「この前はごめんね、白夜叉さんで遊ぶなって、タカスギさんに怒られちゃった」
屈託のない笑みを浮かべて、野郎はまた俺の前に現れた。
「お詫びにご飯でも」
「いやもう本当どうでもいいんで、とりあえず構わないでください、本当、マジ、ねっ」
「いやいやそう言わずに、奢らせてくださいよ、ねっ」
「いやいやいや」
俺は野郎を視界に入れないようにして前だけを見て歩いて行く。その後ろをてくてくとついてくるこのガキは本当しつこい。高杉にも「一度くらい撮らせてやればいいじゃねーか」とか言われたけど、「撮ってもらう側がてめぇにゃ払えない額の金を積むような相手なんだぜ」とか言われたけど、なんかもう、嫌なもんは嫌なんだっつーの。理由なんざねーの。嫌なの。撮られたくないの。こいつには。絶対に。
「もういい加減にしとけ。奴さん嫌がってんだろーが」
第三者の声が響く。ちらりと振り向いてみれば最初に見た、神威のマネージャーしてるおっさんが仕方なさそうに神威の襟首捕まえて小言を並べていた。
「本当、うちの団長がすまないね。部下の言うことなんざ聞きゃしねぇ」
もうまとわりつかせないからと頭を下げられて、いや俺あんたには迷惑かけられてないからね、謝らなきゃなんねーのはそっちのガキンチョですからね、と思ったらこっちもなんか強く出られやしねぇ。
で、付きまとわないと言った側から後を付いてくるからオイオイどういうことよ、話が違うじゃねーのとオッサンを見れば、神威のほうが「次の打ち合わせ場所がこっちなんだよ」とかにこやかに言ってくる。マジかいな。オッサンも頷いている。オイオイマジかいな。でもまぁ俺にゃ関係ないからと放置して俺は奴らの少し後ろを歩いた。俺の後ろに立つな、じゃないけど、なんか気になるからね。全く無関係な奴ならともかく、なんかね、後ろにいられると気になっちゃうからね。
前であれやこれや二人は話してる。別に聞き耳立てたりはしないけどね、聞こえてくるもんは聞こえてくるよね。何話してんのかさっぱりわかんねーけど。
不意に神威が足を止める。オッサンに呼ばれてまたすぐに前を向いて歩き出したから、ほんの少しの間だったけれど、何かに目を留めていた。一体なんに、と俺はなにとなく視線を野郎が見ていた方に向けた。そこにあったのは小さな花屋さんだった。
「なぁにがそんなに気にくわねぇ?」
裸にくわえタバコっていう、世に言うひどい男の体をなしたうえにニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているというオプションつきで高杉は服を着てる俺に問いかけてきた。ふぅ、と白い煙を吐いてタバコを灰皿に押し付ける。そして、黙ったままでいる俺の後ろに立って肩に顎を乗せてきた。
「んなにカリカリしなくても、もうじき終わるさ。てめぇのその苛立ちもな」
「? どういう意味だよ」
「そのまんまだ」
思わせぶりな笑みを浮かべて答えないこいつもいい加減殴っていいかなぁとか思ったりするけど、俺の拳は振り上げられることなく終わって代わりに服を投げつけてやった。別に狙っちゃいなかったがズボンについたままのベルトがいい感じに当たってゴツンと音を立てたのでザマァと心のなかでほくそ笑んでやって聞こえる文句は聞こえないふりをする。
飯は何にしようかなぁ、なんてことを考えながらふと壁に目を向ければまた増えてる写真たちが見える。なかなか飽きねぇなこいつも、とか思いながら俺は高杉の部屋を出た。
「もうじきに終わるんだよ。神威との仕事もな」
「で、それできっぱりバイバイすんの? プライベートでのお付き合いが続くんじゃねぇの。つか仕事で付き合ってたわけじゃねーじゃん。吐くならもっとマシな嘘吐いて欲しいんですけど」
「まぁ確かにあいつと付き合ってるのは仕事関係ないプライベートなもんだけどな」
ちゃちゃっと作ったオムライスを食べながらつまらない話をする。
別にもうどうでもいいんですよ正直。ってか俺といるのに他の男の話をするとかなんなのこいつ。マナーってもんがなってないよ、すごく今更ですけど。
拗ねたような俺の態度に高杉がニヤリと笑う。
「付き合ってるって言っても、おまえと同じ意味で付き合ってるわけじゃねぇさ」
「俺とおまえの付き合ってるっていう意味も非常にあやふやで曖昧ですけどね」
俺と同じ意味での付き合ってるってなに。俺との付き合いはなんなの。
口にはしないけど高杉は俺のなかに浮かんだ疑問を掬いとったらしい。変なとこ敏いんですよ、分かってほしい肝心なところは全然掬い上げてくれねぇくせに。
ぶすくれた俺に高杉は仕方なさそうに溜息を吐いた。
「まぁた俺にあの質問をさせてぇのか?」
あの質問。じゃあ別れるか、っていうやつのこと。何度の繰り返したやり取りだ。敢えていきなり口にしてこないところに、高杉のうんざり感が滲んでいる。もう付き合いも長いし、繰り返し学んでお互いオトナになってんだよ。だから。
「そんなんじゃねーし」
俺はいつもの論争を回避する。どうせ出す答えは一緒なんだから、無用な争いは疲れるだけだ。
拳で分かり合えるとか、別にそんなことは考えてなかったけどそれでも前は考えるよりも先に拳が出てた。お互い。薄っぺらい言葉よりもこっちのほうがもっと自分の思いが伝わるんじゃないかとか、そんな馬鹿なことを考えていたように思う。バカ丸出しだよ本当。
でももうそんなヤンチャする年でもないしね。関係は停滞しても時は流れてる。停まってるように見えて、俺達も少しずつ変わってる。
いっそ完全に停まっちまえばいいのに。
なんて、そんな馬鹿なことを口にしたら高杉はなんて言うかな。聞く気にもなれなくて俺は口にもしなかった。
「あぁそうだ、神威の妹の、じゃじゃ馬娘、確かてめぇんとこにいるんだよな」
思い出したように高杉が問いかけてくる。今まで高杉が神楽のことを尋ねてきたことなんざなかったから一瞬誰のことかと思ったけど、あいつの妹で高杉がじゃじゃ馬娘なんて呼んでるのなんて一人しかいねぇわ。
「…神楽? あぁ、うちのバイトですけどそれがなにか」
「別に」
「……」
尋ねておいてなんだその答えは。高杉の意図はよくわからねぇけど、それ以上深く聞いてもきっとこいつは答えないだろうなって高杉の態度からよくわかってたから俺も聞かなかった。ただなんとなく釈然としないものが残る。もやもや、もやもや。
『もうじき終わるさ。てめぇのその苛立ちもな』
俺がその言葉の意味を理解して、なんかもっとドス黒い感情に胸を焼かれるのはもうちょっとしてからのことだった。