お酒と煙草は二十歳を過ぎてから。
そんなのは常識であるし、煙草のパッケージにも未成年が喫煙することの悪影響がわざわざしっかり書いてあるというのにだ。
最近悪ガキが煙草を覚えたらしい。
服についた匂い、口づけたときや重ねた指先から銀八はそれを感じていたが、先日はっきりとその現場に遭遇した。
服も纏っていない肩を晒して指先に煙の登る煙草を挟み、銀八の視線に気づいて悪びれる事なくこちらを向いた。
「んだよ」
「…未成年の煙草は犯罪です」
寝起きである銀八の声は掠れていた。
「だから?」
「なに」
「てめぇは俺を警察に突き出すか?」
そんなことはしないだろうと人を見下ろす視線が憎たらしい。
口許に運ばれる煙草を奪い、一息吸って灰皿に押し付けた。高杉から抵抗らしい抵抗はなかったのでお互い火傷せずに済んだ。
頬杖をつき不機嫌そうな銀八を見て、高杉はただ目を細め唇を少し吊り上げている。そこに少しも悪びれた様子はない。
「てめぇがいつもくわえてっから、どんなもんかと思ってな」
その言葉に、少々考えさせられるものがあった。
仮にも銀八は教師だ。周囲にどう思われていようとも教師としての自覚はある。そのため自分のせいで生徒に悪影響を与えるというのは好ましくないと考えた。
自分は喫煙者だが、煙草を吸っていない人間に喫煙行為を広める気、ましてや未成年相手に勧める気などカケラもない。煙草が与える健康被害やそれを購入するためのお財布の痛みなどはきちんと理解しているからだ。
(どうしたもんかなぁ…)
悩む。そしてあることを思いついた。
「高杉、煙草出せ」
「没収か?」
「まぁな」
「んなことしてもまた買うぜ」
「ダメ」
素直に差し出されたボックスと、自分のソフトを纏めて台所に持って行く。ラップに包んで引き出しにしまい込んだ。
そしてその様子を黙って見ていた未成年に眠そうな目を向け、びしりと言い放った。
「今日からお互い禁煙な」
無意識にポケットへ手が伸びる。飴しか入っていないことに気づいて禁煙しているのを思い出す。そんなことを銀八は繰り返していた。
本日7度目のその行為に銀八は眉を寄せて溜め息をついた。髪を無造作に掻き、上体を椅子の背もたれに預ける。少々乱暴な動作に椅子が悲鳴を上げた。
「そんな無闇に頭を掻くと、将来ハゲるぜよ〜」
イライラが募っているときに明るい声を聞くと楽しくなるよりさらに苛立ちが募るのは何故だろう。
さらに不機嫌そうなオーラを全身で醸し出しながら銀八は声の主を見た。
「もっと頭皮を大切にせんと。大事なものを失ってからでは遅いちや」
「うっせーよ」
優しく諭すような口調がまた腹立たしい。
世の中が上手く言っていない人は苛立ってさらに上手くいかない悪循環に陥る。それに対し、順風満帆な人間はなにもかもが良い方に転がるから人生が楽しくて仕方なくなるのだろう。
目の前のボンボンを見ながら銀八はそんなことを考えていた。人類規模で物事を考えるなんて、自分はなんてスケールのでかい人間なんだとも。
そんなことを考えることで、現実から逃避していたのかもしれなかった。
ニコチン切れの苛々は此処数日続いている。一緒に禁煙を始めた高杉は銀八ほど苦ではないらしく、銀八の様子をただニヤニヤと眺めていた。
なんとなく口寂しい。舌打ちして唇を噛めば楽しそうな様子のまま高杉が言った。
「んなに口寂しいなら俺がキスして紛らわせてやろうかァ?」
余裕たっぷりな言葉と態度に少し苛立ちを覚えたので笑みを作る唇を塞いでやった。そして大人げもなくこれまでになく濃厚なキスをくれてやる。今までは他愛ないキスばかり交わしてきたため高杉は驚いたのだろう。抵抗してきたが押さえ付けて抵抗がやむまで貪り尽くした。
