隣で寝ている銀八の枕元に無造作に置かれている煙草に手を伸ばした。一本勝手に失敬して、口にくわえる。ライターは見当たらない。
小さく溜め息をついて身体を起こした。脱ぎ捨てられている上着のポケットを漁れば安物のライターが指先に触れる。それを取り出し、高杉は慣れた手つきで煙草に火をつけた。
ほんの少し吸って、口に溜めた煙を吐き出した。肺には余り入れない。ただふかすだけだ。吸い方を知らないのではない。自分は吸っていると勘違いしているわけでもない。吹かしている、ということをちゃんと分かって高杉は煙草の煙を口にしては吐き出していた。
それでも口内に残る煙草の味に、初めて煙草に手を出した時のことをぼんやりと思いだそうとした。あの時も今と同じような状況だった。銀八は寝ていて、自分は起きて、彼の唇を塞いでいることの多い煙草に興味を引かれて手を出した。
火の付け方もイマイチわかっていなかったのに、今ではすっかり手慣れてしまったなとちりちりと燃えていく煙草を眺めてみる。なかなか灰が落ちないことに妙に感動した自分はもういない。
初めての煙草の味はどんな味だったか。思い出すことは出来なかった。けれど。
銀八と交わした初めてのキスの、甘党の男とは思えないほどの苦さは今もまだよく覚えている。



本当は煙草に嫉妬していたのだと思う。銀八の唇を塞いでいるその存在に。馬鹿みたいだと自分でも思うけれど。
高杉の喫煙に気づいたらしい銀八から禁煙を申しつけられた。別に狙ったわけではないけれど、思いもせずその唇は簡単に空いた。これでいつでも気が向いたらキスが出来ると、確かに思った。
少し調子に乗ったのは否めない。
「んなに口寂しいなら俺がキスして紛らわせてやろうかァ?」
柄にもなく少し浮かれていた。その弾んだ気分をキス一つで台無しにされた。誰が死にかけるほどのキスをしてやると言ったのか。そう怒ってやりたかったけれど酸欠でクラクラする頭では脛を蹴りつけてやることしかできなかった。
おかげで折角銀八の唇を塞ぐものはなくなったというのに、近づくのも嫌になる。それは本当に僅かな機関ではあったのだが。
いつからか、銀八の口は煙草ではなくて飴玉に塞がれるようになった。そんなに口寂しいなら飴でも舐めてろとアドバイスした人がいるらしい。
口付けが甘くなった。イチゴだとか、ブドウだとか、その時々で味が変わる。甘ったるいそれに気分が悪くなるとしか言いようがない。
「おまえは何が気に食わないの」
背後から銀八の声がする。それを無視して高杉は勝手に手にしているリモコンを操作してテレビのチャンネルを次々と変えていった。
「たーかーすーぎー」
「………」
結局面白い番組は見つけられず、さりとて消してしまうと部屋は静まり返ってしまうので無難なニュース番組で回すのをやめる。
返事がないことでこれ以上尋ねることを諦めたらしい銀八の溜め息が背後から聞こえてきた。それから席を離れる音がする。しばらくして戻ってきて、柑橘が香る。
匂いに誘われて見れば銀八の手にはいよかんがあった。じっと見つめてから外の厚皮が剥かれたのを見計らって手を出してみる。
「返事もしない子にはあげませんー」
「………」
恨みがましい目を向けても眼前の鈍感な男は少しも気にすることなく、いよかんの中の袋も剥いてじゅるりとみずみずしいそれで唇を潤していく。
本当に一つもくれることなくそれは完食された。
「てめぇマジに全部一人で食うとか、ふざけてるにもほどがあんだろ」
「え、なにくれること期待しちゃってんの。やだねー、自分はなにもしないくせに人にしてもらうことばっかり望む奴って」
棘のある言葉に高杉の目が鋭くなる。このニコ中、まだ苛立っているのか。早く糖尿か肺癌で死ねばいいのに。そう念じて睨んだところで柳に風、この男にはなんの効果もない。
しばらく一歩的なにらみ合いをして、高杉はゆっくりと口を開いた。
「何を」
「ん」
「てめぇは俺に何をして欲しいんだよ」
ほんの少し誘うような色を目に込める。銀八は相変わらずの表情でなんの反応も示さない。
先程の見つめあいにも似た時間を過ごして、今度は銀八が先に口を開いた。
「俺はさっきの質問に答えてほしいだけだよ」
「質問?」
「おまえは何が気に食わないの」
「………」
沈黙で答えれば、言葉にしてくれなければ分からないと言われる。
俺はエスパーじゃないんだと言われたって思うことはならエスパーになってみせろということくらいだ。
この男は何処まで鈍いのだろう。何故自分が沈黙している理由を考えようともしないのだろう。
言いたいことは本当は山ほどあるのだ。言葉にしないで押し込んだ思いは腹の底に沈みこんでグラグラと溢れ出る時を待っている。
けれどこんなこと言ってはうざがられるのではないか、これだから子供はと溜め息をつかれるのではないか。そんな不安で本当の気持ちに蓋をし続けている。だから言えない、なんて、言えるはずもない。
あぁもうイライラする。
「高杉?」
何も言わず四つん這いで移動する。視線が追ってくるのも構わずに自分のカバンの中身を漁った。探しているのは小さいものだから、何処にあるのか分からず苛立ちに任せて中身を全てぶちまけた。
安物のライターと携帯灰皿を手にして立ちあがると今度は部屋の引きだしに指先をひっかける。そちらは開ければすぐに目的のものは見つかった。掴みあげ、それをくるんでいるラップを無造作にハズす。
「オイ、おまえ」
銀八の声を無視して、煙草を一本取り出すとそれに火をつけた。思いきり吸い込む。けれどやはり肺には入れない。口に広がるのは苦い煙の味だった。ほんの少しだけ喉を焼かれるのを感じた。一度煙を吐き出すとまた吸った。
「何して…」
傍に寄って来た銀八の唇を塞ぐ。溜めこんでいた煙を吐き出して入れてやれば、二人してむせ込んだ。
「ゲホッ、おま、なにして…。っつか禁煙っつったろうが」
「そんなん知ったこっちゃねーンだよ」
「はぁ?」
煙草と携帯灰皿は奪われた。抵抗する気もなかったのでそれはそれはあっさりとだ。
眉を寄せて訝しむ男を睨みつける。それから銀髪が少しかかる頬を両手で思い切り掴んで引きよせ、噛みつくように唇を重ねた。
開いた唇から舌を潜り込ませればすぐに応えて絡ませてくる。このエロ教師がと高杉は心の中で目の前の男を罵ってやる。
「っ、は…」
「おまえは、何がしたいの」
唇は離したがまだ吐息が混じり合う近い距離で、銀八はなおも問いかけてきた。焦点の合わない距離で瞳に映る自分を見つめながら、高杉は唸るように低い声で今日初めて質問に応じる。
「甘ったるいキスなんていらねぇんだよ」
「高…」
なおも何か言おうとする唇が紡ぎだそうとした言葉は意味を持たぬまま高杉によって掻き消された。



苦いくらいがちょうどいい。どうかもうこれ以上俺を甘やかさないで