「ヅラぁ、ジャージ寄越せジャージ」 桂の小言を嫌い、自分からはあまり話しかけてこない高杉の声に、桂は珍しいなと思い振り返った。 「ヅラじゃない、桂だ。…なんだ、もう自分のを着てるじゃないか」 振り返った先にいた高杉は既に自分のジャージを着て、チャックを上まで閉めて口許まで隠していた。 前髪とジャージの隙間から鋭い目が桂に向けられている。 「うるっせェ。寒ィんだよ。さっさと黙って貸せ」 「貴様、それが人にものを頼む態度か」 桂は高杉の言い草にムッとしながらも、言葉通り寒そうに首をすくめ自分を掻き抱くように前で腕を組んでいる高杉の姿を認めるとロッカーにジャージを取りに行った。 その後をついてきた高杉に取り出したジャージを手渡す。 小さく礼を言ってもぞもぞとそれを上から重ね着しても、まだ寒そうにしている高杉を桂は訝しげに見た。 今日はさほど寒くなどない。現に桂は制服の上からジャージなど着ようとは思わないし、他の誰も着ていない。 「あー…寒ィ」 と言いながら席に戻ろうとした高杉を桂は引き止めた。 「高杉」 「あァ?」 「おまえ、熱があるんじゃないか?」 「………は?」 「高杉が熱ゥ?」 「あぁ。今保健室で寝ている。早退させるか?」 「早退っつってもなー…」 高杉には迎えに来てくれる人もいないし、帰ってもあの広い部屋で一人になるだけだ。 桂からの報告に、銀八は顔をしかめて椅子の背もたれに体重をかけた。 いつまでもくしゃみしてると思ったら、結局こじらせやがったか…と思っていると桂から声が降って来た。 「どうする」 「ん?んー…、とりあえず寝かせとけ。後で俺が様子見に行くから」 「わかった」 次の授業のため教室に戻る桂の後ろ姿から目を離すと、銀八は大きな溜め息をついた。 「なんじゃ、溜め息なんぞついて。幸せが逃げるぜよ。笑っとけ笑っとけアッハッハッハッハッ!」 「うるっさい。今んな気分じゃねーんだ。むしるぞこの毛玉」 笑う坂本を一蹴すると銀八は頭を抱えた。 どうする。勝手に親に連絡などしたらまた怒るに決まっている。 どうすっかなぁ…ともう一度溜め息をついて、授業がない次の時間、保健室に行ってみることにした。 ガチャリと開けた保健室では授業中だけあって保健医しかいなかった。目が合って軽く会釈すると保健医が目で奥のベッドを指し示した。 高杉が保健室に入り浸っていた頃愛用していたベッドだ。カーテンが閉まっている。 やおら近付いて寝ているかもしれないので声はかけずにそっと覗き込む。 中では、高杉がこちらに背を背けて横になっていた。顔は見えないので眠っているかはわからない。 布団の上に重ねられた2枚のうち上になっているジャージには桂の文字だ。 「高杉…?」 小さな声で投げ掛けてみれば朧気な声が返ってきた。 「…銀八…?」 もぞりと頭が動いて、黒髪がはらはらと広がる。 銀八に向けられた瞳は普段の鋭さはなく何処かぼんやりとしていた。 「ったく、こじらせんなっつったろー」 「…わざとじゃねェ」 バツが悪そうに視線をそらし布団を目許まで引き上げた高杉に、銀八は溜め息をつくと高杉の額に触れた。 「うわっちぃな。何度あったこれ」 「…38度2分」 「いやもっとあんだろー」 「………」 銀八がそのまま手を頬に首筋に滑らせればその冷たさに高杉が目を細めた。 言いたいことはいろいろあったが、今は薄いカーテンの一枚向こうに保健医がいるので口を噤む。 「とりあえずここで寝てろ。一人で帰れねーだろ。親呼ぶか?」 「…呼んだらぶっ殺すぞてめー…」 予想通りに物騒な言葉を付け加えてくれた高杉に、銀八はですよね、と小さく呟いた。 いよいよどうしたものか。今日はとりあえず放課後まで此所で寝ててもらうとして、明日からが問題だ。 考えながら指先を離せば、高杉が平素の鋭さがないとろんとした目で追ってくる。 「………」 まぁいいか。明日のことは後で考えれば。 「はいおやすみ。帰る時は起こしてやるから」 「ん………」 瞼の上に手を被せて目を閉じるよう促せば、高杉の目は素直に閉じられた。 口許まで上げられている布団を苦しくないよう肩がすっぽり隠れるまで下げてジャージも掛け直してやる。 