山本は眼前の惨状に目を丸くした。
応接室の机の上が血に染まっている。いつも整然と配置されている備品達が乱れ、破損していて、血染めの机のすぐ側のソファの位置をヒバリが足で直していた。使われていない手からはぼたぼたと赤いものが滴っていて、山本は目を瞬かせた。
「ヒバリ、大丈夫か」
「別に。大したことじゃないよ」
こんな些細なやり取りに反応してか、机の上の小さい小箱が震えるようにカタリと音を立てた。二人の視線がそれに集まる。匣はなおも小さく震え続けたが、ヒバリは気にした風もなくソファを定位置に直し終えるとそこに座り、特別興味もなさそうに自身の赤い右手に目を向けた。
その視線を山本も目で追って、改めて山本は慌ててヒバリに駆け寄った。
「全然大丈夫じゃないのな。保健室…あ、今日オッサン休みで」
「最初からあんなのに頼る気はない」
哲を呼ぶからと携帯電話を取り出したヒバリの手を、山本は掴んで止めさせた。何をするのかとヒバリが目で問いかける。無意識の行動であったため、そんな行為に及んだ山本自身が戸惑いに視線をさまよわせたが、直ぐにヒバリを見つめ返すと口を開いた。
「俺がやるのな」
「…君が?」
「怪我とか、野球してっと結構あるから、俺、包帯巻くとか、結構うまいぜ?」
任せてくれと笑いかければ、ヒバリはしばらく山本を黙って見つめ、そして携帯電話を再び懐に仕舞い込んだ。
応接室の棚の奥にしまわれていた応急セットを取り出して、二人してソファに座り込んで傷口に目を向ける。止血をしながら山本は少し眉を寄せた。
「でもよ、こんだけぐっさりいってるとなると、病院に行ったほうがいいんじゃねぇか?」
「なんだ。処置できないのなら先に言ってくれる?」
「いや出来ないとかじゃなくてな…」
「いつも哲の処置で大丈夫だよ」
今回もちゃんとやれば大丈夫だと言うヒバリに顔をしかめながらも、山本は止血の具合を確認して処置を施し、包帯を巻いた。
ついでに他の家具の位置も直してくれというヒバリの命に従い、山本は乱れた備品の配置を記憶通りに置きなおす。対面のソファなど重たいものを、仮にも利き手を怪我しているヒバリに直させるのは心が痛むので山本独りで動かした。
ちらりと机の上の元凶に目を向ければ、心なしか居心地悪そうに小さくなっているような気がする。実際にサイズに変化などないが、山本には何故だかそう感じられた。
「今回は、一体どうしたんだよ」
ロールがしでかしたであろうことは想像がつくが、実際に何があったのかと部屋を訪れてから初めて問いかける。ヒバリはやはりなんでもないことのように答えた。
「今日は天気が良かったからね。ロールがそこで昼寝してたんだけど、匣に戻そうとしたら寝ぼけて僕の手を刺しただけだよ」
そしてまた動揺して暴走したと告げるヒバリはあまりにも慣れきっている。いくらロールに悪気がないとはいえ、よくもまぁそこまで平然としていられるものだと山本は感心さえした。
「ロールも大変だなぁ…。次郎と小次郎はそんなことしねぇからなぁ」
自身の匣兵器の姿を思い起こしても、彼らは顔を舐めてくるだとか、肩に止まるだとか、そういったことくらいしかしない。牙は持っていても剥き出しにされることはないし、彼らは棘を持っていない。
ふむ、と改めて山本はヒバリに目を向けた。ヒバリは山本が今しがた包帯を巻いた手でロールの入った匣を拾い上げて弄んでいる。先ほどからずっと心配そうにしているように見えていた匣を宥めているのだろうか。彼らは彼らなりに信頼関係を築いているようだ。
「ヒバリヒバリ」
「なに」
呼びかければヒバリの視線が向けられた。自分を見つめるヒバリに対し、山本は腕を広げて見せた。小次郎だったらその胸に飛びついてくる姿勢だ。
「…なに?」
だがヒバリはそうはしなかった。訝しげに山本を見て目つきを悪くする。山本の姿勢は誰がどう見ても、『この胸に飛び込んでおいで』と言葉にせずに訴えている。
事実、山本もそのつもりで腕を広げていた。
「いや、こっちにこう、飛びついて」
「行くわけないだろ。馬鹿じゃないの?」
素っ気なく突き放されて山本は唇を尖らせた。ヒバリは顔をそらして、また匣に入ったままのロールと戯れている。開け放たれた窓から入り込んできたヒバードが頭上を旋回して、ヒバリの頭部に落ち着いた。
それを見ていた山本は、改めてヒバリを呼んだ。
「ヒバリヒバリ」
「な…に」
ぷにと、山本の指先にヒバリの頬の感触が伝わった。山本はへらりと笑って見せたけれど、次の瞬間背筋を駆け上がった殺気に咄嗟に飛びのけば、つい数瞬前まで山本がいた場所をトンファーが通り過ぎていく。
「君の言いたいことはわかった。咬み殺す」
「ちょ、違う違う。いや、違くないかもしんねーけど」
「うるさいよ」
逃げて、追われて、整えたばかりの室内が乱れていく。ヒバリが振り下ろした手を受け止めて、受け止めきれずに蹴り飛ばされたところでその騒ぎは一応の決着を迎えた。
「いってー…」
蹴られた方向に身体を逸らして力を逃がしたとはいえ、蹴られた場所はもちろん、打ちつけた背中も痛い。顔をしかめてさすってみても、加害者は平然とソファに座りなおした。山本もまたその隣に少し距離を開けて座る。文句は出なかった。
「ヒバリヒバリ」
「まだなんか用」
もうヒバリは振り向かない。先ほどのを根に持っているようだ。警戒心を露わにされて、山本は苦笑した。そして、言う。
「俺も怒らねぇから」
「?」
なんの前置きもなく切り出された言葉に、ヒバリはちらりと山本に視線を向けた。山本はヒバリを見つめながら言葉を続ける。
「ヒバリがロールみたく、俺たちの距離感が分からなくて殴っても蹴っても、俺も怒らねぇから」
「……」
「だから」



何度でも近づいて。失敗したら、離れて、また近づいて、俺たちの距離感を一緒に見つけようよ。