人気のない古城の前に、たけしは一人で立っていました。
仲間たちとこの城に住む吸血鬼を退治しに訪れたのは、まだ記憶に新しいことです。たけしはしばらく大きな扉を見上げていましたが、やがておもむろにその戸を押しました。
「おーい。ヒバリン、いねーのか?」
たけしの声が広い城内に響きわたります。幾重にも広がっていく自分の声に対し、反応はありませんでした。
さて、どうしたものか。考えたたけしはとりあえず城内をうろうろと探索し始めました。あのときはすぐにヒバリンが出てきたために、ろくに中を見ていないのです。人の家を勝手にうろつくことに多少の抵抗はありましたが、それでも何処か冒険気分でたけしはふらふらと広い廊下を歩いていきます。部屋の中を覗くのはさすがに気がひけたので、とりあえずはただ廊下の続く限り歩くだけです。そんなたけしの姿を、一羽の黄色い小鳥が見つめており、どこかに羽ばたいていってことなど、たけしは知る由もありませんでした。
どのくらい歩いたでしょう。
「ねぇ、君、ひとん家でなにしてんの?」
背後から聞こえてきた声に、たけしは足を止めて振り向きます。見たかった姿がそこにはありました。たけしの表情が輝きます。
しかし、ようやく現れてくれたこの城の主、ヒバリンは不機嫌そうにしかめられています。初めて出会ったときはあんなに流暢に自己紹介してくれたのに。たけしは首を傾げました。
「こんな真っ昼間にやってくるなんて、非常識じゃない? 僕まだ寝てたんだけど」
「あ、ヒバリンは夜行性なのな。ワリィワリィ」
「悪いで済んだら風紀委員は要らないんだよ。君は今すぐ咬み殺す」
「そう怒るなよ。ほっぺ、平気か? 気になったのな。」
「・・・なにそれ、どういうこと」
「こないだツナにやられたろ? 放置して帰っちまったから、心配だったのな」
たけしの言葉に、ヒバリンは押し黙り訝しげな目を武に向けました。不機嫌一色だった目に、不信感がありありと滲んでいました。
これは、もしかして、もしかすると。
「あのとき俺もいたんだけど、もしかして覚えてないか? まぁ俺の本体はすぐやられっちまったもんなー」
朗らかに笑うたけしに、ヒバリンはぐるぐると記憶の小箱の中身をかき回しているようで首を傾げながらたけしを睨み続けています。
数瞬後、やっと記憶の整理がついたようで、ヒバリンはぽんと手を打つと改めてたけしと向き合いました。
「そういえば居たね。あの草食動物たちの中に、君みたいなゾンビも」
「お、やっと思い出してくれたか。良かった良かった」
これでようやくお互いを認識しあって話が出来ます。もっとも、ヒバリンが思い出してくれなければたけしは自己紹介する気でいたのでそれほど支障はなかったのですが、余計な手間が省けてなによりです。
「で、その後お加減いかがかと」
「・・・最悪だよ。あの草食動物たちを咬み殺さないと気が済まないね。手始めにまずは君から咬み殺そうか」
「元気そうでなによりなのなー」
トンファーを構えられてもたけしは明るく笑っていましたが、次の瞬間にはもう殴り飛ばされ壁にぶつかっていました。そしてあのときと同様、脳みそだけの姿となっていたのでした。
邪魔者は片づけたといわんばかりに背を向けその場から立ち去ろうとするヒバリンに、たけしはその姿のまま声をかけます。
「危ないのなー・・・。別に俺は喧嘩しにきたわけじゃねーのな」
「・・・・・・・・・。そうか、君、そんな姿でもいられるんだったね。思い出したよ」
「おっ、これでもう俺のこと忘れないでくれるか?」
「その姿の君を咬み殺せば、君ももういい加減大人しくなるよね」
「ちょっ、待っ・・・!」
「待たない」
