未来なんていらない。今が永遠に続けばいいのに。 心からそう思うのは悪いことですか。 高杉の目前、白髪天パのダメガネが腕を組み、ない頭を絞って訥々と語る。 「まぁとりあえず適当にいい大学行くだろ、んで商社とかなんか企業に就職して美人な奥さんを捕まえるわけだ。しばらく夫婦共働きで、そうだなー、やっぱ将来のこと考えたら一戸建てが欲しいよな。子供は奥さん似のめちゃくちゃ可愛い人形みたいな姉妹、やっべ俺結婚式絶対泣くわ。っつか野郎が挨拶に来た時点で絶対一回追い返すね。おまえみたいなどこぞやの馬の骨に娘はやらんって。本当はなんてったって愛する娘が選んだんだからいい奴に決まってるのにな。でもやっぱそこはお約束だよ。やってみてぇじゃんそういうの。そんでもって退職して老後は奥さんと健やかに暮らすんだな。今まで忙しくて一緒に過ごせなかった分、全国津々浦々夫婦水入らずで旅行して回るのもいいよな。城郭巡りでもすっか?で、たまに子供が孫連れて遊びに来てさ、これまたすっげぇ可愛い女の子でジジ馬鹿って言われていいから服とか玩具とかいっぱい買ってやって娘に叱られて、それでも幸せに過ごして婆さん見とって同居しようっていう娘夫婦の申し出を断って慣れ親しんだ家に独りで過ごして最期は老衰で死ぬんだよ。どうよ、こんな人生設計」 「馬鹿じゃねぇの」 長い長い物語のようなプランを真顔で一蹴してみせれば銀八は気分を害したようであからさまに顔をしかめた。疲れきったように溜め息をつく。 そんな銀八になど興味がない高杉はついと目を逸らし、窓の外を見遣った。 果てしなく広がる白に近い青が目に優しいと高杉はぼんやり思う。手前に大分みすぼらしくなってしまったドレスを着た木があって、もう冬なんだなと身に染みる寒さよりも強烈な印象を伴い実感する。 今まで進路は大学進学という方向で話を進めていた高杉だったが、昨日唐突に大学なんか行かないと言い出してみた。 最初、銀八はただの気まぐれだろうとまともに相手にしなかった。 銀八の明らかに聞き流していると分かる態度が高杉は気にくわなくて、思いを行動に移した。 その結果、高杉が本気だと銀八が知ったのは今日、名前の欄以外が白紙のままのテストを見た時で、どうにかせねばと窓際から一つ内側の席、机を向き合わせて話し合っている。 高杉の態度に、何処か意地になっているようなものを感じ取った銀八は押してはダメだ引かねばならぬと北風と太陽作戦に出ようかとも思ったのだが、下手なことを言って高杉の進学意欲を完全に叩き潰しては困るのでとりあえず無難な説得を試みていた。 その説得が銀八による高杉の人生設計だったわけだが、高杉はまだ拗ねたように唇を尖らせている。 「…大学行かないで、働くわけ?おまえ社会人向いてねぇと思うけど」 「働かねぇし」 「じゃあニート?うわやだ格好悪い」 「てめぇ今全世界のニート敵に回したかんな」 取り付く島のない高杉に、これ以上は甘い言葉もキツイ言葉も高杉を頑なにさせるだけだと判断した銀八は溜め息をひとつ吐くと腰を上げた。 「…今日うち来んの」 「小煩ェこと言うなら行かねぇ」 「言わねぇよ。誰が仕事以外でこんな小言並べるかっつーの」 「………」 疲れた様子を隠さずに言う銀八に高杉も席を立った。 煩く言わないという言葉通り、銀八は全く進路について口にせず、いつものように内容のない他愛ないことを話している。 その余りの切り替えのよさに、今だ胸のうちに蟠りを感じる高杉はやはり彼は大人なのだと距離を感じてまた不機嫌そうに黙り込む。 その固く閉ざされた唇に銀八はまた仕方なさそうに溜め息をついた。 「大学進学の何が不満よ。今から受かる気がしないとか、そんなんじゃねーだろ」 「………」 「高杉ー」 「…そんなんじゃねぇ」 「ならあれか、大学行く意味でも見失ったか。んなもん、行きながら見つけりゃいいんだって」 「そうじゃねぇ」 「…なら、何が嫌なんだよ」 「………」 高杉が尖らせている唇を銀八はじっと見つめている。 その視線はこの散らかった部屋に相応しくないもので、なんだかんだ言ってこいつは根っからの教師なのだと高杉は思う。 「…おまえの」 「ん?」 「おまえの人生設計は、どんなんだよ」 ぽつりと問いかければ銀八は一秒にも満たない間だけ瞬きを増やして、それから考えるように視線を泳がせた。 「んー…俺のなぁ…」 ぱちぱちと繰り返される瞬きを高杉はじっと見つめる。 「まぁ、このまま今のガッコで教師続けて、卒業生を送り出しては新入生を迎え入れて、卒業した奴らが遊びに来たりなんかしたら一緒に飲みに行ったりしてくだんねぇ昔話に花咲かせて過ごして、年取ってくんじゃねぇの?」 レンズの向こう、そう語った銀八の目が酷く遠くて、高杉は瞬きもせずに言いようのない感情が胸を満たしていくのを感じていた。 不意に銀八が笑う。 「俺はもうおまえと違って選択肢が少ないんだよ。あーぁ、若いっていいよなぁ」 そうふざけた調子で溜め息混じりに言って伸びをした。 「まぁ色々先が見えなくて不安かもしんねぇけど、足掻いてもがいて落ち着けば、その不安もまた笑い話になっから」 だから、大丈夫。 そう言って優しい手が髪を撫でた。 不安なのはそんなことじゃない。そう言いたいのに固く絡まった感情の糸を解くことが出来ず、高杉は何一つ欠くことのない完璧な未来を紡ぐかさついた唇を、何も言えない己のそれで塞ぎ閉ざした。 なぁ、どうして? どうしておまえが描く俺の未来に、おまえの姿が何処にもないの。 おまえが描くおまえの未来の真ん中に、俺の姿が存在しないの。 俺はそんな未来描けないのに。 |