄い方へと銀時の足は無意識に進んでいた。 静寂が広がる場所まで来て、息を吐いたとき自分のものではない刀がたてた音に神経を研ぎ澄ます。咄嗟に腰の刀に手を添えていたが、銀時の視界に飛び込んできた満開の桜の木の下、小さな後ろ姿はよく知ったものだった。 「高杉…」 呟けばその姿がゆっくりと振り返る。感情の見えない瞳が銀時を捉えた。 「何してんだよ」 「………」 ついと逸らされた視線と向けられた背中に拒絶の色は見えなくて、膝をつきしゃがみ込んでいる側に近寄れば高杉の眼前は新しい土が積まれていた。 「高杉?」 「あん時先生は言わなかったが、昔聞いた先生の話にゃ補足があんだよ」 唐突な言葉に銀時は一瞬、なんのことか分からずに眉を寄せたが松陽の代わりに子供の声が響いた。 『桜の木の下には死体が埋まってる…』 「桜の花の色は、埋められた人の血の色なんだとよ」 そう言った高杉の唇は笑みを作っていた。高杉は手にしていた刀を地に差し、それを支えにしながらゆっくりと立ち上がると、眼前の花束を指先で手繰り寄せた。 「こいつァ白っぽいからな。これでちったぁ鮮やかになれんだろ」 愛おしそうな指先と慈しむような視線の先にあった桜は風に吹かれ高杉のもとを離れた。 「こいつは運が良かった」 そう呟いて振り返りもせずに戦場に戻る姿を銀時は見つめていた。 高杉の言った「こいつ」が美しく咲き誇るこの花のことなのか、それともその足元で眠る人のことなのか、銀時には判断が付かなかった。 あの時高杉に聞けなかったことは時のなかで眠りつづけ、今もなお分からないままでいる。 知らなくてもいいように思うし、問い詰めて追い詰めてあの時の分まで泣かせてやりたくもある。 (まぁどうしようもねーけどよ。今度会ったらぶった斬るっつっちまったし) 頭上で愛らしい姿を見せる花を見つめながら銀時は手にしていた酒を口許に運んだ。 「今日が見頃だねぇ。晴れてよかったよ」 お登勢が一人ごちる。全くだと頷いてやりながら、なんとなく銀時はお登勢に尋ねてみた。 「なーババァ、桜の木の下には死体が埋まってるっての聞いたことあるか?」 「あぁ、あるよ。古臭い迷信だけど、意味がちゃんとあるんだよ」 「どんな?」 「桜は本来とても弱い植物だからね。子供達が根を踏み荒らしてダメにしないよう、怖がらせて近寄らせないようにしたのさ」 風が吹く。薄桃色の雨が降った。 「さすがババァ。物知りだな。伊達に歳をとってねぇ」 「褒めてんのかけなしてんのかどっちかにしな」 「じゃあ桜のピンクは血の色だってのは」 「それは知らないよ」 少し離れたところで子供達がはしゃいでいる。銀時はしばらくその様子を眺めて、ごろりと仰向けに寝転がった。 穏やかな時の流れに意識が溶けてまどろむ。逆らわず瞼を閉じた。 (子供だましのくだらない迷信を、おまえは今も信じてますか) |