脳みそと吸血鬼の追いかけっこが始まりました。



脳みそだけのたけしに疲労はありません。追いかけっこは日が沈み、夜が更けるまで続けられました。
さすがに疲れ果て座り込んだ不満げなヒバリンに、体に戻ったたけしがそっと寄り添います。
「あー、びびったのな」
「嘘ばっかり。ちっとも怖がってなかったじゃないか」
「いやいや、いつ潰されっかとヒヤヒヤもんだって」
明るい笑い声からは疲労も恐怖もまるで感じられず、ヒバリンは小さく舌打ちをします。
そんなヒバリンの横で笑みを浮かべていたたけしは、胸に抱えていた疑問を率直に口に出して問いかけました。
「ヒバリンは、此処に独りで住んでるのか?」
探索していて思いました。此処は独りで住むには余りにも広すぎます。使われもせずに閉ざされている扉に囲まれている日々は、如何様なものでしょう。
「独りじゃないよ」
ヒバリンの言葉に、ふわりと何処からか飛んできた黄色い小鳥、ヒバードがヒバリンの頭の上に留まりました。ヒバリンの隣、たけしのいない方からはキュウという鳴き声が聞こえてきて、たけしはそちらを見やりました。
つぶらな瞳の愛くるしいハリネズミ、ロールがヒバリンに針を突き立てぬ位置に鎮座し、じっとたけしを見上げています。
「こいつらが同居人なのか?」
「他にもいるときはいるよ」
「へぇ」
針のない部分をヒバリンの手が撫でれば、ロールは心地よさそうに目を細めてヒバリンにすり寄っていきます。
ぼたり。
棘の刺さったヒバリンの掌からボタボタと鮮血が滴り落ちていきます。ヒバリンは顔色一つ変えず、たけしは目を丸くしてその光景を見ていました。対して意図せず加害者となってしまったロールは愛らしい瞳いっぱいに涙を溜めて、その滴か落ちると同時にそれは起こりました。
「キュゥゥゥゥゥウウ!!!」
見る間に増殖を続ける棘に、ヒバリンとたけしは即座に腰を上げその場から駆けだしていました。
その背後からはバキバキと何かが壊れていく音が絶え間なく聞こえます。たけしは振り返りたい衝動に駆られましたが、「振り向くな」というヒバリンの言葉に曲げかけた首を即座に戻しました。
「音が聞こえなくなるまで走らないと、死ぬよ。自殺希望なら振り向いてもいいけどね」
「いや、そんなことねーのな」
なんだか今日は走ってばっかりです。今回は体を伴う走りであったために、二人が立ち止まった頃にはたけしも息を切らしていました。
「たまにね、あるんだよ。学習しないんだね、ロールは」
「ははっ。結構楽しそうなのな。此処での生活も」
「まぁね」
否定しないヒバリンをこっそり横目で見て、たけしは呼吸を整えながらそっと口元に笑みを整えました。
そうこうしているうちに、もう朝が訪れそうです。寝ている昼間から起こしてしまったヒバリンは眠たそうにあくびをしています。
「俺そろそろ帰るのな。じゃ、起こして悪かった」
「そう。咬み殺されてから帰りなよ」
「それは遠慮するのなー」
さりげなく言われた物騒な言葉に山本は苦笑しながら、入り口のところで改めてヒバリンと向き合いました。
「また来てもいいか? 今度は手土産の一つでも持ってくるのな。何がいい?」
「咬み殺すのに手頃な草食動物」
「無理。じゃあココナッツジュースでも持ってくるわ。この前言ってただろ?」
「・・・・・・・・・」
ココナッツジュースは心惹かれるのか、ヒバリンがそれ以上の文句や無理難題を口にすることはありませんでした。
たけしが扉を開きます。背後から、声をかけられました。
「ねぇ」
「ん?」
「何しにくるの?」
わざわざ、手土産を用意してまで。
ヒバリンの問いに、たけしは屈託なく笑い、答えました。



「あんたが、気になるからなのな」