何かしくじっただろうか。
山本は考えたが、いくら考えても心当たりなどない。
「出て行け」
いつものように応接室に入りヒバリに近付いた途端、冷ややかにそう言われた。
トンファーまで突き付けられて、距離を詰めてくるヒバリに山本は手を挙げて後ずさるしかなかった。
「ちょっ、ヒバリ落ち着けって」
「僕は落ち着いてるよ。早く出てけ」
「せめて理由を…」
「うるさい」
いつの間にか閉じていたはずのドアは開いていて、山本の身体が部屋から出たところで無情にも再び閉められた。どうやら草壁が開けていたらしい。ドア越しに二人の声が聞こえた。
数日後、山本は何事もなかったかのように応接室を訪れたが同じことが繰り返されただけであった。
有無を言わさず追い出される。ある日なんて、ヒバリは山本が部屋に入ったときにちらりと一瞥をくれ、すぐに草壁に目を向けた。その視線の意図を汲み取ったらしい草壁が山本を追い出した。
ヒバリは山本など入ってこなかったかのように肩に小鳥を乗せ応接室のソファーに座り、書類を眺めている。
「…俺、ヒバリになんかしました?」
部屋を追い出されて、山本は草壁に問い掛けた。
「………」
草壁は山本を見下ろし、ちらりとヒバリに目をやった。ヒバリは先ほどと変わらず書類に視線を注いでいる。しかしこちらを見ずに言い放った。
「副委員長、扉は開けたら閉めてくれる」
「はっ」
威勢のいい返事を返すと、草壁は扉を閉めた。今日もまた無情にもヒバリと隔てられたまま帰るしかなさそうだ。
「…?」
閉じる瞬間、草壁はくわえていた草を少し動かした。その動作の意味を掴み損ね、山本は首を傾げながら帰路についた。
「お、いた」
「………」
応接室が駄目ならばと山本が次に選んだ舞台は青空の広がる屋上だった。
ぽつんと黒い影を見つけて山本は顔を綻ばす。それとは対照的に、太陽の光を遮る存在をヒバリは不機嫌そうに見上げた。
「此処なら別に追い出されたりはしないだろ?」
「近寄るな」
「え?」
突き付けられたトンファーに山本は前屈みであった上体を起こした。ヒバリも身体を起こして山本を威嚇し続ける。
怒っている、というよりも、何処か軽蔑されている。冷ややかな視線に山本はそう感じた。
「俺、何かしたか?」
無意識にこぼれ落ちていた言葉を拾いあげて、ヒバリは鼻で笑った。
「スポーツマンのくせに、そんな匂いさせてなんのつもり? そして風紀委員長の前に平気で現れるなんて、君、馬鹿?」
「へ?」
「煙草臭い」
「は?」
「煙草」
「………」
本気で何を言われているのか分からなかった山本はぽかんと口を開いてヒバリを見つめた。ヒバリは視線に熱を込めないまま、刺すように山本を見ている。その手にはトンファーが握られたままだ。
ようやく言われた単語を理解して山本は自分の制服の匂いを嗅いだ。確かに、言われてみればそんな匂いがする。
しかし山本は喫煙などもちろんしていないし、家族にも喫煙者はいない。
「あ」
友人の口許にあるものを思い出した。そうか、獄寺の匂いが移ったに違いない。獄寺ならヒバリも知っているはずだし、話も早い。
「これは俺じゃなくて」
「誰でもいいよ」
「ん?」
「誰がつけた匂いであろうと、不愉快なことに変わりはないんだ」
僕の側に寄らないで。
そう言い放ち顔を逸らされては、山本は頬を掻き引っ込むしかない。
また来ると言い残して山本は屋上をあとにした。返事はなかった。
今日もぷかぷかと煙草を吹かしている友人を山本は見つめていた。
うっかり慣れ親しんだ光景になっていたが、とても異質なものであることに今更気がつく。
どうせ聞き入れてもらえないだろうとは思いながら、駄目元で山本は獄寺に言ってみた。
「俺らといるときは禁煙してくんねぇかな」
「は? ざけんな。なんでんなことしなきゃなんねーんだよ」
「ヒバリが煙草の匂い嫌がるのな」
「ますます知るかよ」
「だよなぁ…」
溜め息をひとつ吐き、山本は消えていく紫煙を見送った。
ヒバリの傍に行くためには、獄寺と距離を置く必要があるということだ。
(僕と獄寺、どっちが大事なの、とか、ヒバリは言いださねぇけどなー)
結局はそういうことだろう。あの不機嫌そうな顔を思い出す。なんだかとても愛おしくて無意識に口元が緩んでいた。
「山本?」
「ん?」
呼びかけられてそちらに目をやれば、綱吉が不思議そうな顔をして山本の顔を覗き込んでいた。
「何見て笑ってんの?」
「え、今俺笑ってたか?」
なにかあるのかと綱吉が先程まで山本が視線を向けていたところを見やる。とりたてて何もない、青空が広がっているだけだ。
