君が欲しかったのは、都合のいい存在。寂しいときだけそばに居てくれて、暇な時は暇を潰せて、要らないときはまるでいないかのように放置できる。
きっと、そんな存在。
「なんでそうなんだよ!」
また怒らせた。自分が座っていた椅子を蹴り上げて、高杉は部屋を出て行く。ついでとばかりに力一杯戸を叩きつけるように閉められて、大きな音が部屋に、廊下に響いた。その音に眉をひそめながら、はめ込まれたガラスが割れなくてよかったなぁと銀八は考えていた。
溜息を吐きながら白衣のポケットに手を突っ込んでタバコを取り出す。ソフトパッケージから一本取り出して火をつけ、肺を一巡させた煙を長く吐き出す。そこまでを淀みない動作で行って、面倒臭そうに髪を掻きまだほとんど吸っていないタバコを灰皿に押し付けると腰をあげた。
激昂した子供が叩き閉めた扉を開けて、彼が歩んだであろう道を辿る。
別に追いかけなくてもいいのだけれど、追いかけないとそれはそれで面倒くさい。
どうせいる場所はわかっているのだ。急ぐこともない。けれど、あまり遅らせるとまたややこしいことになる。だから適度な早さでやる気のない足音を響かせて廊下を歩く。
しかし階段を登るのは疲れるのでもうちょっと場所を考えて欲しいなぁと思いながら、銀八は屋上へ繋がる重たい扉を開けた。
辺りを見回した。いない。おかしいな。いつも此処にいるのに。一番最初、何処に行ってしまったのか見当もつかなかったとき、わざわざメールを寄越してきたのだ。屋上と、一言だけ。
それ以降ずっと屋上に行けば高杉はいたのに。
もしかして、もしかして?
思わずフェンスに近づいて恐る恐る下を覗こうとした。地面に広がっているかもしれない惨劇を想像しながら、金網に指をかける。
「なにしてんだ」
後ろから声がして、銀八は振り返る。かくして、探し人はそこにいた。屋上への扉の真横に座り込んで、銀八を見ている。足元に気を配らなかったために気づかなかったようだ。なんにせよ、落ちてなくて良かった。
立ち上がった高杉が尻を払ってこちらに近づいてくる。隣まで来た高杉がひょいと下を覗いた。それから銀八を見て、ニヤリと笑う。
「落ちてれば良かったか? そうすりゃ面倒なこともなくなるもんなァ」
「面倒くさいは否定しねーけど、さすがにそれは思わねーわ」
ついでとばかりに銀八も下を覗き込もうとした。今度は特別な感情も想像もなく。だがそれは胸倉に伸びてきた手が思いきり引っ張ってきたことで妨げられた。
胸倉が動いたことで首も動く。その上に乗った頭も連動して、引かれた方に向く。唇が塞がれた。入り込んできた舌が口内をなぞる。
離れてもまだ近くにあるその右目は無関心そうな上辺の底で隠しきれていない愉悦の色が滲んでいる。若さゆえの劣情を責める気など銀八にはない。
すぐそこにある唇を今度は銀八から塞いでやれば今度こそ満足そうに目を細めて高杉はその口付けを受け入れた。
風が銀八の白衣を舞いあげる。その音に紛れて、携帯電話のバイブレーションが響いた。
「出なくていいのか?」
銀八が震える携帯電話の持ち主に問う。少し不満気に眉を寄せた高杉は別にいいとだけ言って、銀八の後頭部に手を回して引き寄せた。
これはただの暇潰しで、寂しくなったらちょっと呼んで側に置いておいて、他の人がいるのなら、やることがあるのなら別に要らない。高杉にとって、自分はそんな存在だと銀八は自分に言い聞かせてきた。
だから、携帯電話が高杉を呼ぶのなら、そっちを優先してしかるべきなのだ。自分を選ぶなんて、あってはならない。あってはならないのだ。
だって、そう思わないと、どんどん戻れなくなってしまう。
(取り返しがつかなくなってから目が覚めたように突き放されても、俺はきっと戻れないよ)