青白い顔を見つめて、まだ上がるなと見当をつける。 (今日スクーターなんだけどなァ) いつも都合よく車で来ているわけではない。仕方がないかと銀八は溜め息をつくと、保健医に高杉を頼んで保健室を後にした。 放課後になり、帰り支度を整えると銀八はまた保健室に足を向けた。 同じく帰り支度をしていた保健医と目が合う。黙ってついと保健医の視線がカーテンで遮られた一角に向けられたので、銀八は小さく頭を下げてからなるべく音を殺してカーテンを開けた。 うとうとと夢うつつだったのか、わずかな音に反応して高杉の視線が移ろう。 「帰んぞ。起きれるか?」 「ん…」 瞬きを繰り返して身体を起こそうとする高杉を支えるようにして腕を引き背中を持ち上げてやれば制服越しにもじっとりと汗ばんだ感触が伝わる。 「ほれ。上着とジャージ着てろ。紙は書いといてやるから」 「ん…」 ぼんやりと虚ろな目で言われるがままに動く高杉を気にしながら銀八は保健室利用カードを書き込んでいく。 白衣をしまいながら保健医が銀八に告げた。 「扁桃腺がだいぶ腫れちょる。熱も高いし、医者に行った方がよいの。なんなら学校掛かり付けの医師に電話しちゃる。今から連れてくがよい」 「お、サンキューな」 礼を受けて受話器を手にした保健医、陸奥が掛かり付けの医師に電話をしている間にジャージを小脇に抱えた高杉がふらふらとカーテンから出てきた。 「あ、オメージャージ着ろっつったろ」 「暑ィ」 「暑いじゃねーの。今日はスクーターなんだからよー」 銀八は高杉からジャージを取るとさっさと2枚着せていく。 高杉は不満そうにしながら抵抗はしなかった。瞬きを繰り返してチャックをあげる銀八の手を見つめている。 「大丈夫だそうじゃ」 「いろいろすんませんね」 よいしょと銀八は高杉を背負うと保健室を後にした。 高杉は何枚も重ね着しているのに、触れ合っている背中にじわじわと熱が沁みてくる。 (こりゃだいぶ高いな。熱上がってんじゃねーの) でももう暑いと言い出したのでこれ以上上がることはないと思うが。 スクーターの後ろに乗せて腕を回させる。落ちやしねーかと不安になるが其処まで意識が朦朧としているわけでもなさそうだ。 高杉はぎゅうと腕に力を込めてきた。 「落ちんなよ」 「落ちねーよ」 銀八はヘルメットを被ると医院へと向かった。 初老の優しげな医者がいうには、陸奥の見立て通り扁桃炎を起こしているから安静にして薬飲んで水分を十分に取るようにということだった。 医者の言葉に素直に頷く高杉に普段の生意気さはなく、なんだか調子が狂う。 高杉を相変わらず鍵の開けっ放しの家に連れ帰る。 高杉がパジャマに着替えている間に冷蔵庫を覗けば予想に違わず空に近い。 (しゃーねぇ…なんか買ってくっか) と銀八が冷蔵庫を閉めた時にインターホンが鳴った。 「誰だ…?」 高杉も見当がつかなかったのだろう。訝しげに部屋から出て来る。 「あー、オメーは寝てろって。俺が行くから。ハイハーイ」 しっしと高杉を指で払うと銀八は玄関の扉を開いた。 「どちら様、っと…ヅラぁ、おま、どうしたよ」 「ヅラじゃない桂だ。高杉のことだ。どうせ家に何もないと思ってな。ほら」 がさりと差し出されたビニール袋を受けとれば、野菜とパックに入った白米、袋に入れられた米が入っていた。 「作ったものを持ってきても冷めてしまうしな。どうせ銀八がいるだろうからと思って材料を持ってきた」 「先生をつけろって。…ヅラぁ、おまえ気が利くなァ」 「今は校外だろう。先生のところの柄悪いお兄ちゃん、せいぜい面倒をみてやれ」 そう言い残して帰っていく桂を戸口で見送ってから、銀八は中へと戻った。 「誰だった…?」 ベッドから高杉の掠れた声が聞こえる。 「ヅラ〜。飯の材料持ってきてくれたぞ。今度礼言っとけー」 「ヅラ…?」 リビングのダイニングテーブルで桂が持ってきた袋の中身を確認していると、ぺたぺたとフローリングに張り付く足音がして銀八はそちらを向いた。 「おまえ何してんの」 「ヅラにジャージ借りてる…」 洗って返さねぇと、とジャージを持って洗面所に向かう高杉を引き止めてからジャージを取りあげる。 