今までおまえの世界は満たされてたか?
そんなわけはないよなァ。だって俺が欠けてんだ。満たされてたわけがねぇ。



適当に決めた高校の入学式で、高杉は銀八を見つけた。高杉にとってそれは思いがけない邂逅だった。あのときの衝撃を言い表す言葉などきっとこの世にはないのだと言い切れる。
しかしこの時多数の同級生に紛れた高杉に、銀八はきっと気付いていなかった。仮に銀八が高杉を視界に入れたとしても、特別気にすることもなかっただろう。何故ならこのとき初めて二人は会ったからだ。
初めて会った。けれど高杉は銀八を知っている。正確に言えば、高杉は銀八の前世を、坂田銀時を知っていた。
いつからか前世の記憶があることに高杉は気がついた。最初は夢の中の話だと思った。けれどそれは日に日にリアルさを増していき、遠い遠い昔、自分ではない自分の記憶なのだとある日すとんと理解した。
壊したかったものが全て壊れた世界に生まれて、意味もなく笑いたくなった感覚を今も覚えている。
入学式で銀八と出会った。だからといって高杉はなんのアクションも起こさなかった。
銀八が担任になったわけでも、教科を受け持たれたわけでもない。なにより、銀八は前世を覚えていない。高杉と銀八はただ同じ学校の教師と生徒、それ以上でも以下でもなかった。
ただたまに校内で見掛けて、高杉が意味もなく銀八を目で追うだけ。それだけで2年が過ぎ去った。
転機が訪れたのは3年になってからだ。銀八が担任になった。接点が出来た。今まで側にありながらも絡み合わなかった互いの糸が交わることになった。
それでも高杉は普通の生徒と同じように、一線を踏み越えるような真似はしなかった。ただ近くなった距離から銀八を眺めるだけ。
生まれ変わった彼を、全てリセットされた彼を見ているのは楽しかった。



「俺見ながらニヤニヤすんのいい加減やめて欲しいんだけど。なに、新手のイジメ? 教師イジメ? 俺泣いちゃうよ?」
「そうかい。じゃあ今ここで泣き喚いてみせろよ、謝ってやる」
「えーん、高杉君が虐めるよぉ」
「大根にも程があんだろ」
古典の教科書を片手に、高杉は嘲るように笑った。
放課後の教室に二人以外は誰もいない。もうすぐ下校時刻になるため、他の生徒達はもう帰っていた。
「まぁいいんだけどよ。その熱い視線を俺じゃなく黒板に向けてほしいわけよ。おまえ板書とってる?」
「元々んな書いてねーじゃねぇか」
「確かにな」
書くこともないと言ってやれば銀八はあっさりと認めた。
「宿題、ちゃんとやって来いよ」
「もう帰りか?」
「あぁ」
「じゃあ途中まで一緒に帰ろうぜ」
「…いいけど」
銀八の帰路に高杉の使う駅はある。少し引っ掛かったような返事をした銀八に、高杉はこれ以上ないくらいの笑みを浮かべて見せた。



「俺だって意味もなくニヤニヤしてるわけじゃねぇんだよ」
「意味もなくニヤニヤしてたらただの変質者だもんな」
「うるせぇよ。俺は違ェ」
「はいはい」
「おまえ、今までの人生満たされてたか?」
「はァ?」
夕焼けが二人と原チャリの陰を伸ばす。
高杉の唐突な問いに銀八はその真意を問うような視線を高杉に向けたが、高杉は銀八にニヤニヤと意味ありげな笑みを見せるだけで答えようとはしなかった。
銀八は眉を寄せて諦めたように視線を空へ彷徨わせた。
「まぁそこそこ」
「嘘だな」
「はァ?」
主観的なことをきっぱりと否定されて、銀八は眉を寄せたまま再び高杉に視線を向けた。
高杉はやはり笑みを浮かべるだけで何も言わず、代わりに一歩だけ前に飛んで銀八の前を歩んだ。手持ちぶたさに鞄を振り回すように揺らす。
「てめぇが今までの世界で満足してたわけがねぇよ。大事なものが欠けてんだ。ずっと物足りない気がしてただろ?」
「あのなァ…、なんで俺の人生おまえにんなこと言われなきゃなんねぇんだよ」
呆れのなか、少し苛立ちの混じった声に高杉は振り向いて見せた。
右目に挑発的な色を込めて銀八を真っすぐに見つめる。銀八もまたそんな高杉の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「俺は知ってんだよ。おまえの世界に欠けたもの。おまえがずっと無意識に探し、求めていたもの」
だからずっと大切なものを探してることにも気付かずただつまらねぇ毎日を送ってるてめぇを見てると可笑しくて笑っちまう。
言いながら鞄を振り回して自身もくるりと回った。無邪気に笑う高杉を銀八はしばらく黙って見つめ続けていた。
「高、」
「教えてやるよ」
銀八に向き直る。口許は笑っているのに、隻眼はあまりにも鋭かった。口許の笑みも消えて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「てめぇの探し物はこの俺だ。俺がこの世に生まれるずっと前から、てめぇが生まれたその瞬間から、てめぇはずっと俺を探してた」
「何言っ、」
「嘘じゃねぇよ」
開いていた距離を詰める。鞄を放り捨てて、高杉は銀八の胸倉を掴みあげた。
「此処が外じゃなかったらてめぇを押し倒して教えてやってるところだぜ」
唇が触れ合いそうな距離で低く唸る。銀八の両手が原チャリで塞がっているため抵抗はなかった。
「―――………っ」
高杉はそれ以上何をするでもなく、視線を逸らすと手を離した。路上に落ちている自分の鞄を拾いあげて肩にかけ直した。
「おまえって肉食男子なんだな」
俺なんか食っても美味くないよ。
ずっと沈黙していた銀八が、高杉の背中に声をかける。その声に反応して高杉は振り向き、銀八を見遣った。
「食わねぇよ」
マズそう。そう言ってほんの少し、唇の端を吊り上げる。
「そのうち分かるぜ。俺の言葉の意味がよ」
「どうだかなァ」
「俺がわからせてやるよ」
だからてめぇん家上がらせろ。
そう言ってやればあっさり「やだね」と断られた。高杉はほんの少しだけ唇を吊り上げて、それ以上は迫らなかった。
駅に着く。二人の道が別れる。
明日は遅刻するなよと小言を言われて、目覚ましが止まらなかったらと適当に返した。
やはり少しだけ呆れたように銀八は息をついて、転がしていた原チャリに跨がって小さくなっていった。
高杉はそれを見送って、鞄から定期券を取り出すと改札を通り過ぎた。



壊したかったものが全て壊れたこんな世界で、前世の因縁だとか腐れ縁だとかそんなものはどうだっていいんだ。
俺は此処にいる。
(早く見つけて捕まえろ。そして今度こそ、今度こそ俺を、俺と―――)