自分でいうのもなんだが、銀八は取り立てて自分に良いところがないことを自覚している。
容姿、性格、よくて中の下。身体能力も、少々力が強めなくらいだがそれも火事場の馬鹿力で普段はなりを潜めている。
だから不思議でたまらない。
「おまえは俺の何処が好きなの」
思わずそう口にだして問い掛ければ、言われた方はきょとんと曝された右目を丸くした。それから小さく首を傾げる。
「何処って、…何処だろうなぁ」
「なぁ?」
高杉は首を傾げたまま、どうでもよさそうに目の前にあったプリッツに指先を伸ばして口に運ぶ。パキンと半ばで折って、頬杖をついた。
ふむ、と視線を右斜め上にあげる。
「改めて考えると、ろくなとこねぇな。白髪だし天パだし、白衣はよれよれでだらしねぇわ、金ないくせに博打もすっからいつでも金欠。見てるだけで吐き気がするほどの甘党で将来は糖尿だろ? おまけに副流煙の被害も考えず煙草もぷかぷかふかし続けて肺も真っ黒だろうし、…やばくねぇか、人として」
「うん、俺から振った話題だけどな、そこまでけちょんけちょんにしてくれっと涙出ちゃうからもうやめて」
最初は適当だった発言が段々と真剣みを帯び、最終的には本気で心配しだした高杉に銀八は思わずそう返した。
けれど真面目に考え出してしまった高杉は身を乗り出して銀八に向き直る。
「いや、冗談じゃすまねぇだろ。てめぇのやばさはもはや許容されるもんじゃねぇ。改善出来るところはするべきだ」
「…例えば?」
問うのは銀八、と立場は先程と変わらないのに高杉の態度が全く違う。
指先でつまんだプリッツをタクトのように振って、高杉は思い付いた案を言った。
「とりあえず甘いもん取るのやめるだろ、あとパチンコ。そうすればその分金が浮く。損してただでさえ厚みのねぇ財布がぺらっぺらになることもない」
「それ俺への死刑宣告だろ。俺に死ねって言いたいんだろ、はっきり言えよコノヤロー」
そう言って銀八は高杉のプリッツを奪った。サラダ味のそれが銀八の唇に触れる。しかし口に入る直前高杉が銀八の手首を掴み、引いたので二人の間をさまよったそれは、結局高杉の口のなかに落ち着いた。
銀八が不満げな視線を向けても高杉はしらっと素知らぬ顔で咀嚼を続ける。
「馬鹿、俺ァてめぇを想っていってやってんだ。いいのか、糖尿病の入院食は超質素だぞ。塩分とか気にするメニューに付き合う気なんざ俺ァねーからな。今のうちにだな…」
「だからさ」
「ん」
「そんな俺のために必死になるほど、おまえは俺の何処が好きなの」
「………」
振り出しに戻る問いかけに、高杉は再び目を瞬かせ口を開けたまま動きを止めた。視線が右上に向けられる。それから腕を組んで再び首を傾げた。
「…何処だ? てめぇにいいとこなんざねぇのは今言った通りだろ」
「うん、そうだな。また敢えて言葉にしてくれなくてもいいんだけどな」
いちいち心に刺さる言葉を投げ付けてくれる少年に銀八はもう何も言うことはないと席を立った。
空いたカップを持って行く。国語科準備室を出れば高杉もついてくる。
しかし職員室の隅にある給湯室で手にしていたそれを軽く洗うときには高杉の姿は見えなくなっていた。
「………」
高杉は何処に行ったのだろうなどと思うこともなく、銀八は眉ひとつ動かさないまま白衣を自分の席の椅子に掛けた。帰り支度を簡単に済ませて職員用の玄関から外へ出る。その足で原付きの置いてある駐輪場に向かった。
そして当たり前のようにそれはそこにいた。銀八の原付の椅子にまたがってヘルメットを弄んでいる。特別退屈そうな様子もなく、珍しくもないヘルメットをくるくると指先で回していた。
「お待たせ」
「なぁ、俺ふと思ったんだけど」
「何」
「これ被ってっと、俺に天パが移ったり白髪が移ったりしねぇかな」
「…なにおまえ、今日は年頃の女の子の日なの? お父さんの後のお風呂に入りたくないとか、そういうこと言っちゃう日なの? やめときなさいよ、お父さんだって人間なんだからね」
「てめぇみてえな父親を持った覚えはねぇ」
「俺もお前みたいな娘持った覚えはねぇよ」
さらりとそう言って、銀八は高杉の手からヘルメットを取った。そしてそれを無防備な頭に被せる。抵抗はなかった。高杉は大人しくされるがまま、銀八を見上げていたが原付から降りるとすたすたと先を歩いた。
もう人気のない校門を順番に出ていく。高杉の足取りは迷いがなく、目的を持って進められた。原付を押して、その後ろを歩く銀八は高杉の後ろ姿をただぼんやりと見つめるだけだ。
何処まで歩くんだろうなぁと考えていると高杉が振り返った。どうやら原付に乗る気らしい。銀八が高杉の横までたどり着くと、高杉は当たり前のように銀八の後ろにまたがった。
「今度俺も免許取ろうと思うんだよ」
「へぇ、いいんじゃない。二輪なら取れるもんな」
「取ったら俺が乗せてどっか連れてってやるよ」
「まだ死にたくないから遠慮するわ」
「あぁ?」
「っていうか免許取って1年は2ケツ禁止って決まってっけど」
「マジかよ」
後ろから不機嫌な空気を感じる。そんな不満そうにされても、銀八が決めた決まりではないのでどうしてやることも出来ない。
今は俺の後ろで我慢しとけと言ったが返事はなかった。
お互いに口を閉じたまま、それでも原付は走る。途中信号で止まった時も二人は口を開かなかった。けれどそれは重く不快な沈黙ではなかったため、銀八は特別気にすることもなく信号が変わると同時に原付を発進させた。
銀八の家に着く。高杉と距離が開いたことにより、くっついていたわけでもないのに温もりが遠ざかるのが銀八には少し寂しかった。この感覚はいつになっても慣れない。
名残惜しさを無意識ににじませながら銀八は高杉を見ているのだが、銀八の胸中になど目もくれない高杉はヘルメットを銀八に返すとこれまた自然な足取りで銀八の住むアパートの階段を上って行った。
別にこの言いようもない感覚を理解してほしいわけではないので銀八は何も言わない。ドアの前で銀八が鍵を開けるのを待っている高杉を視界の隅に入れながらポケットをまさぐり鍵を探した。



