「こらっ」
食卓に並ぶ焼き魚に伸ばされた小さな手を、銀時はぺちりと叩きました。
払われた紅葉はすぐに引っ込み、着物の袖から伸びる細くももちもちとした枝を辿ればふにふにの顔に行き当たり、不満そうな目がそこにはありました。
「んな顔してもダメですー。なんでおまえはすぐに素手で食おうとするかな。箸使えっつってんだろーが」
これ、と銀時は子供用の短い箸をしんすけに握らせますがしんすけはすぐにそれを放り投げ、また手を食卓に伸ばしました。
む、と眉を寄せた銀時は今度はしんすけの払い落とすのではなくがしっと掴みあげます。そして拾いあげたお箸を無理矢理握らせ、その手を上から握りしめました。
「こーれーで、食えっつーの」
箸など使いたくないしんすけと使わせたい銀時。ぎりぎりと二人の意地と根性がぶつかり合います。
その様を見ていた新八と神楽が口を挟みました。
「いきなり箸使えなんて無理ですよ」
「そうヨ。何いきなり教育ママになってるアル」
今までもしんすけに箸を使わせようとしてきましたが、その度にしんすけが拒否するので仕方ないなとなぁなぁでやってきたのです。
何故今日はこんなに頑張っているのでしょう。
原因は今日蕎麦屋で会った桂とエリザベスにありました。



ちょっとお金が入ったからと、しんすけとぶらり立ち寄った馴染みの定食屋。そこで銀時は銀時スペシャル、しんすけは小さな普通の丼とポテトなどがついたお子様ランチを食べていました。
そこへ桂とエリザベスがやってきたのです。
「む、銀時ではないか」
「げ。ヅラぁ、てめこんなとこに何しにきた」
「何って飯を食いにきたに決まっている。女将、蕎麦をくれ。…ん?」
銀時に許可も得ず隣に座ろうとして、二人の間、ちょこんと存在していたしんすけに桂は気づきました。
「なんだこれは」
これ、と言われてしんすけが桂を見上げます。丼の中身を途中まで使っていたスプーンをほおりだし手づかみで食べていたので米粒やらたれやらでベタベタの頬と手をしています。
桂の後ろにのっそりと存在するエリザベスに気づき、びくりと体を揺らしました。
「しんすけ、気にすんな。ほら、残りも食っちまえ」
銀時はしんすけの小さな頭を掴むとくりっとまた丼に向けさせました。時折エリザベスを気にしながら、それでもまた素手で丼の中身を口に運んでいきます。
それを見ていた桂が眉を寄せました。
「銀時、貴様こんな子供のしつけも出来ないのか。ものを手づかみで食べさせるとは何事だ」
咎めだてする声に銀時も眉間にシワを作ります。
「別にしんすけは元は野生の狐なんだよ。不器用さんなんだよ仕方ねぇだろうが」
「だからなんだ。人の赤子だって最初から出来るわけではあるまい。練習もさせず出来ないと決め付けるな。だから貴様は駄目なんだ」
「あぁ?なんで俺がけなされてんだよ」
「エリザベスを見ろ、今や立派に箸を使いこなしている」
「だってそれ中身ただのオッサンじゃねーか」
「オッサンと言うなァァア!!ごほん。この子を俺に寄越せ。俺が立派に教育してやる。そしてゆくゆくは一人前の攘夷志士に…」
「誰が渡すかァァア!てめぇは単にしんすけが欲しいだけじゃねーか!!!」



と、いうやり取りがあったために銀時はしんすけの教育に力を入れることにしたのでした。
「まぁしんすけにも人の常識を身につけてもらうってのは賛成ですけど」
「無理強いはよくないネ。ほら、しんすけすっかり食卓から離れちゃったヨ」
神楽の言葉通り、しんすけはソファーから飛び降り部屋の隅でふて腐れています。
「こらァ、戻りなさいしんすけー。食べちゃうぞー、おまえのお魚食べちゃうぞー」
銀時のやる気ない呼びかけにしんすけはちらりとこちらを見ましたが、すぐにぷいと顔を背けてしまいました。
「…ほんと腹立つなあのクソガキ…」
銀時がギリギリと箸を折らんばかりと力を込めるのを尻目に新八はしんすけの分のアジの開きをほぐしてやります。
「ほらしんすけー、お腹空いては戦は出来ないヨー。たくさん食べて白髪天パと戦うネ」
神楽がしんすけの側に行き、座り、二三言声をかけるとひょいと抱き上げてまたソファーに戻しました。
先程までしんすけがいた銀時の隣ではありません。新八と神楽の間です。
「はいしんすけ、お魚」
「これ持つヨロシ。そうそう上手アルな。それをこうやって、そうそう上手アルなー」
スプーンを持たせ、上手に誘導していきます。しんすけはスプーンを手にすると神楽と魚、スプーンを順番に見て見様見真似で新八がほぐした魚を掬い、食べました。
「はい、次はご飯ネ」
「ゆっくりよく噛んで食べるんだよ」
和気あいあいとした雰囲気に面白くないのが銀時です。
「…なぁ」
「なんですか」
「なんでそんなにそいつ素直なの。なんで俺にだけ反抗期なの」
「銀ちゃんはやり方が悪いネ。しんすけは悪くないのに怒ったったらイヤイヤするの当然ヨ」
ねー、としんすけに同意を求める神楽に銀時は唇をむっつりと閉ざします。
「へーへー、どうせ俺が悪いんですよー。しんすけじゃなくてみんな俺が悪いんですよー」
ばちんと箸を置くと銀時はごろりとソファーに寝そべりました。
「あらあら今度はこっちがヘソ曲げたネ」
「銀さんがふて腐れてどうするんですか」
「ふーんだ」
「………」
背を向けて寝そべる銀時にしんすけはソファーに近寄り、銀時にまたがって座りました。肺を押し潰してやりながらじっと見下ろします。
「んだよあっち行けよ。おめーはあいつらのが好きなんだろー」
しっしと追い払おうとする銀時に構わず、しんすけはのっしりと腰を下ろしたまま動こうとしません。
「………なんだよ」
「………」
結局その日一日しんすけは銀時の背中に張り付いたりしていて、片時も側を離れないまま次の食事の時間が来ました。
「よし、しんすけ。箸はとりあえずいい。スプーンだ。スプーンを…」
握らせた瞬間、ステンレスのそれは宙を舞いました。カラン、遠く床に落ちた音が響きました。
しんすけは無表情で銀時を見上げ、また素手を料理に伸ばします。
ぷちりと銀時のなかで何かが切れました。
「こんのガキャアアア!なめてんのかァァア!!」
逃げ回るしんすけと追い掛ける銀時でバタバタと食事どころじゃありません。
それを見ていた神楽と新八は何事もないかのように食事に箸をつけました。
「しんすけのあれは…」
「銀ちゃんに構って欲しいネ。あ、しんすけこけた」
転んだ隙に足を捕まれてぶらーんと逆さ吊りにされているしんすけに、銀時は説教を重ねます。
そんな様を二人はやはり見守ります。
「まぁ、楽しそうだからいいネ」
「そうだね。でもそろそろおとなしくしないとお登勢さんに怒られちゃうよ」
新八の予想通り、怒鳴り込んできたお登勢に叱られる銀時を、しんすけは定春のうえから見下ろします。
ちらりと銀時がしんすけを見上げれば目が合います。
フッ、と心底嘲笑ったような笑みを浮かべられて、銀時は後で吊すと心に決めたのでした。