銀八が風呂へと消えている時間、高杉は一人、そっとリビングの隣にある部屋へと足を向けた。普段銀八が寝起きしているその部屋の押し入れを開ける。奥に奥に手を伸ばして、やっと指先が触れたそれを引っ張り出した。
少しだけ固いプラスチックが表紙の、小さなアルバムだ。これを見つけた日、その日も銀八は風呂に入っていて、一人やることがなく手持無沙汰になった高杉は家主に黙って勝手に押し入れを漁っていた。何か面白いものはないだろうかと探っていたところ、このアルバムを見つけたのだ。
他にも数冊、そしてアルバムに入れられることもなくそのままの状態で束になっている写真を掘り出した。今よりも少し、大分若い過去の彼を笑っていられたのは僅かの間で、高杉はそれを見つめているうちに込み上げてきた不快感にも似た何かがもたらしたその衝動のまま、アルバムと写真を一度は投げ入れて押し入れを閉めた。
深く息を吸って、吐いて、少し間を開けて、もう一度押し入れからアルバムを取りだす。またそれをしばらく見つめて、仕舞われた写真を一枚取り出すと、またアルバムを押し入れにしまって台所に向かい、高杉はその写真に火を付けた。
灰になっていくそれを、瞬きもろくにせず見届けているその時、後ろから声を掛けられた。
「高杉? んなところでなにやってんだ?」
風呂上りの、まだ湯気を立てながら銀八は不思議そうにして、流しの前に立つ高杉を見つめていた。その視線を見つめ返しながら、高杉はそっと笑った。
「なんも?」
それから何度も、銀八が風呂に入っている間にアルバムを出しては一枚ずつ写真を抜いて、灰にしてきた。決して目を逸らすこともなく、銀八の思い出が消えていくのを見つめ続けた。其処に罪悪感はない。
今ではもう大分空白だらけになってしまったアルバムから、高杉は今日もまた一枚写真を抜き取るとコンロの火をその隅に付けた。高杉の知らない人たちと笑っている銀八にまでじわじわと火の手は伸びて、写真はひしゃげて黒ずみ、その姿を変えていく。
こんな行為は無意味だと分かっていた。けれど、自分の知らない銀八など消えて無くなってしまえばいいのだ。心からそう思う。
写真を燃やしても、記憶には残りつづける。だが記憶など酷く曖昧なものだ。いつかきっと忘れてしまう。何があったかなど、誰と笑い合っていたかなど、きっと忘れてしまうのだ。早く忘れてしまえばいい。ただひたすらにそう願いながら、ただ燃え上がる炎を見つめていた。
そうして灰になった写真を全て水で流して、高杉は今日も何事もなかったかのように風呂からあがる銀八を迎える。
(彼の全てが俺との全てで出来ればいいのに)
* * *
夜、高杉が寝ているのを確認して銀八は押し入れを開けた。
奥へ奥へ仕舞いこまれているそれを引っ張り出して、息を吐く。プラスチックの表紙の、変哲もないアルバムだ。別に思い出に浸ろうと思っているわけではない。それでも銀八はそのアルバムを開いた。何頁かパラパラと適当にめくる。目に入るものを懐かしみながらほんの少し頬を緩めた。それでも手を止めない。最後の方に辿り着いて、銀八は大分写真の少なくなった頁でようやく頁をめくる手を止めた。
いつからか、高杉が変な遊びを覚えたらしい。アルバムから写真を抜いて、どうやらそれを燃やしているようだ。銀八が気づいていることに気づいていないのか、高杉は銀八の家に来るたびにその行為をしている。
高杉の行為はとても褒められたものではないし、止めてくれるのならば止めてほしいと思っている。けれど銀八は高杉に止めろとも、止めてくれとも言ったことはない。高杉のしたいようにさせつづけていた。きっとこのままだと、このアルバムの写真は全てなくなってしまうのだろう。それでもいいと、銀八は心の何処かで思っていた。
ちらりと眠っている高杉に目を向ける。布団を頭から被ってしまっていて、黒髪が僅かに覗くばかりだ。その様子をしばらく眺めてから、銀八は再びアルバムへと目を向けた。そっと表面の薄いビニールを撫でる。
こんなものに嫉妬心を見せるなんて、あの可愛くない、憎たらしさばかり目がつく子供にも、可愛らしいところがあるものだ。思わず笑みが零れる。
(過去なんて、もう二度とこの手に戻らない過ぎ去った物で良ければ幾らでもくれてやるよ。だから)
アルバムを仕舞いこんで、銀八も布団に寝ころんだ。隣でほんの少しだけ上下している布団をめくれば、高杉はご丁寧にこちらに背中を向けていてその寝顔を見ることは出来なかった。
仕方がないのでとりあえずその黒髪を指先で弄んでみる。まだ少し湿っている髪は絡みつきながら、それでもするりと落ちていく。しばらくそうして遊んでみたが、高杉が目を覚ます気配はなくそれにも飽きて止めた。
銀八はなんとなく此方に向けられている黒髪を眺めていた。最後にもう一度だけその髪に手を伸ばし、小さな頭を撫でる。そして目を閉じた。
(おまえの未来が、全部俺のものになればいい)