大人を馬鹿にしてると痛い目見ることをこの子供は覚えたほうがいい。勿論銀八以外のものがそのことを高杉に教え込もうとするものなら、そいつに痛い目見せてやると銀八は考えている。
酸欠でくらくらしている身体を支えてやれば、少し焦点のぶれている目で睨まれた。足のすねを爪先で蹴られる。
ぷんと顔を逸らされてしまい、少々やり過ぎたかと反省した。
「別に吸えばいいじゃねぇか。んなに苛々すんならよ」
このニコ中と罵られる。自分としてはニコチンに依存しているつもりはなかったのだが、この有様では否定できない。
高杉と少し距離があるのはこの前のフレンチキスで株を落としたからだ。家には遊びに来るが、あまり近づいてくれないしキスなんて勿論させてくれない。
高杉いわく「死ぬかと思った」そうで、走馬灯が見えた気がするとまで言った。
もう少し大人に警戒心を持って欲しいと思ったのは確かだが、自分がすっかり警戒されてしまい嘆息する。
「おまえは全然平気そうだな」
けろりとした様子に思わず拗ねたような声が出た。だが高杉は特別気にした様子もなく、あっさりと返してきた。
「別に俺もともとそんな吸ってねーし。吹かしてるだけとかで」
「…なるほどね」
たゆまぬ企業努力のおかげで1本でもニコ中になるというけれど、そんなことはないのか。若いから余計影響がありそうだがと考えてみるが、確かに没収した煙草もほとんど吸われていなかったことを思えば高杉はまだそんなに吸う人間ではないのだろう。
自分ばっかりしょうがない。なんだかなぁと思いながら携帯電話をいじる高杉を見つめた。声をかけてみる。
「高杉」
呼び掛ければ視線で応えてきた。指先で招けばあからさまに嫌そうな顔をしてみせる。
もうしないからと言えば、高杉はしばらく無言だったが手元の携帯電話を閉じて近づいてきた。
手が届くようになって頬に触れても拒絶反応はない。唇と唇の距離を縮めても文句もない。触れるだけ、重ねるだけのキスをする。久しぶりのキスだった。
居間で押し倒される。なかなかに肉食なこの若者は蛍光灯の明かりをバックに野性的な笑みを浮かべて人を見下ろしてきた。唇を舐める舌がぎらついた目を強調する。
どうやら虎視眈々とやり返す機会を狙っていたらしい。
覆いかぶさるように唇を塞がれながら、銀八は高杉のしたいようにさせていた。
させながら考える。自分が煙草に手を出したのはいつだったか、今の高杉と変わらない頃だったか、それとももう少し歳を重ねた大学生か、いやいやもっと幼い中学生の頃だったかもしれない。記憶は定かではないが、自分が煙草を吸いはじめたのは高杉のようにただの好奇心のようなものだった気はする。
(それが案外どっぷりハマッてんだから洒落になんねーよなァ…)
まだ拙い口づけに小さく笑みを零せば高杉の機嫌を損ねたようだ。明らかに不愉快そうな表情を間近に見て、思わず吹き出していた。
文句を言うために開かれた唇を、後頭部を掴み引き寄せることで塞いでやる。音は意味を持たずに狭い銀八の咥内だけで響いた。
「んん!っん!」
高杉が上にいるため、その両の手は自身の身体を支えるのに使われて銀八に危害を加えることが叶わない。
まだどこか詰めが甘いのが可愛いと思う。見た目はそこまで愛らしいものではないのだけれど。
押さえ付けていた手から力を抜き、指先で黒髪をすいてももう抵抗はなかった。
ふと、銀八は禁煙を開始してから今までの苛立ちが消えているのを感じた。
(やべぇ、俺…)
やめられないほどハマッてる。
いつの間にこんなに依存していたの?