「君のことは、よく分からないな」
ヒバリは山本に向かって、ぽつりとそう言った。山本は少しひきつったような笑みを浮かべながらヒバリを見上げている。そう、見上げているのだ。山本から見えるヒバリの後ろには藍色と夕焼けが混じりあった空が広がっている。
山本の喉元にはトンファーが突きつけられていた。
ユニフォーム姿の山本は倒れ伏し、その上にヒバリは馬乗りになっている。下校時刻は少し前に過ぎた。その時刻を知らせる放送の少し前、部活の後片づけをしている山本の前に、ヒバリは現れた。
「お、ヒバリ、どうし・・・」
山本の言葉が終わるよりも先に、ヒバリは山本に飛びかかった。反射的に体が動き、山本はヒバリの攻撃を避けていた。山本と共に片づけをしていて、ヒバリの登場に竦み上がっていた同級生は突然の事態についていくことが出来ず、ただ目を見開いて目の前で繰り広げられる攻防を見つめることしかできない。少年が我に返ったのは、山本がヒバリの一撃を食らい、地に転がされた時だった。
「いってぇ・・・」
「や、やまも・・・!」
「君、まだ居たの?」
呻く山本に駆け寄ろうとした同級生は、ヒバリの視線を受けて一歩踏み出したところで体を強ばらせた。ヒバリのことを知っている並中生ならば、当然の反応だ。しかも、彼はたった今、同じ部活のエースが理不尽ともいえる暴力にさらされ、情け容赦なく殴りとばされたところを見ている。ヒバリに対する恐怖の念は高まっていた。
「あー・・・、俺なら大丈夫だから。悪いけど、片づけといてくれるか? また明日なー」
緊迫した空気に、場違いな声が流れる。チームメイトは戸惑ったようにヒバリと山本へ交互に視線を向けたが、結局その場から立ち去った。
地面に寝ころんだままの山本を足で仰向けにして、ヒバリは山本に馬乗りになって膝を突いた。トンファーを向けたまま、無表情で山本を見下ろしている。
山本はこれ以上の抵抗の意志がないことを示しながら、ヒバリがなにを考えているのか知ろうと黒い瞳を見つめたが、徒労に終わった。山本の視線の先で、閉ざされていた唇が開く。
「君のことは、よく分からないな」
あんたのことも分からないのな。山本がそう言うよりも早く、ぽつりぽつりと言葉が続けられる。
「分からないと言えば沢田綱吉もそうだけど、あれは草食動物なの? 強くなったり弱くなったり、忙しいね」
「ツナはすげぇよ。そういうなんとか動物っての関係なく、すごい奴なのな」
「別に彼のことはどうでもいいんだよ」
興味があるのは沢田綱吉よりもその側にいる赤ん坊の方だ。今、赤ん坊が目の前にいたらヒバリは喜んで飛びかかるだろう。
しかし今、目の前に利ボーンはいない。今、ヒバリにとって重要なのは、目の前で組み伏せられている山本武の方だった。
「君には牙が見えるよ。それなりに立派な牙だ。なのにどうして、君は群れるばかりの草食動物達と共にいるのかな。君はそっち側じゃないだろう?」
油断させて、隙を狙う必要もないくらい、圧倒的な力の差があるのに、どうして。
首を傾げるヒバリを見上げながら、山本はほんの少し眉を寄せた。
「群れることが悪いことだと、俺は思わないのな。だって野球は一人じゃ出来ないんだぜ」
「野球なんてしない」
「俺はする。そんで将来プロになんだ」
「聞いてないよ」
トンファーで殴りつけられ、脳が揺れて山本は目眩がした。殺意も敵意もない一撃は軽いものだったけれど、ヒバリには凶器を振り回している自覚が少し足りないのではないだろうか。加害者は平然とした様子で、定まらない視線を落ち着けようとしている被害者を見下ろした。
「分からないよ、どうして、君は」
そこで途切れた言葉の先を、ヒバリはついに音にすることはなかった。薄く開かれたまま、沈黙した唇を山本はようやく定まった目で見つめたが、肘をつき、ゆるゆると状態を上げると手を伸ばしてヒバリの頬に触れた。抵抗はない。
きっと、このまま爪を立ててその頬を引き裂いても、ヒバリはなんの反応も示さないのだろうなと顎を指先でなぞりながら山本は考えていた。
「なに」
ヒバリの反応は素っ気ない。くすぐったがることもなく、淡々と問いかけた。
「ん、いや」
拒絶されないのをいいことに、指先でヒバリの頬を好き勝手弄んでいた山本はうっすらと笑みさえも浮かべていた。それをどんな気持ちで見下ろしているのか、その心はヒバリにしか分からない。
動かしていた手を顎へ、首へ、腕を辿り今し方自分を殴りつけたトンファーを握る手へと移動させると、山本は少し冷たいそれに己の手を重ねた。ヒバリはそれを見つめている。やはり抵抗はなかった。
そんなヒバリを見上げながら、山本は笑う。
「俺のこと、わからねぇって言うんなら、分かるまで俺のこと知ろうとして欲しいのな」
ヒバリの後ろでは、もう星が輝いている。
(追いかけて、捕まえて、執着を見せてよ)