家庭訪問しろ。常に気まぐれな子供がこれまた突然そ言い出したので、 銀八は言われた駐輪場に原チャリを停めてエレベーターに乗った。 いきなりの要求の理由を一応聞いたけれど、高杉は答えないままさっさと銀八の 前からいなくなった。小さくなる後ろ姿に「んな態度なら行かねーぞ行かねーか らな」と言葉を投げかけてみたけれど、高杉は振り返ることも足を止めることも しなかった。 きっとこうなることをわかっていたからだろう。 高杉、の表札を見てチャイムを鳴らす。しばらく間が開いて無用心にもいきなり ドアが開いた。何の躊躇いもなく内側から開けられた扉に頭がぶつかりそうにな りながら、ドアの隙間、現れた高杉の姿を認めて言ってやった。 「よ、御望み通り、臨時家庭訪問な」 「………」 高杉はむっつりと黙り込み銀八を少しばかり上目遣いで睨むように見つめると、 上がれとも言わないまま中に引っ込んだ。 それでも自分は素足のくせに銀八にはスリッパを出しただけ訪問を歓迎してはく れているのだろう。そうでなくては困る。来いと言われたからわざわざ来てやっ たのだから。 ぺたぺたとだらし無くスリッパで音を立てながら廊下を進みリビングに向かう。 銀八のぼろアパートなど比較対象にならないような広いその部屋に、高杉はいな い。 「…ん?」 ソファーに近寄りながら部屋を見回す。ふとソファーにぽつんと不自然なティッ シュボックスを見つけて首を傾げる。 だがまたすぐにこの家の住人を捜そうと視線を巡らせた。部屋にでもいるのだろ うかとそちらに目をやると、背後から声がする。 「何馬鹿みたく突っ立ってんだよ」 「………」 なんでこいつこんな機嫌悪いの。 辛辣な言葉にそう思いながら振り向けば高杉は手に二つのグラスを持ってキッチ ンから出てきていた。 コツンとローテーブルとグラスの当たる音がして、グラスのなかに入っている氷 が軽やかな音を立てる。 ちらりと高杉の視線が銀八に向けられた。銀八が高杉を見つめていたために目が 合う。 するとまた高杉は何処か怒ったように眉を寄せ、早く座れとだけ言った。 高杉の言うとおり、ずっと突っ立っているのも馬鹿みたいなので銀八は素直にソ ファーに腰掛けた。皮張りのそれは上等なもののようで、こんなもんうちにも欲 しいよと思いながらも自宅の間取りを思い出して即座に首を振った。こんなもの があったら狭いアパートがさらに狭くなる。 銀八に座れと言った高杉本人はいまだにソファーに腰を下ろしてはいない。テレ ビの前で何やらデッキをいじっている。DVDを入れているのがわかったがそのパッ ケージは見えなかった。 DVD、ソファーのうえの不自然なティッシュボックス。 銀八の頭のなかでそれらが組み合わされ、ひとつの答えを弾き出す。 「…何、AV鑑賞でもすんの?」 「死ね」 振り返りもせず告げられた言葉はいつもより鋭く銀八の胸に刺さった。 今本気で軽蔑しやがったよこいつ。 テレビの入力切り替えをする後ろ姿を見つめながら銀八はなんだか面白くなく反 論を試みる。 「何おまえ、AVって何だと思ってんの。アニメーションビデオかもしんねーだろ 、オーディオビデオかもしんねーだろ。何ピンクいの考えてんだよ。やだやだ、 全くやらしいねー。高杉は」 「やらしいのはてめぇの頭だろうが。ピンクいのはパンツだけにしとけよ変態教 師」 「え、何おまえ俺の勝負パンツ見たの」 「あれが勝負パンツなら戦う前から負けてんぞてめぇ改めろ心をな」 そんなやり取りをしている間に映像は流れはじめる。それを確認して、高杉はリ モコンを片手に、もう片手にDVDのパッケージを携えテレビから離れた。 リモコンをテーブルに置くと銀八の横に座る。二人掛けのそれは二人が並んで座 ってもまだ余裕があった。 「…で、マジに何見る訳」 「ん」 「ん?」 渡されたパッケージは決していやらしいものではなく、少し前に話題になったハ リウッドのアクション映画だった。 「あとこれな」 もう一枚渡される。そっちは邦画の人情ありの恋愛もので、銀八は首を傾げた。 「…で?」 「で?って、なんだよ」 「おまえこれ見るために俺呼んだの?」 「…だったら?」 銀八は高杉を見つめているけれど、高杉は画面を見つめている。まるで銀八の視 線から逃れるように。 「………」 「………」 沈黙と、視線が一方通行のままの時間が続く。 それに先に耐え兼ねたのは高杉の方だった。 「っ、仕方ねーだろ、てめぇん家DVDねーんだもん、俺ん家で見るしかねーじゃね ぇか!」 「悪かったないまだビデオで。っつかなんで俺逆ギレされてんの」 「うるせぇな、いいだろ暇だろ、だったらちょっとうち来て映画見るくらいいい じゃねぇかぐだぐだ言ってんじゃねーよダメ教師!」 「え、何この言われのない侮辱。先生びっくり」 「………」 高杉は怒鳴るだけ怒鳴るとまた唇を固く閉ざして顔をそらした。ソファーの上で 膝を抱え、その上に肘を乗せると額を当てた。そしてそれきり黙り込んでしまう 。 どうやら拗ねてしまったらしい高杉をしばらく銀八は見つめていたけれど、小さ く溜め息をつくと手のなかにある2枚のDVDを見下ろした。 「一緒に映画が見たいなら、最初から素直にそう言やぁいいのに」 「………別にてめぇとなんて見たくねーし」 「あぁそうかい」 膝に顔を埋めたまま答える意地っ張りに銀八は肩を竦めてみせたが、そのあとぽ つりと聞こえてきた声にまた高杉を見遣った。 「でも…」 「ん?」 「………一人で見ても、つまんねぇだろ」 「………」 だから、一緒に見ようと素直に言えばいいのに。 きっと高杉が見たいのは今流れてるアクション映画だけで、それでも恋愛ものも あるのはきっと銀八の好みに合わせたのだろう。自分の見たいものだけに付き合 わせるのは悪いとでも思ったのだろうか。 冷蔵庫なんてたいてい空で、飲み物なんてないくせに今日はちゃんと準備してあ って、恋愛ものは泣けると評判のものだったから思う存分泣くためにちゃんとテ ィッシュも用意してある。 機嫌の悪さは自分から銀八を誘うことの恥ずかしさの現れで、辛辣なのは標準装 備。 わかってしまえば全部なんてことはないものだ。 彼がどんなつもりで誘ってくれたのかまではわからないけれど、一瞬に映画を見 たいという言葉が言えない代わりに必死に考えた建前である家庭訪問しろという 言葉を懸命に紡いだのだということくらいは今ならわかる。 生意気だろうとまだまだ不器用な子供なのだなと思いながら、すっかり落ち込ん でしまった高杉に声をかけた。 「まぁ、確かに暇だしな」 「………」 「映画くらい、いくらでも見てやるよ。コレ俺も見たかったし」 「………」 もぞりと身じろいだ高杉が視線を銀八に向ける。 高杉はまだ何処かふて腐れたように唇を尖らせていたが、銀八は構わず画面を見 つめながら言った。 「だから、」 巻き戻してくれよ。何度でも最初から、飽きるまで共に見よう。 |