不意に意識が覚醒し、高杉はうっすらと目を開けた。
壁に寄りかかって寝ていたために、脱力しきった体に力を入れようとすれば全身の至る所が軋み悲鳴を上げた。
「………」
脳がタオルで包んだ鈍器で殴られているかのように鈍く痛んで、高杉は瞬きを繰り返しながらゆるりと頭を動かして顔を上げ、 小鳥の鳴き声が舞い込んでいる室内に視線を向けた。
頭上にある窓から朝日が差し込んでいる。それに照らされてビールの空き缶が片手では足りないほど散らばっていて、 日本酒の空きビンが転がっているのが見えた。すべて高杉が一人で空にしたものだ。
どうしてこんなことになっているのだろう。散漫な思考を手繰り寄せて高杉は記憶を辿る。
昨夜は確か、銀時と喧嘩をした気がする。実際には高杉一人が怒鳴って喚いていただけで喧嘩とは呼べないものだったけれど、 高杉のなかの認識ではあれは確かに喧嘩だった。
銀時の何が気に食わなかったのかは思い出せない。
だが癇癪を起して自棄になり勢いのまま次々にアルコールを摂取した。そんな自分を止めようとする銀時の声は聞こえなかった。
鈍い痛みが感情に任せたその行為の愚かしさを嘲笑っているかのようだ。
高杉は重い頭を押さえた。酷く怠かった。座っているのに世界が揺らいでいる。
「銀…、」
無意識に呟いていた音を耳が拾い、高杉は散らばりかけた意識をまた束ねて、再び室内に視線を巡らせた。
薄闇に満ちた部屋に銀色の光は見つけられない。
「銀時」
意志を持って呼びかけても、それは虚ろに響いてすぐに消えた。なんの反応もなかった。
「………」
彼は今この部屋にいないようだ。一体何処に行ってしまったのだろう。此処は彼の部屋なのに。
探しに行かなくてはならないような気がして、高杉がゆっくりと立ち上がるとかかっていた毛布が落ちた。
それを踏みつけて高杉は壁を伝い玄関に向かった。
薄い扉を開ければ冷たい空気が流れ込んでくる。平素ならきっと心地よく感じるのであろうが、今の高杉は特別気にも留めず ふらりと歩きだした。
目に映る全てがスクリーンに映る映像のようで実感がわかない。道を走る車の音が酷く煩くて喧しいのにそれも遠く感じる。
音もなくゆらりゆらり揺れる地面が疎ましい。銀時のもとに辿りつきたいのに真っ直ぐに進めない。
頭が痛い。きつく紐で絞め付けられているかのようでそれを解きたくてこめかみを押さえたが何も変わらない。
力が入らず膝から崩れ落ちて地面に手をついた。ぐらぐらと揺れは酷くなるばかりで気分まで悪くなってくる。
かたく眼を閉ざした。闇に包まれてもなお世界は揺らいでいて高杉は深く吸い込んだ息を長く吐き出した。
「高杉」
頭上から降ってきた声が全てを切り裂いて、高杉が目を開けば地面が見えた。
自分が作る影を覆う影に爪先が見えて、高杉はそれを辿るように緩慢な動作で顔をあげた。
「おい高杉、大丈夫かよ」
「………」
傾いている高杉の体を支える銀時の手の感覚がいまだに平衡を失っている高杉の世界の柱になる。
遠ざかっていた音が急に飛び込んできて耳ざわりだった。高杉は急に現れた人をただぼんやりと見つめた。
「うーわ、もうひっでぇ顔。もー、勝手にいなくなってんなよ。銀さんマジビビったんですけど。しかも靴は残ってるとか、 本当やめてくんない? あーあー、いくらコンクリートジャングルだからって素足で歩くとか、おまえどんだけ野生児なんですかったく」
眉を寄せて銀時は高杉の足の裏についた砂を払い落した。
高杉が見つめる銀時の額にはうっすらと汗が浮いている。呼吸も少し荒く、必死で高杉を探したのが見て取れたが 高杉にとってそんなことはどうでもいいことであった。
「…何処、行ってやがった…」
「あぁ?てめぇが出てけ出てけ俺の顔なんか見たくもねぇって俺を追い出したんじゃねーか。全く何言っちゃってんの」
「………」
地面についていた高杉の掌の砂も払いながら答えた銀時の眉は寄ったままで唇は尖っている。
怒っているのだと表情は言っていたが纏っている空気は柔らかなものだった。
「で、どっか行きてぇの?」
「いや」
帰る。ぽつりとそう告げれば銀時は分かったと頷き高杉の手を引いた。
「よっと。暴れんなよ」
背負った高杉に銀時が言う。
「暴れねーよ」
広い肩に頭を寄せて高杉は応じた。
銀時が足を進めるたびに高杉の脳が揺さぶられる。それは決して心地の良いものではなかったけれど、先に進めない不快感はない。
静かに呼吸をしながら高杉はそっと目を閉じた。
服越しに伝わる温度が体温と溶け合う。



揺れが止まった気がした。