嫌いなものなら積み上がって下から腐るほどあるのに好きなものがなにひとつとして見つからないんだ。 「あー…、世界ぶっ壊してぇな」 そうぼやけば隣で煙を吐き出していた担任は少し眉を寄せてみせた。 「物騒だなぁオイ」 「だって嫌いなもんが多過ぎんだよ、この世界にはよォ」 「別に俺ァ好きなもんもいっぱいあるけどなァ」 そう言って銀八は高杉に向けていた目を空に向けた。高杉はそんな銀八の横顔を、なんの感慨もなく眺めている。 『てめぇ俺のこと嫌いだろ』 前にそう尋ねたら曖昧にはぐらかされた。けれど高杉は分かっている。高杉の視線の先にいるこの白髪天パの担任は、自分のことが絶対に嫌いだ。 嫌われるようなことをした覚えはない。けれど好き嫌いは論理を越えたところにある。些細なやりとりが気に食わなかった、仕種が嫌い、声が嫌い、なんとなくだけどどうしようもなくいけ好かない。高杉もそういった感情を抱いたことがあるので、それのどれかだろうと憶測する。 別に嫌われて哀しい、と思うことはない。ただからかうと嫌そうな顔をするのが可笑しいので機会があるとつい話し掛けてしまう。 (あぁ、だから嫌われんのか…) 心当たりが一つ出来た。しかしそれもどうでもいいことなので空を仰いだ。 地上ではそれなりに強い風が吹いているが、天空の雲は動かない。白い月が雲に紛れながら浮いていた。 「でー、世界壊しておまえ、そのあとどうすんだよ」 「あぁ?」 風の流れに気をとられていたところを急に割り込まれ、高杉は無防備な声と顔で銀八を見遣った。そして気付く。 銀八の、死んだ魚のようだと言われるやる気のない目の奥に探るような光が点っている。 時折銀八は別にどうでもいい風を装って、躊躇いながらびくつきながらおっかなびっくりでそれでも高杉と銀八の見えない距離を詰めようとしてくる。しかしその目は、高杉を見ていながら別の誰かを畏れているのだと高杉は思えて仕方がなかった。 (ま、そろそろ慣れてきたけどな。てめぇのその態度にもよ) けれど苛々する。 チリチリと胸の奥の焦げ付きを隠して、高杉はニンマリと笑ってみせた。 「なんも考えちゃいねーよ。俺ァ作り直したいわけじゃねぇ。ただ壊してぇだけだ」 子供が懸命に積み上げた積木を手にしている鞄を振り回しバラバラに崩してやりたい。呆然として平地と残骸を眺めている奴をこれ以上ない愉悦の瞳で見下してやりたい。 そんな仕様もない思いがうごめいて暴れている。自分の感情なのに、何処か他人のもののように感じられる衝動を高杉は常に抱えていた。 「…やっぱ、変わんねぇんだな…」 二人の間を通り過ぎる風の音に紛れてぼそりと呟かれたのが高杉の耳に届いた。 「あ? なんか言ったか?」 「…なーんでもね」 気怠そうに口許のタバコを携帯灰皿に押し付けるのを高杉は見た。 銀八はポケットに手を突っ込み、砂利を蹴り空を仰ぐ。青色を見つめる瞳が酷く遠くて、高杉もその視線を追って空を見上げた。 学校の敷地内で一番高い場所である屋上でも、果てしなく広がるあの空まではまだ遠い。太陽が眩しくて光を遮りがてら手を伸ばせば余計にそう感じられた。 「………」 腕が疲れたので下ろす。ついでに視線も下げた。 苛々する。燻っていた火種が自己主張してやまない。今なら教室で椅子を振り回して窓ガラスを叩き割り、教室を悲鳴で満たすことくらい出来そうな気がした。 その思いを素直に口に出す。 銀八は少しだけ眉を寄せ、やめとけとだけ言った。 「俺が止めなきゃなんねーじゃん」 言いながら銀八はポケットから取り出したタバコをくわえ、火をつけた。 高杉はそれを見ながら、挑発的に笑い、言う。 「止めてみろよ。体はってなァ」 「冗談。椅子とか、当たったら超痛ェじゃん」 「手加減しないで全力でやってやるぜ」 「余計痛ェし」 高杉は笑っていたが、本当は少しも可笑しくなどなかった。何かが叫んでいる。 本当は、世界なんてどうでもいい。心のなかに積み上がっているのは嫌いなものなどではなく全くなんの関心もわかないものばかりだ。嫌いという感情すら抱けない。 けれど確かに存在する、この暴力的な呻き。 「なぁ先生、俺ァどうしたらいい?」 わざと先生と呼んでみる。 この担任は不思議なもので、呼び捨てにすると注意するくせに真っ当な呼び方をしても複雑そうな顔をする。 返事はすぐに来なかった。銀八は高杉を見つめて薄く開いた唇の隙間から紫煙を吐き出している。 目が合っているはずなのに、すれ違うこの感覚はなんなのだろう。高杉は考える。 その白い頬を捕らえて額と額を突き合わせてえぐるようにその目を覗き込めば、銀八の瞳に自分の姿は映るのだろうか。 試してみたい気もするが、二人の距離は余りにも遠かった。 「…さぁなァ…」 ようやく紡がれた言葉は余りにも無責任で、高杉はほんの少し、袋に穴を開けたように吹き出した。 「んだよそれ、なんの解決策にもなりゃしねぇ」 「だって俺んな気持ちになんねーから知らねぇし」 「国語の問題のつもりで解けよ。今までの会話から想定できる主人公、つまり俺の気持ちを答えよ」 「俺古典派だし」 「言い訳すんな」 間延びした空気に高杉は小さく息を吐いて空を見上げた。 いつの間にか雲は流されてなくなっている。冷たい空気にそぐわない濃度の青は何処か見覚えがあり、訝しむように目を細めた。 「まぁ、なんか好きになってみればいんじゃね?」 急に飛び込んできた言葉に、そちらを見遣る。 銀八は高杉を見ておらず、その目は空に向けられていた。銀髪がキラキラと煌めいているのを高杉は返事もせずにぼんやりと眺めた。 「なんかハマるもんでもありゃ、気も紛れんだろ」 フィギュアでもアイドルでも、好きなもん探せよ。 投げやりな言葉を高杉は一蹴し、少し考えたあとにニヤリと唇を吊り上げた。 「じゃあてめぇを好きになるよ」 「は?」 反射的に向けられた呆気にとられたその顔に、高杉は今度こそ愉快そうに声をあげて笑った。 (だってそっちが言い出したんだ。なぁ、いいだろう?) |