「昔の人はよぉ、『I love you』を、月が綺麗ですね、とか、私死んでもいいわって、訳したんだとよ」
テレビを見ながら、銀八は唐突にそんな言葉を口にした。今、室内には銀八の他にもう一人いる。銀八の言葉を受けて、そのもう一人である高杉は銀八になど目もくれず、それでもきちんと反応を返した。
「ふぅん」
「興味なさそうだなオイ」
携帯ゲーム機から目を離さない高杉は瞬きひとつしない。音を消してプレイしているが、ボタンを叩く音は消すことが出来ず、テレビの音に紛れながらも絶えず続いている。
時折高杉の表情が微かに変わる。何時からか銀八はその様子を見ていたのだが高杉は銀八の視線など気にもせず、舌打ちしたかと思えばまた元に戻り、を繰り返していた。
「あぁねーよ。全く興味ねぇ」
「まぁそうだろうと思ってたから別にいいんだけどよ。で、此処からが本題よ」
「月が綺麗ですね。これで満足か天パ」
「聞けよ。おまえならなんて訳す?」
「あ? あー…」
一際大きく高杉の表情が歪む。絶え間なく動いていた指先も止まった。どうやらGAME OVERになってしまったらしい。忌々しそうに顔を歪めたまま、高杉はゲーム機の電源を落とした。そして改めて銀八に視線を向ける。
「で、なんだって?」
「おまえなら『I love you』をどう訳すかっつー話だよ」
「愛してる」
「を、使わずに」
即答を即答で返せば高杉は面倒くさそうに眉を寄せてみせたが、ゲーム機を放り出してふむと考えだした。これでなかなか素直なところがある少年はきちんと問題に向き合っているらしく、少し唇を尖らせながら真剣に考え込んでいる。
しかし深い溜め息を境に集中力が切れたらしく、やる気のなさそうな視線を銀八に向けた。
「駄目だ、ありきたりな言葉しか思い浮かばねぇ」
「どんな」
「殺してやるよ」
「は?」
「だから、殺してやるよ」
あっさりと言われた言葉に銀八は瞬きを繰り返して高杉を見つめた。一方、高杉はニヤリと唇の端を吊り上げて銀八を少し細めたその眼に映している。
愉悦に満ちた唇から放たれた言葉をゆっくりと理解して、銀八は改めて言葉を返した。
「あー…、お前を殺して俺も死ぬ的な? 心中願望?」
「ちげぇよ天パ。勝手に死ね。俺は死なねェ」
てんで的外れな答えをしてしまったらしく、あからさまな落胆と侮蔑の視線をぶつけられ、銀八は口を噤んだ。多感なお年頃の考えなど、もうその時期を通り過ぎてしまった大人には到底理解できるものではない。特に、目の前のこの少年は良くも悪くも銀八の思考の斜め上を飛んでいくことが多い。
下手に口を出して機嫌を損ねては面倒なので、高杉の自発的な説明に任せることにした。
「一人殺ったくらいで死刑にゃなんねーだろ。まぁなったらとりあえず最高裁まで戦ってみるか」
真剣に考えているらしく、高杉の視線は何処か明後日の方向に向けられ此処にはない。そして言葉を一つ一つ探しながら、それでも止めどなく音は途切れなかった。
「まぁ死刑にならねーことを前提にすっと、刑に服して出所したらいろんなことやって人生思いっきり楽しむな。もしある日突然通り魔かなんかに刺されておっ死んでも悔いがねぇくらい人生満喫する。おまえの分まで」
「あ、殺されるのは俺なの」
「たりめーだろ」
お前の他に誰を殺せと言うのかと真剣に言ってくる子供に、ときめいたりはしていないと銀八は誰にでもなく心の中で言い放つ。吊り上ろうとする頬を無理に引き締めれば不自然に震えたが、高杉はそれに気づく様子もなく、代わりに全てをぶち壊すような言葉をあっさりと口にした。
「まぁ全部冗談だけどな。てめぇのせいで前科モンになるとか、まっぴらごめんだ」
「…あーそうですか。俺も教え子に殺害されてあることないこと噂されて報道されるとかゴメンですよ」
無意識に唇を尖らせて言い放てば、それは目ざとく認めたらしい高杉が少し意地の悪い笑みを浮かべてみせた。
「何拗ねてんだよ」
「拗ねてませんけど」
「拗ねてる。まぁどうでもいいけどな。I love youだろ。思いついたぜ」
悪戯な笑みを浮かべたまま、高杉は銀時に近づいて行った。こんな顔をしているときの高杉はろくなことを考えていない。経験から分かっている銀八はほんの少し警戒しながらも、それでも彼が口元に手を添えて耳打ちしようとしていたので素直に高杉に耳を寄せた。
高杉が囁く。
「おまえの人生俺に寄越せよ」
近い距離で高杉を見れば、笑みを浮かべたままの高杉が軽く唇をかすめて行く。今しがた重なったばかりの唇が開く。
「で、返事は?」
楽しそうな笑みを前に、銀八は何処か気の抜けたような言葉で返した。
「…いくらでもどうぞ」
(こんな人生で良かったら、幾らでもあげる)