「あーもう用事があんなら俺に言えって。オメーは兎にも角にも寝てろ。わかったな。今度出歩いたらオメー、ベッドに縛りつけっぞ」 「………」 普段なら此所でまた騒ぎそうなものなのに、高杉は何も言わずまたベッドに戻って行く。 銀八はふらふらとおぼつかない足取りを眺めながら溜め息をついた。 妙なところで発揮する几帳面ぶりはなんなのか。 頼むからもう仕事を増やさないで欲しい。 (素直なくせに手が掛かるなんて有り得ねぇ…) あの我が儘っぷりが手のかかる原因だと思っていたのに。どうしようもないのかと思うと知らず溜め息がこぼれ落ちた。 薄めの味付けで野菜スープの粥もどきを作る。 お盆に乗せて、ベッドではなくソファで丸くなって寝ている高杉の側に膝をつき、その肩を軽く揺さぶった。 パジャマ越しにも相変わらず熱を感じれば高杉がうっすらと目を開く。 「飯」 「…いらねぇ」 「却下。飯食わなきゃ薬飲めねーだろうが」 「…飲まねぇ」 さっきまでどうしてもベッドで寝ようとしない以外素直だったのに。薬は嫌いか。このガキんちょめ。 言いたい文句は山程あったがなんとか飲み込んで、汗で湿った服をまた着替えて来るよう言いつける。 それは素直に頷く高杉が寝ていた革のソファもじっとりと汗が滲んでいて、これ拭いた方がいいのかな、などと銀八は考える。高杉はこれが駄目になったら平気で買い換えるくらいしそうだが。 とりあえず湿らせたタオルで一通り拭いておく。それからお盆を持って高杉の部屋に向かった。 着替えてまたリビングに行こうとしていた高杉をベッドに座らせて、銀八は一匙掬った粥を冷まして高杉の口許に運んだ。 「ほれ、あーん」 「…なにしてんだ」 「ん、やっぱ病人に対する鉄則かと思って」 「死ねよ」 高杉は銀八を睨み付けて銀八の手を取ると自分で匙を口に運ぶ。 重ねられた高杉の手が熱くて、あぁ熱があるなと銀八は実感する。お盆を渡してやれば高杉はそれを受け取って食べ始めた。一口一口、ゆっくりと飲み込んでいく。 「喉痛ェ…」 「腫れてるからしゃーないよ。食べ終わったら薬な。ちゃんと飲めよ」 「………」 嫌そうな顔をしながら、喉も痛いのに懸命に食べる姿に健気さを覚える。 粥が冷めてからも食べて、薬を飲んで高杉はまた横になった。 銀八は額と首に新しい冷えピタを貼り直してやって掛け布団を高杉の肩まで引き上げる。 「うし。電気消すぞ」 パチと部屋の電気を消せば光源は月明りとリビングからの光が差し込むのみだ。 「銀八は…?」 「あ?」 「銀八は、これからどうすんだ?」 高杉は布団から銀八をじっと見上げる。 「俺ァこれからお仕事よ。リビングに居っからなんかあったら…」 「此所に居ろよ」 「は?」 布団から伸びた手が銀八の服を掴む。 「仕事、そこの机でやりゃあいいだろ」 「…電気付けちゃうよ?」 寝る時は部屋を暗くする高杉にそう問い掛けてみれば構わねェと返される。 「………」 「此所に居ろ」 服をしっかり握って離さない手を見て、銀八は溜め息をついて頭を掻いた。 「へいへい、わかりましたよお姫様」 荷物取ってくるから、手、離してと言えば高杉は少しためらいがちに指を離した。 銀八はその手を布団に戻すとリビングの椅子に置いてある鞄を取りに行く。視線が追って来ているのがわかった。 高杉の部屋に戻れば薄暗い室内でも高杉が銀八を見つめているのが分かる。 銀八は綺麗に片付いている――というよりは普段使われていないであろう――机に向かった。 付属の明かりを点ければ高杉が少し眩しそうに目を細めた。 「点けっぱ仕事すっけど、本当にいいんだな」 「構わねェ」 そう言って、光に背を向けず銀八の方を向いたまま高杉は目を閉じた。大きく息をついて眠ろうとする。 銀八はそんな高杉を見下ろして、高杉に気付かれないように苦笑した。 (側にいないと心細いってか?) ガキかよ、と思いながらもきっと今までこんな風に側にいてもらったこともないんだろうなとも思う。 「………」 すよすよと寝息が聞こえてきたのを確認すると、銀八は高杉が剥いだ布団をまた掛け直してやった。 |