「てめぇはずりぃんだよ」
「何いきなり」
ずっと何かを考えている様子だった高杉が突然そんなことを言い出した。何事かと瞳で問うたが高杉の中では筋の通った発言らしく、説明してくれそうになかった。
「ずりぃ」
「だから何が」
「てめぇこそ、俺のどこが好きだ?」
「はぁ?」
何処かで聞いた問いかけだな、と銀八は一瞬思い、すぐに思い出した。あぁそうだ。放課後自分が高杉に尋ねたのだ。
「なんで先に自分の意見を言ってから問いかけねぇ」
「まぁ、思い付きだったし」
「言い訳だ」
「そーですね」
下手に口答えして怒らせても面倒なので素直に受け入れる。高杉はそんな銀八の態度にも納得がいっていないようだったが激昂することもなく言葉を続けた。
「俺の答え聞きたきゃ、てめぇが先に答えろ」
「別に聞かなくてもいいって言ったら答えなくていい?」
「………」
「ごめんなさい怒らないで」
悪戯心が疼いて軽口を叩けば、ただでさえキツイ高杉の目付きがさらに鋭くなる。
高杉は探るような瞳で銀八の言葉を待っていた。
どうしたものか。
高杉のどこが好きかなど、聞かれても正直困る。だから聞かれたくなかった。高杉に自分が問いかける前に、自分も高杉のどこが好きか考えてみたのだ。
教え子で同性で、寄り添い合うには障害が多すぎるのは分かっている。禁断は蜜の味だなんて志向、銀八にはない。
自分の立場も相手の立場もわかっていて何故、自分は高杉に今口づけているのだろう。
「てめ、はぐらかしてんじゃ…」
「んなの俺が聞きてぇよ」
「は? っん」
訝しげな瞳に映る自分が銀八には見えていた。何か言葉を紡ごうとした唇を塞げば僅かに生まれた音は何の意味も持たない。
高杉からの抵抗はない。目を閉じない子供を生意気だと思いながら銀八は口づけを深くした。
理由なんて、言葉なんて、理屈なんて、そんなのどうだっていいんだよ。
唇を離したときにそう言ってやれば、高杉は満足そうに目を細め唇を吊り上げた。
「国語教師のくせに」
論理も何もねーのかよ。そんな軽口を叩きながら高杉は少し体勢をを変えた。銀八ににじり寄る。
愉快そうな濡れた唇が挑発的に開かれる。赤い舌が覗いていた。「でも」
「嫌いじゃないぜ、そういうの」
「好きって言っとけ、こういうときは」
心底楽しがっている声が宙を舞った。



(魂が惹かれあった、なんて柄でもねーんだけどな)



理由がないことだって、この世にはあるんだ。