しょうもない、瑣末な、詰まらない“もしも”の話をしよう。
もしも俺達の関係が明るみに出たとする。そうしたらきっと俺たちは引き離されてしまうんだろう。
母親が喚き立てておまえは教育委員会だか何だかに突き出されて、まるで俺が被害者であるかのようにさめざめと泣くんだろう。父親はどうするかな、薄気味悪いものでも見ているような目を俺に向けてきっと多くは語らず、近づこうともしないに決まってる。
いつもつるんでる奴らはどんな反応をするだろう。距離を取って、俺を視界に入れないようにしてそれでもちらちらと視線を投げてくるのかな。
まぁ誰にどんな反応されても、別にいいけど。
もう二度と、おまえには会えなくなってしまうのかなぁ。なんて、そんなことを思ったんだけどおまえはどう思う?
「まぁ、とりあえず職探しすんのめんどくせぇなぁって思う」
今にも眠りに落ちそうに瞬きをしている高杉がつらつらと口にした問いに、銀八は白い煙を吐き面倒くさそうに、それでも律儀に答えてやった。それに対し、さらりと黒髪を撫でる手とその言葉を受け入れながら、高杉は夢うつつのまま仕方なさそうに笑った。
「んだよ、気にすんのはそんなことかよ」
「ったり前だろー。おまえ、自分の教え子、それも男子生徒とスキャンダルになった教師を何処が雇ってくれるんだよ。失業保険はおりてるうちに再就職先探さないと、蓄えもそんなにねーし生きていけねーだろうが。あぁでも女生徒に手ェ出す変態教師がまたのうのうと教師やってたりするとこ見るに、案外簡単に再就職出来ちまうもんなのかなぁ」
「しらねぇよそんなこと」
「だろうなぁ。知ってたらむしろ引くわ」
そう話している間も銀八の手はずっと高杉の頭を撫でていて、まるで早く寝かしつけてしまおうとしているようだった。普段日常でこんなことをされたら絶対に叩き落としているであろうその手を、文句も言わずに享受し続けている辺り、今の高杉の頭は思考することを止めてしまっているのだろう。だから、今高杉が口にしているのは寝言と同じだ。
銀八がそういうつもりで受け止めていることを、高杉はほとんど眠りに落ちている頭の、何処か醒めきっている部分で冷静に判断していた。
今目を閉じれば、きっとこのまま眠りに落ちるだろう。それも永遠のものではない。まだこれから何十年とあるであろう人生の中の、つかの間の眠りだ。数時間後にはまた目を開けて動き出せるのだから、恐れることは何もない。けれど、高杉は閉じようとする瞼をこじ開けて、少しずつ焦点のずれてきた目を銀八に向け続けていた。
可笑しくもないのに何故だか笑えて、その衝動を隠そうともせず薄らと笑みを湛えながら言葉を口にする。
「交通事故、みたいだな」
「今度はなにいきなり」
急に変わった話題に、銀八はフィルター付近まで火が近づいた煙草を灰皿でもみ消しながら、肺を満たしていた最後の煙を吐き出した。何が可笑しいのか自分でもよく分からず、高杉は尚も笑いながら言葉を続けた。
「おまえが車運転してて、俺が歩行者。俺が信号無視して飛び出したのに、事故で悪いのは全部おまえだ」
二人の関係は、そんな自動車の人身事故に良く似ている。
「俺が、お前を欲しがったのに、ばれたらきっと悪いのは全部おまえになる」
たったそれだけの事実が、自分はまだ社会的に庇護されるべき存在であり、自由に振舞ってるつもりでも安全を約束された場所でいきがっているにすぎない現実を突き付けてくる。それが酷く哀しくて、少し滲む視界を瞬きでクリアにしようと試みるけれども、何度瞬きをしても見上げている銀八の姿は輪郭を取り戻そうとせず、そのうちに頭を撫でていた手が移動してその目を覆ってしまった。
「俺一人が悪モンでもおまえがなんのお咎めもねーってんなら、もうなんだっていいからお前は早く寝ちまえよ」
まだもう少し起きていたい。そう言おうと高杉は口を開いた。けれどなんの言葉も出せず、生温い雫が目じりからこめかみを伝うのを感じて酷く気持ちが悪かった。しかし手がもう動かせなくて、視界を塞ぐ銀八の手を退かすことも、その感覚を拭うことも出来ないまま、少しずつ意識が途切れていくのが分かる。直ぐそこにいるはずの人の声がやけに遠くに聞こえた気がした。
「おやすみ」
その声が酷く優しく心地が良くて、もっと酷く冷たく不快で突き放してくれたらこんな重いなど抱かなくても済んだのになどと理不尽なことを思いながら、高杉は静かに眠りに落ちていった。
(何処かに行きたい。もっと自由な処へ。連れて行ってほしいんじゃなくて、俺が、その手を引いて、何処か、何処かへ)