綱吉の言葉に山本は笑いながらその口元を大きな手で覆い隠した。そんなのは今さら遅い行為であるが。
訝しげな視線を向ける友人たちになんでもないと返しながら、山本は再び今度は意志を持って空に目を向けた。
またヒバリに会いに行こう。状況も改善していない状態では素気なく追い出されてしまうだけかもしれないけれど、それでも構わなかった。
「ヒバリは可愛いのな」
「なにそれ。遺言?」
開口一番にそう言ってみれば冷たい笑みと共にトンファーが突き付けられた。手を挙げて抵抗の意思がないことを示す。意味のないこととは知りながらも、半ば反射的に行った行為だった。
今、ここは屋上だ。最初応接室に行ってみたが、ヒバリがいなかったのでこちらに来た。会えてよかった。会えなければ翌日また応接室に向かうだけではあるがそう思った。
「まさか、まだ死にたくないのな」
殴りかかってくるトンファーを交わして背後に回る。ヒバリが振り向くよりも早くに敵意なくその身体を黒い学ランごと抱きしめた。
「離せ」
「嫌だね」
「煙草臭い」
「それは悪いと思ってる。でもあいつやめる気ねーみてぇだし」
獄寺の身体のためにも辞めた方がいいと思うし、辞めされるのが友情ではないかとも確かに思うのだが、本人の好きにさせるに限ると山本は考えていた。獄寺にとって煙草を吸うなと言うのは自分が野球をやめろと言われるのと同じくらい酷なことであろう。
「君が僕に近寄らなければいいだけの話だよ。まぁ僕の前では吸わせないけどね」
「言っとく」
「離れろ」
「ダメ」
力を込めようとする腕を押さえつける。この細い体の何処からそんな力を出すのかと思うくらい、ヒバリは力がある。平気で人のことを蹴り飛ばしたりしてくれるのだから恐ろしい。
「俺の匂いが気になるんなら、気にならなくなるまで傍にいればいいのな」
「ふざけるな」
「ふざけてねんかねーよ」
大真面目だ。
そう言いきればヒバリはしばらく山本の腕から逃れようとしていたが、諦めたように全身に込めていた力を抜いた。
急に脱力した身体は立つ気もないらしく、倒れそうになるのを山本は慌てて支えた。腕の中に閉じ込めるのと支えるのでは使う力が違う。バランスを崩して山本はヒバリを庇うように屋上の床に座り込んだ。打ちつけた尻が痛い。
「ヒバリ、大丈夫か」
「………」
何処か打ちつけたりはしていないか。そう尋ねてもヒバリは拗ねたようにむっすりと口を尖らせて顔を背けている。
その様子に山本は苦笑して、顎のあたりにある首筋に頬を押し付けた。
「やめてくれる」
「早く慣れるためだって」
「絶対咬み殺す」
「怖ぇな」
物騒な言葉のわりに抵抗はない。投げ出された身体を抱きしめながら山本は惜しみなく温もりを降り注ぎ続ける空を見上げた。
雲が少ししかない。絶好の野球日よりだ。ヒバリと野球をしてみたいけれど、きっと断られてしまうのだろう。
身体にかかる体重が愛おしい。馴染む匂いが獄寺の煙草の香りだというのは少し思うことがあるけれど、今こうして二人屋上で身体を寄せ合っていられるのはそのおかげであるということを考えればほんの少しだけ、あの煙に感謝しなければならないのかもしれない。
「あー、今日も平和だな」
「意味がわかんないんだけど」
「ヒバリー」
「何」
「好きだー」
返事はなかった。鳥の声がする。見ればヒバリの鳥が二人の上で羽ばたいている。ヒバリの頭にふわりと降りて、山本をつつき始めた。それを避けるために身体を逸らせば二人の間に隙間が生まれた。
今までも山本はそれほど腕に力を込めていなかった。逃げようと思えばいくらでも逃げられたはずだ。今まで山本の腕に大人しくおさまっていた身体はこのタイミングで山本から離れていった。
それが惜しくて、山本は少し縋るような視線をヒバリの背中に向けていた。ふわりと学ランが揺れてヒバリは振り向き山本を見下ろした。
「…煙草臭い君は嫌い」
それだけ言い放ち屋上からいなくなってしまう。
一人取り残された山本は溜め息をついて大の字で寝ころび空を見上げた。
「それ言われると困っちまうんだけどなぁ」
恋と友情、どちらを取るかなんて笑えない。
仕事と私、どっちが大切なの、なんて言い出す女はろくなものではないと何かで読んだ。それに似ていると少し思う。しかしヒバリは女ではない。そのため「ろくなもんじゃない」というのには当てはまらないだろうと山本は結論付けた。
まぁ、ろくなものでなくたって山本は構いはしないのだけれども。
「もっかい獄寺に頼んでみるかなぁ…」
結果は見えている。ほんの少し憂鬱そうな溜め息をつきながら、それでも最後に見たヒバリの表情を思い出して山本は一人笑っていた。
(何処までも可愛い人)